477 ヤハウェvsオルトデミフェゴール②
「実に驚きだ。ここまでやってまだ捕まらんとは」
「くっ……、こんの引き籠りめ!」
「不満ならば引きずり出してみろ――お前にやれるならな」
ウッドスパイク。何度目かの足元から急襲をかけてくる木の棘群を、フェゴールはジャンプによって躱す。遥か高くまで跳び上がった彼は天井に足をつけ、そこを蹴りつける。天井からも生えてまとわりついてきた枝を爆発的な勢いで引き千切りながらヤハウェ目掛けて急降下するが、彼が跳んだときには既にそれが出来上がっていた――術師を守る木術のシェルター。層が何十にも重なった多重構造の、フェゴールからすれば唾を吐きたなくなるほど堅牢なものだ。
「またこれかよ……もう!」
球面のそれに激突したフェゴールは腕を振るってヤハウェの守りを突破しようとする。着弾の衝撃と強化された腕力は凄まじく、鉄より遥かに堅いヤハウェの重層木壁へ大きな穴をこじ開けることに成功した――が、できたのはそこまで。
「!」
もう一歩でヤハウェ本体へ手が届く、というところでフェゴールは後方へ跳び退いた。新たな木壁が自分を挟み込もうと穴周辺から形成されていたことと、忍び寄るようにして両手足にも枝が伸びてきていたからだ。ほんの少しでも判断が遅れるか、ヤハウェに釣られてもう一歩前へ進んでいたら、今頃は全身を拘されてしまっていたことだろう。
「――こいつ」
歯軋り。フェゴールは我慢がならなかった。先ほどから彼とヤハウェの戦闘は終始この調子なのだ。フェゴールが攻める。ヤハウェが守る。攻守は常に一貫している――ただし。
変幻自在に木を操るヤハウェが己が身の安全を第一としながらも隙あらば拘束を試みてくるものだから、いまいち攻めきれないでいるフェゴール。それに対してヤハウェの守りは万全の一言だ。少なくとも今のところはまだ一撃も有効打を許しておらず――そして何かしらフェゴールが手を打たない限り、この状況は続くことだろう。
だから我慢がならないのだ。ヤハウェの魔力や体力も無限ではない。この調子でばかすかと術を使っていればいずれは先に彼のほうが力尽きる――とは『ならない』ことを知っているからこそフェゴールはこうして攻め立てつつも大いに焦りを抱いていた。
いや、より問題なのはそれを明らかにヤハウェのほうも見越しているというその事実だろう。
自分の隠している秘密が高い精度で見抜かれてしまっているという、それ自体が何よりフェゴールを焦らせている要素だと言える。
「大したやつだ。悪魔の強さとは潤沢な魔力とそれを操る技量に支えられたもの。只管に腕を磨いた術師であってもおいそれと対抗できるものではない。故に悪魔は人からひどく恐れられる……が、今のお前にその強さはない。悪魔らしくもない肉体強化による力任せの戦い方。そんなもので俺の木術にこうも対応できるとは……偽りなく恐れ入ったよ」
賞賛の言葉も木の影から。油断なく自分と敵の間に木壁を挟みながらまるで感心したような口調で悪魔への評価を語るヤハウェに、フェゴールは眉根を寄せる。
――彼の感覚は今この時も部屋中のあちこちから枝の蠢く気配を捉えている。地中という目には映らない部分にも抜け目なく仕込みが行われているのがフェゴールにとっては丸わかりだ。
「まったく……亀さんなのかい君は。陰気に籠ってばかりいないでそろそろお外に出てきなよ、ヤハウェちゃん」
「その必要を感じないな。何故ならこうしているだけで――お前は遠からず自滅するからだ」
「……!」
やはりバレている。ほぼ確実ではあっても絶対ではなかったものが、いま確定した。ヤハウェはとうにこの勝負の行く末を頭に描き、そうなるようにと徹底的なまでに『危険を冒さない』ことに執心しているのだと。
「――だったら!」
そうなる前に決着を急ぐ。
これまでやってきていることをより苛烈に行うこと。
それが最適解――というより、それ以外にフェゴールがやれることはなかった。
「また来るか。それもいいだろう。無駄な努力を重ねてその時が早まってくれたほうがこちらも楽になる」
「好きに言ってるといいよ、亀野郎!」
駆け出す。と同時に直下よりせり上がる木壁。顎を打たれそうになったフェゴールはしかし驚異的な反射神経で反応し、後転。そのままそこにしゃがみ込み、そして跳ぶ。地面・壁・天井は即ちいつでもヤハウェの木術が伸びてくる危険地帯。それが故に中空にしかフェゴールの安心できる居場所はないのだが、そこすらも安地とは到底言い難く。
「っ、」
天井部から生えた無数の木筒。その先端から木の弾丸が斉射されたことでフェゴールは表情を歪めた。ここにきて新しい攻撃法が出てきたのに驚きつつも、対処は遅れない。「はぁっ!」虚空に浮いたままでも見事な蹴撃を繰り出し、弾丸をまとめて打ち払う。と、その隙に縛り付けようと下から生え伸びてきたいくつもの枝を、フェゴールは逆にむんずと掴んだ。
