49 吸血鬼の姉
短め、ここから本格的に2章始まりのつもりです
まあ次はまた幕間なんですけどね!
暗い部屋で、ふと女が顔をあげた。
「……あら」
どこかで声がしたのだ。
感情を大きく揺さぶられた声が。
何かに動揺して、震えて、それでも立ち向かうことを選んだような、情けなくも気高き声が。
彼女にとってよく聞き覚えのある声が。
「この感じ……ひょっとすると近くにいるのかしらね――ユーディア」
ユーディア・トマルリリー。
それは彼女にとっての妹分。ユーディアも彼女のことを姉様と呼び慕っている、疑似姉妹の関係である。
そう、二人に直接的な血のつながりはない。『始祖』と呼ばれる始まりの吸血鬼の血を引く遠い親戚のようなものではあっても、同じ親を持つ本当の姉と妹、というわけではない。
それでも二人が互いを姉妹として扱うのは、血盟を結んでいるからだ。
吸血鬼の血盟とは両者が相手の血を飲み合うことを指し、この契約を交わした者同士には特別なラインが形成される。
例えばこうして、離れた場所にいてももう一方の窮地を悟れるようになる。
大まかな位置が分かれば、別行動をしていてもすぐに合流できるし、弱っている場合には片方の血を供給することで体力の回復を図ることもできる。血盟で結ばれていれば、その回復が非常にスムーズになるという利点もあるのだ。つまりは救命措置の成功率が上がる。
だから彼女はユーディアの危機を察知できたし、助けに行くこともできる。やろうと思えば救援に向かうことは容易い。その気になりさえすれば――しかし、今の彼女にそのつもりは毛頭なかった。
「追い詰められている……体もそうだけど、それ以上に心が――いえ、これではよく分からないわね。相手はモンスターかしら、ヴァンパイアハンターかしら? まあ、どうにかなるでしょう。どうにかしなければならないわ。どうにもならなかったら、その程度だったということ」
酷薄な笑みを浮かべながら、彼女はその間も手を休めない。
鷲掴みにした人間の頭部を放さず「作業」を続ける。
跪いて頭を垂れるようにしているその男性は身じろぎひとつせず、形のない何かが脳内に埋め込まれるのを、抵抗もなく受け入れている。
体の内側から「自己」というものを作り替えられながら――なんの反応も示さず、諾々と、粛々と。
「ふふふ……だって私、今とっても忙しいんだもの。あの子に構ってあげられる暇なんてないわ」
姉はもはや、姉ではなかった。先日とある人間に取引を持ち掛けられ手に入れた種が、彼女の肉体にも精神にも多大なる変革をもたらした。
今の彼女は吸血鬼とすら呼べない者になっている。
そう、まるで――夜の王と呼ばれ恐れられる吸血鬼よりも、もうひとつ上のステージに立ったかのように。
存在の格を、上げたかのように。
「血を啜る必要すらないんだもの、魔性ここに極まれり、ね。もう魅了とは呼べないものになっているのが気になるけれど、それも大したことじゃあないわね。今の私は、吸心鬼。そう名付けてみましょうか」
クスクスと笑う彼女は、腰より伸びた金髪に美しい顔立ちと、ユーディアによく似た風貌をしている。彼女たちが並べば本当の姉妹にしか見えないだろう……ただし。
彼女が浮かべている嘲るような笑みだけが、二人の決定的な違い。ユーディアはどこまでも真っ直ぐな精神構造をしており、基本として自分を他人より上に置くことはあっても、いたずらに他者を見下したりはしない。
しかし彼女は――
「はい、完了。この力にもようやく慣れてきたわ……ふふ。これまでは細々とした指示しかできなかったけど、これで本格的に計画が進められそう。感謝しなさい? 人間ごときがこの私の役に立てるんですから」
どこまでも見下している、見下ろしている。
這いずる醜い虫を今にも靴底で踏み潰そうかという、残酷な瞳。
この場にユーディアがいれば、大いに戸惑ったことだろう。彼女のことを、自身の知る姉とは別人とすら思ったかもしれない。それほど彼女は以前と変わってしまっているのだ。
侮蔑の滲み出る口調も、冷淡な眼差しも、そして妹を「ユーディア」と呼ぶことも。
全部が全部、前の彼女であれば考えられないことであった。
「まずはこの街、エルトナーゼから。私の領土にしてしまいましょう」
騒々しくて人騒がせで傍迷惑な「人災少女」が面白半分に蒔いた種が、こうして芽吹き――花開く。
舞台は娯楽の街エルトナーゼ。そこは奇しくも、ナインの次なる目的地でもあった。