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482 ヤハウェvsナインズ

「この戦いにアリーカなんぞという足手纏いを引き連れてきたのが運の尽き……いや、奴がいなければ詛術によって再度お前は目覚めぬ眠りについていたのだから、どのみち詰んでいたことに変わりはないのだがな。いずれにせよ枯れた老骨を慮るお前はもはや俺に手を出すことなどできず――そしてこちらは好きなだけお前を甚振れるというわけだ。くっく……殴られた痛みをこいつ・・・で何倍にも返してやろうじゃないか」


「……っ、にゃろう」


 アリーカを人質とすることで絶対的優位を得たヤハウェ。やはり彼は自身の優勢が保証されると饒舌になるようだった。それもそうなろう、ただの拳撃一発で木術を無効化させるほどの怪物が威勢を忘れたかのように沈黙し、今や己が手の平の上。しかも彼の傍らには最高傑作の兵器がある。その威容にはナインもごくりとつばを飲み込むほどだ。


「――――」


 儀式の間の天井スレスレにまで頭を届かせる馬鹿げたその背丈――黒樹の巨人。口部を欠いたその頭から語られる言葉は皆無。しかしナインが感じているプレッシャーとは黒き巨体の見た目から受ける圧だけでなく、その全身から確かな戦意がひしひしと発せられていることも決して無関係ではないだろう。


「流石に顔色が変わったな。その肌で! 嫌というほどに感じられるだろう――こいつの力がな! この巨人こそが我が木術の奥義。このままアリーカを縊り殺せば詛術も併用できるのだろうが……もうその必要もない。そうだろうナイン。お前にはこれから死なない程度に平たく・・・なってもらうのだからな!」


 やれぃ! とヤハウェの号令に応じ巨大な木人がその極太の腕を振り上げ、すかさず叩き付ける。狙いは当然ナインである。


「ッ……!!」

 ガゴン!! と黒い拳に押し込まれた白い少女が潰れ、地面に出来上がったクレーターの中央に埋もれる。だが巨人の腕は止まらない。巨体にしては俊敏な動作で主人からの命令通りに――何度も何度も何度も何度も黒腕を少女へぶつける。


「――――!」


 叩くたびに穿たれる穴はより深くへ少女を沈み込ませたが――巨人はそこで気付く。これだけやっても命令が遂行できていない。『指先すらも動けなくなるほどに少女へダメージを与えること』――主人より与えられしその任務が未だ達成できていないのだ。



「……、」


 すり鉢状にまでなった穴の底から、しかし紅い瞳が。


 鮮烈なまでの深紅の光が、しかと己を捉えている。



「オォ――――」


 だが巨人に恐怖はない。命あるだけでも奇跡的なのに未だ五体満足でいる少女に関しては不可思議としか言いようがなかったが、そこに疑問の余地を挟むことで僅かにも退くような人間的な弱さを巨人は持ち合わせていなかった。


 命令が実行できていないのなら――何がなんでも実行するのみだ。


 樹木で出来た全身を勢いよく動かす軋みで声なき雄叫びを上げた巨人は頭上で両の手を組み、所謂アームハンマ―を形作った。ただし人がやるそれとは違い、組まれた拳同士は互いに絡み合ってより凶悪な戦槌ウォーハンマーへと変貌を遂げていたが。



 ぶん、と。


 穴を掘るために人がつるはしを振るうような仕草で、しかしてそれを巨人のスケールと腕力で――力を一点に、少女のみへと打ち付ける。



「ぐ……っ!」

 命中。巨人のハンマーを食らった少女は呻き声だけを漏らして土を被る。一見すると土葬された死体が掘り起こされて露出してしまっているような惨状だが――だがしかし。


「――、」


 まだ無事だ。ヤハウェが全開にした魔力を注ぎ込んで作り上げた黒樹の巨人が、その全力を発揮して本気の一撃を加えたというのに……それでもまだ少女は死んでいない。


 それは命の話ではなく闘志の話だ。


 口の端から血を流しながら、けれども小さな瞳は未だにじっとこちらを見据えている。自己意識を確立せぬままに大木の巨人が少女を獲物から敵へと認識を改める傍らで、その主人も驚愕に表情を凍らせていた。


「馬鹿な……頑丈などという言葉では収まらんぞ。『黒き森の巨木人』が潰しきれん人間などいるはずがない――そんなふざけた存在が存在していいはずがない!」


 本日何度目かの『あり得ない光景』を見せつけられたヤハウェが巨木人に任せるだけでなく、自らもまた攻撃に参加して少しでも早く効率的にナインへ手傷を負わせようとした――その時。



 通路を塞いでいた木壁が、唐突に弾け飛んだ。



「……!?」


 それは対フェゴール戦の開幕に作られた、子悪魔の逃走を防ぐための代物だ。状況が変化した今となっては無用の長物と化しておりたとえ木壁がどかされたとてヤハウェにとって困ることなど何ひとつありはしない――が、この場面において果たしてそれが誰の手によって壊されたのかという点は彼にとっても大問題だった。


