478 登場
ヤハウェの推論は押し並べて正しく、フェゴールは限られた強化の手段を制限いっぱいに使い果たし今や体内には欠片程度の魔力しか残されていない、言うなればガス欠のピンチの只中にいた。
そもそもがドーピングのような無理矢理の強化だったのだ。とある戦いを機に弱っていたところを人間たちの勘違いによって『聖杯』に封印された彼は長い年月をその内部で過ごすうち無惨なまでに力をすり減らし、今となっては元の姿にも戻れないほどに重度の弱体化を強いられている。
最近では紆余曲折の果てに『紐付き』であっても自由を取り戻し調子を良くしてきていたと言えども今回強行的に切った自らに眠る力の一部解放という選択は、間違いだと断じられることはなくとも正解にも程遠いものであったろう。
忌まわしき杯から抜け出して今日という日までじっくりと力を蓄えていたならばまだしも、彼は復活直後からシリカのために湯水のごとく魔力を使用していたのに加え、強制的にナインズの一員にされてからもナインの窮地を救うために割と頻繁に多量の魔力を消費してきてもいる。魔力が肉体の根底でもある悪魔が弱った状態でそんなことをすればろくすっぽ力が戻らないのも当然。人を助けるも助けないも自由である、と勝手気ままな性分を演じつつも『好きになれた人間のためなら弱ったままでもいい』という隠し切れないお人好し特有の考え方でいたフェゴールであったが、その結果としての今がある。
自分の力の使い方に後悔はない――だがしかし、起死回生のつもりでいた切り札が時間稼ぎなどという小癪な策に破られ地に膝をつくこの現状。ヤハウェに見下されていることは最上級悪魔としての誇りを持つ彼にとっては非常に不愉快だというのに、そのうえで他にも『悪いこと』が起きたと詛術師は言うのだ。
――勝負の決着がついた、と。
意味深にそんなことを宣われたものだから、フェゴールの脳裏に浮かぶ想像はたったひとつの最悪の答え。
「まさか……あの子たちが死んだとでも?」
「…………」
虚言を吐くことは許さない。
強き意思を瞳に込めて訊ねるフェゴールを無感動な表情で眺めたヤハウェは……ひょいと肩を竦めた。
「さてな」
「……!?」
「お前の仲間の生死については定かではない。感知網は入り口にのみ仕掛けたものだからな。まあ、生きているならそのうちここへ来るだろうが……」
「――どういう、意味だい? あの子らの様子も分からないのに君は何をもって決着がついたなんて言ったんだ」
「お前にもすぐわかる。――ほうら、丁度戻ってきたぞ。俺が奴らに貸し与えていた魔力がな……!」
ヤハウェの言葉を証明するように彼の体から力が漲る――増大する。
元から魔力量に優れていた彼の力が、途端に数倍にも増したのだ。
フェゴールを相手に戦った分の消費量を踏まえてもなお有り余るだけの莫大な魔力が、今のヤハウェの肉体には満ち満ちている。
「これは……!?」
「メロウ、エルツ、ゼリ――エンバー様が創り出し、そして廃棄した試作品にして不良品たち。奴らは俺の魔力によって動くことができていた。四等分になって分け与えていたそれらが今、こうしてひとつ所へ戻ってきた。戦う力を失ったお前とは反対に、俺は本来の力を取り戻したというわけだ」
まさしくお前にとって悪い知らせだろう? とヤハウェはせせら笑う。
それに返答することなく、フェゴールは逆に問い返した。
「君の部下たちは、どうなった? 魔力を返してしまえば彼女らは動けもしないんだろう」
「まさか自らの意思で返還したわけではあるまいよ。敵との戦闘の果てにそうさせられた――つまりは死んだのだろう。エルツだけなら修理できる可能性もあるが他の二体はもう駄目だろうな……どのみち手間をかけてまで直すつもりもないが」
「……、」
「一応は見事だと言っておこうか。お前の仲間たちは勝ったようだ。相打ちで諸共にくたばっていることも十分に考えられはするが、されど敵を討ち取ったのは事実。それに比べあのがらくた共のなんと下らないことか。戦う以外に能もないくせにそれすらまともに果たせんとはな……さすがに呆れる。もはや怒りすらもわかんぐらいに」
ふう、とため息を吐くヤハウェ。その顔には部下を殺された悲壮感などほんの僅かにも浮かんではいなかった。
「ずいぶんとまた……冷たいじゃないか。あの子らを失って惜しいとは悲しいとか、少しは思ったりしないわけ?」
「悲しむ? 惜しむ? ……そんなものあるはずがない。たったひとつの役割すら果たせんゴミだぞ。それが壊されたとてなんとも思わんさ。奴らがいようがいなかろうが低能故に俺の作業量は然程変わらんしな。いやむしろ、足手まといがいなくなったことでこれからはより捗りもしよう」
冷笑でもって応じたヤハウェに、フェゴールはどことなく面白くなさそうな目を向けた。
「呆れるね。君らに仲間意識ってものはないの?」
