495 招待状
「ああ、お待ちになって。どうかまずは私の言い訳をお聞きになってくださいな」
後ろに控えている従者たちよりも一層剣呑な雰囲気を、にわかにその身より立ち昇らせた白い少女へ、なのに首なしの女ディトネイアはプレッシャーを物ともしていないような滑らかすぎる口調でそんなことを言った。
頭がないので奪われたという首から上にどんな表情を浮かべているかについてはまったくの不明ではあるが、しかしそこにはやはりこの堂々たる態度から連想されるような、余裕のある笑みというものが作られているであろうことは想像に難くない。
――普通ではない。
強度という意味では欠片たりとも脅威など感じはしないが、されどだからこそ一人の人間として……一個の人格としてこの女は普通ではないと断言できる。
ともすれば首が欠けているという奇妙奇天烈な事態なんかよりもよっぽど、怪物の威圧を前にしてもただの人間が平気の平左で平然とできていることのほうが、異常も異常であると。
そう判断して、語られる内容とはまた別の理由から彼女に対してより懐疑的になったナインは、そのことをよく表すような一段と低い声で言った。
「そうだな。何を思うよりもまず、あんたの知っていることをそっくりそのまま話してもらいたいところだが」
「構いませんわ。こちらも元よりそうするつもりでしたもの。長くお時間は取らせませんので、少々お付き合いいただけます?」
「いいぜ、聞かせてみな」
肩を下げて一礼の仕草を見せたディトネイア。そこから彼女の語った内容は様々な部分でナインの推測を裏切るものであり、そしてそれと同等以上に少女の理解を超える部分も多々あった。
「あー……なんか初めて聞く言葉や初めて知る要素ってのが多くて、妙にとっ散らかりはしたけれど。俺なりに整理してまとめるとつまりは、だ。水晶宮とかいう省の部署にいる姫さんが予知した物騒であやふやな未来ってのを防ぐためにあんたは――その予知と同じ内容を『眼』で見抜いて独自に動いていたピナさんや、それに先んじて協力していたピカレさんと力を合わせて、事前に『可能な限りの人を被害から救っていた』と……そういう理解で正しいのか?」
「オールライトですわナイン様。そのご理解に齟齬や瑕疵はございません。私たちは確かに今日の悲劇を見通していた……。とはいえ省の動向を私たちのような小娘集団――うふふ、省のご老人方から見てのお話です――が、どうこうできるはずもないことは、ナイン様にもおわかりいただけるかと思います。ですから悲劇そのものへ手を打つことはできずとも、やれるだけの範囲で最大の成果を上げられたと自負しておりますわ。省のトップである『上座』お抱えの姫――シオナもまた、私との友情のために全面的に手を貸してくださいました。ピナ様やピカレ様との協議の結果、どうしても避けられなかった首都の陥落は省敷地内という最低限度に。そして続けざまに出るはずだった五大都市への被害もまた現在はまだ防がれております……これがどれほどの綱渡りの果てに得られた類い稀なる『奇跡』であるのか、シオナの予知の恐ろしさをご存じないナイン様を相手には正確にお伝えする手段がないことを心から残念に思いますわ。まあ、それはそれとしてです。ここで何故、私がこのような目に遭っているのかについてもお話しておきましょう」
――なんとディトネイアは、起動した神具に対してその場で交渉を持ちかけたのだという。
それは不動姫シオナや相談屋ピナの未来視から得た情報ありきの行動ではあったものの、さすがの彼女もたったの一撃で万理平定省を物理的に潰してみせた存在を前に言葉のみを武器に接することは並ならぬ胆力が要ったらしい。
しかし首を獲られはしたが結果として交渉、と言うよりも説得は大成功。
彼女は伝えるべき言葉を伝えて、神具からの要望を引き出しながら自らも条件を突き付けることができた。
そのうえでそれを叶えるための伝言役として派遣される役割までも獲得してみせたのだ。
――とまれそちらに関しては自分で「掴み取った」のではなく当て擦りも同然に「押し付けられた」と言ったほうが正確でしょうけれど、とディトネイアは苦笑するように言った。
「……神具ってのは人の言葉が通じるもんなのか」
「あなたが思う以上に『彼』は理知的ですわよ、ナイン様」
「理知的な奴が起き抜けに寝床を吹っ飛ばして、人の頭を分捕りまでするのかい」
「あら、返す言葉もないですわね。けれど言いました通りに――神話の領域に人の身、人の心のままではどうあっても踏み込めません。故に、どこまで行っても神具の裡というものを理解することは叶わないのです。少なくとも私には、ですけれども」
「視点が違うから。人のスケールじゃ見通せないような思惑があって。だから神具は単に暴れただけではないと、あんたはそう考えているのか」
「予知の内容に違うことなく神具はナイン様との邂逅をお望みですわ。そうなると知っていた――いえ、信じていたからあなた様を案内することを神具の前でお誓いしましたの。まさか担保に首を指定されるとはまったく予想だにしていませんでしたが、けれど私の首ひとつで『神の道具』が一時的にでも活動を停止している現状は、やはり奇跡と称する他ありませんわ」
