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480 詛術師vs怪物少女

誤字報告御礼申し上げまする

「ハッ、見るからに怪しいもんが目の前にあるじゃねえか……! 大方こいつが儀式の要かよ!」

「! いかん!」


 天井を蹴り砕いて儀式の間へと侵入を果たした白い少女が、己が眼下の祭壇を一目見て姿勢を翻した。それを受けて次に何が起きるかを正確に理解したヤハウェは遅行術式を発動させる。


「おらぁっ!」

「させるものか!」


 それはフェゴールとの戦闘中、敵が策の一環としてそういった行為に及ぶことを考慮しヤハウェが保険として用意した、祭壇周りに予め仕込んでいた木術であった。しかしフェゴールは自身の都合故にヤハウェを打ち倒すことのみに専念したため結果として悪魔の魔の手は祭壇には及ばず、彼の用心深い仕込みも無駄になったわけだが――だがその無駄がここにきて活きた。


 あり得るはずもない介入者の存在、そして即断の祭壇への攻撃。本来ならいかにヤハウェとて新しく術を放ったのでは間に合わなかった可能性が高いが、既にそういった前段階は過ぎているのだから彼としては一安心――のはずが。


「――ぐっ……!?」

(止まらない! だと!? ――ならばこれならどうだ!)


 ナインの進行――否、侵攻を阻むため出現した防壁はしかし、その蹴りによって次々に砕かれていく。まさに破竹と評すしかない怒涛の勢いで祭壇へ突き進む少女へ戦慄を抱いたヤハウェは、それでも我を失うことなく木術を操作。真正面から受け止められないなら……逸らせばいい。


「ちぃ……っ!」


 信じられない速度で成長する樹木がいくら立ち塞がろうと気にも留めずにそれごと祭壇を蹴り抜こうとしていたナインだったが、木の動き方が目に見えて変わったことに顔を顰める。祭壇を守るため……ではなく、蹴りの方向をズラそうとしている。真っ向ではなく、横合いから。押し流されるように樹木の波に進路を調整されたナインは最終的に元の狙いである祭壇から数メートルほど横の位置に着弾することとなった。


「ナイン……!」


 儀式場に降り立ったナインのすぐ傍にはフェゴールがいた。ひどく疲労した様子で跪き、地に手をつく彼を見て少女は――明るくにっかりと笑った。


「おう! 無事だったかフェゴール」

「無事だったか、じゃないよ……君のほうこそもう大丈夫なのかい?」

「見ての通りさ、ぴんぴんしてるよ。だから心配はいらねー。お前は影に戻ってゆっくり休憩してな。後のことは俺がやる」

「もう限界だし、そうさせてもらおっかな……。くれぐれもクータたちのことを頼んだよ、キャプテン」

「ああ。任せとけ」


 その言葉を最後にナインの影へ吸い込まれるようにフェゴールが姿を消した。影の魔術。珍しいそれをナインかフェゴールのどちらかが習熟しているらしいことにヤハウェは少なからず関心を持ったが、けれどそれは心の片隅に起きたさざ波程度の波紋でしかない。敵の使う術がどういったものか、という情報は戦闘時には値千金以上の価値を持つ宝だが――今の彼はそれ以上に関心を寄せざるを得ないものを他に目にしていたのだ。



「――アリーカ・・・・……!」



 ナインがくり貫いた大穴からふわりと降りてきた一人の老婆。彼女の名を呟いたヤハウェの声には只ならぬ感情がよく表れていた。


「そうか、奴がここまで来られたのはお前の手引きだったかアリーカ……! 娘にかけた詛術をどうやって解いた。その眼に俺のまだ知らぬ力でもあったか、それとも魔力も操れない身でまさか新術でも編み出したか……?」

「――老いたね、ヤハウェ」

「は……?」


 邂逅・・一番のアリーカの発言にヤハウェは一瞬ぽかんとしてから――しかしすぐにも気を取り直して冷然とした笑みを浮かべた。


「何を言うかと思えば……お前こそ加齢で視力か頭のどちらかをおかしくしたらしいな。よく見てみろ! 『儀恤』の効力は確かだと他ならぬ俺の身が証明している――この若さに溢れた肉体はどうだ!?」


 ローブを脱ぎ去る。ヤハウェは腰布一枚という薄着にも程がある恰好をしていた。しかしそれでも見る者にみすぼらしさを感じさせないのは、彼の肉体が端整な筋肉に覆われた彫刻が如きプロポーションを誇っているからであろう。


「よくぞ感じ入るがいい。以前の俺とはまるで見違えただろう、これが『儀恤』のエネルギー! この溢れる力を研究一心に費やし、ついにエンバー様の復活は目前だ。そして俺自身も術師としての技量を遥かに伸ばしてもいる。いいかアリーカ、俺は老いたのではない。過去共々にお前を置いていったんだ!」


「ああ、そうだね。あんたはわたしを置いていった……最悪の魔女の統治。血と力こそがルールの詛術師の世界に惹かれたあんたは、わたしたちを裏切った」


「裏切った? それは違うな……魔術界こそが俺たちを裏切ったんじゃないか!」


「だが、アルルカに救われたろう。そこで踏みとどまることだってできたはずだろう。現にわたしはあの時代、あの人の下であんたらと戦ったんだから――」


「利用されただけだ、お前は! それに気付かぬ愚かさこそが当時の俺たちを苦しめたのだと、何故まだ判らん!? アルルカこそが魔術界の癌そのものだ――奴が俺たちを騙さなければ……夢など見させなければ! そしてエンバー様を卑怯な手で討ちなどしなければ今頃は、俺たちこそがこの世界を……!」