「愚かな問いだ。あんな廃棄物を仲間だと? 馬鹿も休み休み言え。所詮は出来損ないのがらくた、壊れたのならばもういらん。仲間意識など持つわけがない――それは奴らとて同じだ。俺への反発心から団結はしていても互いのことを仲間などとは露ほども思っていなかったろう。俺たちをまだしも集団として纏めていたのはエンバー様の復活、その絶対の目的への忠節のみだ」
断じてそう言い切ったヤハウェ。力を取り戻したことが原因なのか、その表情には全能感が溢れている。彼に部下の死を悼む気持ちがないことは明らかだった――幾分か饒舌さを増した冷淡なる詛術師を前に、フェゴールは。
「……よかった。ならきっと、あの子たちは無事だね」
「――何故そう確信できる? 廃棄品とはいえエンバー様の創作物。奴らの性能はそれなりだ。お前の仲間各人も致命傷を負っている可能性は高いと思うが」
「いーや、大丈夫さ。だって君たちはその程度の連中でしかないんだから。そんな奴らに負けるあの子たちじゃあ、ないよ」
自信満々に、フェゴールもまたそう言い切った。とても弱り切っているとは思えないその態度。そして大した根拠もなく仲間の生存を信じている様子の子悪魔を見て、ヤハウェは純粋に疑問を抱いたようだった。
「……まったくわからんな。仲間意識などという、下等な馴れ合いに身をやつすお前たちこそが脆くあるはずではないのか」
「見解の相違だね……。いいさ、君に理解してもらえるとは思ってないよ。あの子たちの強さってものを、君なんかに理解してほしいともボクは思わない」
「そうか……まだ諦めるつもりはないと。これはご立派なことだな。だがいくら心意気を高く持とうと――現実は変わらんよ」
ゴウッ!!
暴風が吹き荒れた――と錯覚させられるほどに濃密な魔力がヤハウェから発せられる。これが、二百年も『闇の領域』において研鑽を積んだ詛術師の本当の実力。単純な数値で見ても四倍に跳ね上がった魔力の放出は、強化が解けてただの子悪魔へと戻った……だけでなく衰弱までしている今のフェゴールには些か強烈に過ぎた。
「ぐう……!」
堪えきれず、情けなく地を転がる。プレッシャーに圧され立ち上がることもできない彼は、嵐をやり過ごすように身を低くするだけでも残った力を使い果たしてしまいそうな様子であった。
「ふ……先ほどまでの暴れ様が嘘のようだな。やはり反撃の余力は一切ないと見た……が、ここで油断をするのも芸がない。念のために四肢を引き千切って今度は簀巻きにしておこう。弱らせすぎると『儀恤』で徴収するエネルギーが減ってしまうのが難点だが……なに、構うまい。どうせお前は本命の前座でしかない」
す、とヤハウェが地に這いつくばる子悪魔のほうへ手を伸ばす。すると彼の周囲から禍々しく黒く染まった木の枝が生えて、その手と連動するように蠢いた。
「『黒樹』か……! そんなものまで君は」
「ふん、流石に見識が深いな。その通り、これぞエンバー様が詛術以外に得意としたもうひとつの魔術。通常の木属性魔術を超越した、死と生命を同時に司る木静神の黒き森の秘儀……! 俺はまだ女王の足元にも及んでいないが、しかしようやくここまで届いた。喜ぶがいい悪魔よ。この黒樹で直々に祭壇へ括りつけられるのはお前が初めてだ」
「誰がそんなの喜ぶもんかよ……っ、」
「恨みたいなら好きなだけ恨め。とまれそれを言うなら、悪魔ともあろう者が人に与したその愚行こそを後悔すべきだろうがな……――っっ!?」
朗々と語っていたヤハウェが突如としてその口を閉ざした。余裕のあった顔に確かな狼狽の色を浮かべ、フェゴールとは別のどこかを強く見つめる。……そうやってしばらく何かを探っている様子だった彼は、何かしらの確信を抱いたのか「ありえん」と低く声を漏らした。
「いったいこれはなんだ……、こんなことが起こり得るはずがない……こんな馬鹿なことが!」
「……?」
激しい動揺。ヤハウェの身に何が起きているのかとフェゴールは訝しんでいたが、この次の瞬間には彼もまた大きく目を見開いて――そして敵とまったく同時に、上を見た。
儀式の間の天井部。ヤハウェの術で当初とはいくらか様相が変わりつつも分厚い岩盤によって変わらず地上との間に堅固な蓋を敷いているそれが……ビキリ、と。
唐突に罅の刻印を生じさせたかと思えば。
「「……っ!」」
子悪魔と詛術師の視線の先で――猛烈な音を立てて弾け飛んでしまった。そこから飛び出すように地下深くのこの場所へ岩盤ごと地中を掘り抜いて飛び込んできた何者かが姿を見せる。
それがいったい誰であるかなど、見上げている二人にはとうに分かりきっていた。
「ナイン……! 復活したのか」
「小娘めが――どうやって我が呪いの効果を打ち消した……!?」
フェゴールが嬉しそうに、ヤハウェが忌々しそうに言葉を紡ぐ先で。
白いオーラを身に纏う少女の深紅に輝く瞳が、一際強く輝きを発した。