一拍の間。
「裏返して言うなら、何故神具ともあろう存在がそうまでしてナイン様を、首都の中心から動くことなくただ待っているのか。そちらには一考の余地がございますでしょう? 神話に起源を持ちながら人の道具にまで成り下がった七聖具。それが今、伝承に記された国の宝具として本来の力を取り戻して――そしていったい何をしようというのか。残念ながらやはり、私などではそこまで聞き出すことが叶いませんでした。まずもって破壊を手段にすることの目的がなんであるかについては大体の推察も可能ですけれど――『動機』と『その先』がわからない。シオナもピナ様も、未来視はそこでぷっつりと途切れている……まるでこの国の運命がそこへ収束し、何かしらの結論を待っているかのように」
「………………」
朗々と、物語を語って聞かせるように喋り続けるディトネイア。それとは反対に黙り込むナイン。彼女らはそうやってどちらもが相手のことを探っているようだった――そして同時に自分のすべきことが何かを知り、それを貫くだけの意思の強さを、二人は共に持っていた。
「俺が行かなきゃ、一時的に抑えられている神具がまた動き出すってことか。下手しなくても首都の被害が広がり、五大都市にまでそれが及ぶって?」
「その通りですわ。五大都市を守るために信の置ける方々に話を通して、そちらにもご協力いただくことに成功しております……が、なんと言っても最重要は神具の座す首都であることに疑いはなく。そしてそちらを『解決』できるのは他ならぬ神具がご所望の、ナイン様。あなたを置いて他にはいないのですわ。それはもう、確実なことなのです」
「……そうかい」
ディトネイアの話にはいくつかの、特に彼女の立場や行動に対しての明確な矛盾がある。
いや。それは矛盾というよりもまるで、あえて目につくようにした誘いの餌であるようにも感じられた。
――なのでナインはそれらを全て無視することにした。
彼女が死者の数を減らすことに努力したという内容に嘘はなくとも、その美談めいた活動の裏で本当は何を狙っているのか――何を隠し、何故こうもあからさまにそれを匂わせてくるのか。
そんなことはどうだっていい。
ナインにとって大切なのは間違ってもこの場でディトネイアの思惑を見抜くことではなく……一刻も早く起動した神具の暴挙を止めること。
自分にしかできそうにないことをやる。
そのために行動することを、ナインはもう迷いたくなかったから――。
「何はともあれともかくだぜ、ディトネイア・オールドファンシー」
「! ……はい」
「あんたの言葉に虚言はないと俺の感覚が告げている。だから今だけは信じてやるし、従ってやる。連れていけよ。その手段もどうせあるんだろう?」
彼女の話が本当ならば、首都からここまでを移動する手段が彼女もしくは神具にはあるということだ。送り出されたという表現がその通りだとするなら力の在り処はおそらく後者にある。即ち、どういった術にせよ転移の前兆というものをナインズの誰にも感じさせないだけの驚異的な手段が――。
「……うふ」
にこりと。
今度こそ首のないディトネイアが、それでもはっきりと笑ったのだと察せられるだけの喜色を放って。
「ああやはり、あなたはそうなのですわね。シオナの視た通り、そしてあのおふた方にああまで言わせる通り。――なんとも素晴らしい」
彼女の背後に、ぽっかりとした穴が開いた。複雑な色味を湛えたどことも知れないその空間は、やはりなんの気配も漂わせないごく静かな代物で――。
「承諾も得られましたことですし、ご要望通りお連れいたしましょう――ただし、神具が突き付けた条件を守らせていただきたく思います」
「条件だと?」
「ええ。何を隠そう『彼』がしたためた招待状はたった一枚きりですので……私がご案内できるのはナイン様お一人だけなのですわ」
その途端。
ナインが、そしてクータたちもディトネイアの言葉に反応する僅かな猶予もなく、まるで彼女の意思とすらも関係がないように。
ディトネイアは背後の穴に吸い込まれ、ナインもまたそれに続き――気付いた時にはもう、共連れにそこから消え去ってしまった。
「な……」
吐き出されるようにナインの影から放出された、眠りについたままのフェゴールの身体をジャラザが抱き留める。そして絶句する。――異常なほどの速さでナインが「持っていかれた」。しかもその気配すらもぷっつりと途切れ、いわゆる遠距離転移の逆探知ができそうにもない。
「同じだ! あの女がどこからともなく儂らの目の前に姿を現したのと、まったく同じ……!」
「現象としては逆のことが起きていますが、それ故にマスターが向かった先もまた明白かと」
「そっか……! 『首都』だね! ご主人様はそこへ、七聖具に無理やり呼び出されたんだ!」
自分たちはその対面の場から省かれてしまった。それが七聖具の指定したことだと言うのであれば、そこにどんな理由や目的があるのかは判然としないが――けれどたとえどんな理由であろうとも、素直にそんなものを聞き入れるつもりなど彼女らにはさらさらなかった。
「行こう! 今すぐに、クータたちも首都へ!」
真っ赤な翼を背中から生やしてそう言ったクータに、反対の言葉は上がらなかった。