「まだそんなことを言っているのかい、あんたは」


「当たり前だ、詛術とは支配の力! 絶対なる真理のひとつを俺は操れるようになったのだから! 一度術を破った程度でつけ上がるなよアリーカ……。娘のほうはどうにかできたとて、お前自身にはまだ俺の詛術の効果が――」



「あの子にかかった呪いを解いたのは、わたしじゃあないよ」



「……!?」


 思いがけぬその言葉に、ヤハウェは弾かれたように首を動かした。視線を向けたのは白い少女――ナイン。身体の調子でも確かめているのかおいっちに、と呑気に伸びをしている彼女と視線が合って。


「あ、話終わった?」


「……っ、」

「――だから老いたと言ったのさ。パワーだけじゃない、ナインの持つこれだけの異常さをすぐに察知できないようなら……あんたもわたしと同じ、ただの死に損なった老いぼれでしかないとね」

「何を下らんことを……! 我が儀式に依然として異常はなし! そうまでも信じたくないならその目に見せつけてやる、二百年の研鑽が培った俺の術を――俺の得た強さをな!」


 半裸のヤハウェが惜しげもなく晒す筋肉が一際隆起する。肉体に途轍もない力が漲っていることがよくわかる。……ただし彼は術師であるからして、この筋肉の膨張には殆ど意味がないのだが。



「エンバー様が使ったのと同じ『黒樹』を! とうとう俺も会得するに至ったのだ――こいつはもう蹴り如きでは止められんぞ、小娘!」



「……!」


 ドス黒い樹木。見るからに普通ではないそれが「生える」というよりも地を割り裂いて己へ殺到してくる。しかも前方からだけではない、左右そして背後からも。恐ろしいまでの速度で押し寄せるそれらはしかし、明らかに獲物が上へ逃げるようにと誘導してもいる。


 一瞬で自身の置かれた状況を読み取ったナインは――そこで地面に両手をついた。


「ほっと」


 逆立ち。やけでも起こしたようなその選択にヤハウェは眉を顰めたが、すぐにも目を見開くこととなった。


 ナインが、回ったのだ。


 手を軸にまるで独楽のように――されど勢いは独楽の比ではない。小規模の飆嵐。突如として生じた災害の中心へ突入した木々は、届いた先から瞬く間に全て弾かれ折られてしまう。


「……!」


 がりがりががりがり!! と優に少女を圧し潰せるだけの質量を伴った黒樹の波が嵐の壁に止められそれ以上進めない。信じ難い光景を目の当たりとしてヤハウェは表情を険しくさせた――その途端に嵐がふわりと浮き上がる。


「ちっ、硬ってえなこいつら!」


 少女は少女で、独楽戦法によりまとめて木々を吹き飛ばすつもりだったのが叶わなかったことで辛酸を味わっているしい。ヤハウェからすればそんな戦法を思い付きあまつさえ実行に移してしまう時点でふざけているとしか言いようがないのだが、それはともかく。


 まるで回された竹とんぼを思わせる挙動で――つまりはとても人間のそれとは思えない動きだということだが――体を浮かび上がらせた少女はふいにその回転を止め、


「――月光剣!」


 いずこかより取り出した青白い光を放つ大剣を、先ほどまで自分がいた場所へ投げて突き刺した。


 どくん、と鼓動のような音が響く。


 それは月光剣が自らの持つ『中和』の力を解放した証。地面に突き立った剣から波動が広がり、それを浴びた黒樹の成長が著しくその速度を落としていく。


「月光属性だと……!?」


 影属性より更に珍しい代物を能力として宿した魔武具。そんなレアなアイテムが着の身着のままといった様子なうえにどう見ても徒手空拳こそが主な戦闘法プレースタイルであるナインから飛び出したことで少なからずヤハウェは驚かされたが――しかし直後には、ニヤリと。


 丁度いい、と彼の内心には笑みがあった。



(読めたぞ……! 月光の力なんぞに詛術は防がれはしないが、俺は未だ詛術師とは名乗れないほどの未熟者でしかない……故にあの剣ならば! 俺の衰弱の呪いを切り裂いてみせたとしても納得がいく――とすれば、それを手放した今こそが再び呪いをかけなおす絶好のタイミングだということ!)

 


「俺の力が木術だけだと思うな……! 何をやられて意識を落としたかもう忘れたというなら、すぐに思い出させてやろうではないか!」

「……!」


 ぞわりとしたあの感覚・・・・がまたナインを襲う。


 それは紛れもなく命を脅かすことにのみ特化した人類最悪の術が、今にも我が身へ絡みつこうとしている前兆であった。しかして来るとわかっていようといなかろうと、そしていかにナインであろうとも、魔法ですら防ぎきれないそれへ事前に対処するべなどなく――。


「もう一度! 今度はより深く、二度とは戻れぬ衰弱の闇の底へ……堕ちてしまうがいい!」


 詛術師ヤハウェによる、不可避にして防御不能の呪いが少女に向けて発動された。


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