「よぉいしょっと!」
思い切り引く。根が引き千切れるくらいに遠慮なく枝たちを引っ張り、慣性によって浮かび上がるそれらとは反対に自分は地面へと着地して。
「!」
途端にトラバサミのような形をした木の罠がフェゴールの足首を断裂させようかという勢いで挟み込んだ、が。「ふん!」と脚に力を込めて一振り。それだけでヤハウェの何手先をも見通して用意したトラップは粉々に破壊されてしまう。
「簡単に壊してくれる。なんとも手のかかることだ」
「猪口才な魔法使いだよ――いや、中途半端な詛術師といったほうがいいかい!?」
「そちらこそ好きなようにするといい。お前からどう呼ばれようとも俺は構わない」
急接近してくる悪魔へいつの間にか傍に生やしていた大樹の魔物をぶつけることで足止めするヤハウェ。構築系の術の中でも特殊な部類に入る木属性の創成術、その生成力に顔を顰めるフェゴールを他所に彼は深く被っていたフードを外して――ここまで人目に晒していなかったその素顔を披露した。
彼は、若かった。
見た目で言えば二十代そこそこの青年。ただし灰がかりであるくすんだ金髪や、落ちくぼんだ瞳と、老成したようなその顔付きによって――印象としてはとても奇妙なことに、どう見ても若くあるはずなのにどことなく彼は、ひどく年老いた一人の老人のようにも思えた。
「さてはと思っていたけど君――やっぱり老化を他人の生命力で歪めているのか……!」
「ああ。そうでなければ先に俺の寿命が来てしまうからな。女王を蘇らせるためにも、『儀恤』のエネルギーを多少なりともこの身に取り込むことが不可欠だった。……恐れ多いことだ。だから訂正しよう。やはり俺のことは詛術師と呼んでくれるな。独学でいくつか覚えはしたが未だ女王からの薫陶はなく、そんな自分が詛術師を名乗るのはおこがましいだろう」
「はっ……、あれから時代も変わって人の社会も変わったっていうのに――人間自体はなぁんにも変わっちゃいないね。相も変わらずの内輪争い! 同じ種族同士大人しく仲良くしてりゃあいいのに、そんなんだから悪魔に付け込まれる奴が後を絶たないんじゃないか?」
「そのほうがお前にとってもよかろう」
「くふふ、確かにそうだ!」
込められた魔力量からしても存じていたことではあるが、トレントはやはり強靭だった。膂力で今の自分と与するその魔物を相手に時間をかけていてはマズい。ヤハウェの気まぐれかまだ見逃されてはいるが、この状態は拘束を仕掛ける絶好の機会を与えているに等しい。
――こうなったらしょうがない、とフェゴールは最後の手札を切った。
「はぁあああっ!!」
闇の魔力を全開にし、瞬間的な超強化によってフェゴールはトレントを引き裂く。多大な魔力を消費して生み出した魔物を粉微塵にされたことで多少なりともヤハウェは反応を示したが、けれど。
そんな彼に得意ぶった顔を返せるような余裕は、フェゴールにはなかった。
(あ、れ……しまった。これでもう、時間切れなのかよ……)
がくりと膝をつく。しゅうしゅうと音を立てて悪魔の身体から煙が上がる。まるで幻が解けるように、とでも言えばいいのか。そうやって漏れていく何かは少しずつフェゴールの成長した肉体を小さくさせていった。
「く……、」
「やはり訪れたな……お前の限界が」
「いつから、気付いてた……?」
「いつというなら初めからだ。悪魔のくせをして術を使おうともせず、俺が一人になる機を伺い、そして再拘束を嫌がるその動き方……明らかに重い制限を抱えていることがわかる。祭壇から自力で脱出したのは見事と言う他ないが、アレには強化状態の持続時間を縮めるリスクもあったのだろう。今トレントを砕いたのと同じように、な」
「…………」
「まあ、そういった要素がなくとも目に見えて力を落としている様子だったお前が、戦闘でいくらでも暴れられるなどとは思わんよ。だから俺は待った。下手にこちらから攻めては足をすくわれかねなかったんでな……お前の言う、『引き籠る』ことに徹しさせてもらった」
「勝ち誇ってるとこ、悪いけどさ……ボクがこのまま負けを認めるだなんて思ってるなら、大間違いだぜ? 確かに強化は解けたけれど、まだまだボクは戦えるとも……!」
「……ふむ」
顎に手を当て、ヤハウェはちらりと儀式の間の未だに防がれている出口を見た。その先には地下洞窟がアリの巣を思わせるような形で広がり、何処かにおいてヤハウェの部下とナインズが激闘を繰り広げているはずだが――。
「どう考えても戦えそうにはないが。それでもハッタリをかませるだけ素晴らしい精神力だと言っておこうか……。しかし、悪いこととは重なるものだな」
「悪いこと、だって……?」
「ああ。どうやらここ以外の勝負も、たった今決着がついたようだぞ」