 開け放たれたそこから飛び出してきたのは、三つの影。


「クータがアリーカを!」

「手伝いましょう」


 儀式場へ飛び込んでくるなり弓より放たれた矢のような素早さでアリーカの下へ迫る二人の少女。咄嗟に彼女らを止めようと術式を組んだヤハウェは「――っ!」三人目の少女が自分へ狙いを付けていたことで行動の中断を余儀なくされた。


「水流邪道――『毒蛇龍』!」


 致死毒を牙先に仕込んだ巨蛇。ヤハウェに猛然と突き進むそれを、黒い巨人の腕が一打のもとに粉砕した。飛び散って形を失う蛇龍はいたずらにジャラザの体力を消耗させただけに終わったが、けれどヤハウェが一瞬でも防御に意識を割いたのであればそれで彼女の目的は成った。


「『劫炎パンチ』!」


 元の真っ赤な炎とは異なる、どこか暗みを帯びた茜色の炎。夕暮れの空を思わせる色合いの出力を増したクータの燃える拳が、アリーカを包む黒樹のみを器用に焼いた。


「――『アドヴァンスレッグ』」


 燃えたそれを断ち切るように黒スーツの出で立ちとなったクレイドールの蹴撃が振るわれる。硬いはずの拘束は少女たちのコンビネーションによって容易く無力化され、アリーカは木の牢から解放された。


「やった!」

「無事ですかアリーカ様」

「あ、ああ。どうにかね……げほっ」


「余計な真似をする――ガキどもめが!」


 老婆の無事を喜ぶそこへ、少女たちを始末するべく無慈悲の鉄槌を振り下ろさせようというヤハウェの怒りに従って巨木人が大きく腕を引いた。クータとクレイドールは急ぎアリーカをその場から運ぼうとし、ジャラザは少しでも殴打の速度を遅らせようと水壁を備えた。


 だがそんな行為は無駄に終わった――何故なら。


「おぉおおおおおぉッ!」


 深いすり鉢の底から射出・・された少女が自ら当たりに行くように巨腕へ突っ込んで――そしてそこに思い切り拳を打ち込んだから。


「――」 


 やはり巨木人が声を出すことはない……だが彼に物を言うための口があったのなら、きっとここで叫び声を上げていただろう。


 正面から激突した拳と拳――よもや打ち負けたのが自分であることに、挙句に腕を吹っ飛ばされてしまったことに。


 左肩から先の部位をごっそりと失った彼は一瞬、ヤハウェの命令もないのにピタリとその動きを止めた。


「ふぅー……やり返せてちょっとすっきりした」


 さんざん殴られた礼を返せたことで笑みを浮かべるナイン。そんな彼女に足元からかかる声。


「只ならぬ激震から間違いないと思っておったが、やはりここへ来ておったか主様。どうやったかは知らんがその様子だと詛術の悪影響もなさそうだの……フェゴールは既に回収したのか?」

「おう、あいつなら影で寝てるよ。お前たちのほうこそやられてなくて安心したぜ。……悪いがそのままアリーカさんを守りながら下がっていてくれるか? 俺があいつをぶっ倒すまでよ」

「了解した。主様の邪魔はせんよ――」



「何を、ふざけたことを言っている!」



「「!」」

 異変。激怒の表情で拳を握りしめるヤハウェの険相は悪鬼のそれだった。だが何より顕著な変化は顔付きではなくその肉体と魔力。ただでさえ常人離れしていたそれらが、ここにきて一層に強大さを増した。


「『儀恤』の過程で貰い受けたこの力は! 俺の若さを保つだけではなく――戦闘用へと転じることも可能なのだ! 今こそエンバー様の悲願がどれほどに素晴らしいものであるか、愚かなる貴様らへ俺自身の全力によって証明してみせようではないか!」

「ゥオ――!」


 術者の力の昂ぶりに合わせて黒樹の巨人も吠える。その巨体から発せられるプレッシャーもまた同じく増大した……が、しかし。


 今や巨人よりも余程凄まじい威圧をヤハウェ自身が放っているのだ。これは術師としてのものだけでなく、ナインがこれまでに幾度となく戦ってきた……言うなれば超越者の気配。生物の枷から解き放たれた超生命体である『強き者』特有の強烈過ぎる存在感だ。


 ――これはマズいな。


 経験則からヤハウェの変貌の本質を正確に見抜いたナインは、彼の相手はやはり自分にしか務まらないことを理解する。同時に、彼と巨人を一度に相手取るのは褒められた行為ではないだろうということも。


「ジャラザ」

「なんだ主様」

「疲れているところ悪いんだが――巨人あっちの相手を、お前たちに任せてもいいか」

「ならばそう命じろ。儂らはお主のためこの場に立っているのだから、主様にもそれらしい態度を見せてもらいたいところだの」


 ふ、とナインは笑う。


 かくも自分の仲間たちは――怖いほど頼りになる。



「アリーカを守れ。そして巨人を俺に近づかせるな。できるな?」

「無論!」



 ――ナインズVSヤハウェ+木の巨人の開戦である。


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