467 魔法使いの血の歴史
「殺しのためだけの魔術。新たに生み出されたそれに詛術という概念まで与えたのが、詛術師一派の創始者であるエンバーという一人の魔女。圧倒的な殺意と支配欲を持ったその女は信奉者からは『詛術の女王』と称され、それ以外からは『最悪の魔女』として恐れられた。魔術界の頂点に立ち世界を手中に納めんとするそいつの野望を、若きアルルカ・マリフォスが打ち砕いたんだよ。長くエンバーが率いる闇の軍勢と真っ向から対立し、そして直接対決の末についに勝利した……五十年以上続いた大戦時代の中期頃のことさ」
戦争の渦中に乗じるように勢力を伸ばし魔術界の大勢を入れ替えようと進軍していたエンバーとその配下をアルルカは実質単騎で食い止め、そして最後にはエンバーとの一対一の勝負で雌雄を決した――魔法学校でもカリキュラムの過程で詛術の名と概要は省かれつつも必ず語られる、凄惨ながらも華々しい正しき魔法使いの紡いだ歴史。
もしもアルルカが負けていれば今頃は魔法使いではなく詛術師が世に蔓延っていたことだろう、とアリーカは断言する。
「エンバーとはとかく恐ろしい女だった。力とは暴力。強さとは殺すこと。そして己が使命はこの世の全てを支配することだと信じて疑わない巨悪そのものだよ。見る者触れる者を焼け爛れさせる怨念の炎が如き激しい女――そしてだからこそ惹かれる者は強烈にその心を掴まれたんだろう。エンバーの信奉者たちは即ち狂信者さ。そんな信者の中からエンバーは弟子を取った。……お前たちが見たという黒ローブは間違いなく、最もエンバーの近くにいた側近たる弟子たちの一人、『末弟のヤハウェ』だ」
人攫いヤハウェの正体とは、最悪の魔女が最後に迎えた弟子であるという。
師を失くした彼が時代の移ろう中で何をしているのか――それは当然。
「奴にとっての信奉すべき女王。エンバーその人を蘇らせようとしているんだよ。わたしはそう確信している」
「「「……!」」」
アリーカの言葉に、黙って話を聞いていた三名も流石に口を挟まずにはいられなかった。
「よみがえらせるって……生き返らせるってこと? 死んだ人を!?」
「できるものなのか、そんなことが……?!」
「ノン、否定を。死者蘇生はどんな超常の術よりも超常的な、人には再現不可能なまさに神話の御伽噺でしかないはず」
にわかには信じられないといった様子の彼女らに、しかしアリーカは。
「エンバーをただの人間だなんて思ったら大間違いさ。少なくともわたしはあいつがただで死んだなんてことは考えもしなかったし、わたしですらそうなんだから信奉者たちは尚更だったろう。このことはエンバーを斃した本人であるアルルカですらも認めたんだよ。だからこそ当時の彼女は詛術師の残党を徹底的に叩いた。抹殺者として名を上げていた数人のエンバーの弟子らを中心に、信奉者のコミュニティを根絶させるため潰して回った。……ただし、唯一にして絶対の主柱だったエンバーを早い段階で屠ったことが裏目に出ちまった。敗色濃厚と認めた詛術師たちの一部は徹底抗戦ではなく逃げることを選んだ……末弟として選ばれはしたもののまだ詛術をろくに身に着けていなかった当時のヤハウェも、そういった逃走を図ったうちの一人だったのさ」
「逃げ延びて、生き延びて――そして其奴はこの地でエンバー復活を狙っていると?」
「その通りさ。てんで弱小でしかなかったヤハウェへ、おそらくそれが故に他の弟子たちは期待したんだろうね。弱いからこそアルルカの目に留まらず逃走も可能だろう、とね。ヤハウェは兄弟子たちの助けを受けてどうにか生き残った。きっとその時に、なんらかの秘儀を授かってもいたんだ」
「詛術師側の内実がそうであったとして……アリーカ様。何故あなたにそんなことがわかるのですか?」
「そりゃあ、あいつが作り上げた闇の領域があるからねえ。この先にあるあんたらが奴に襲われた場所一帯のことさ。正確にはここもまたその内側に含まれるが……ともかく領域魔術は高等技だよ。詛術という、異常に癖が強く血と殺しに酔える者にしか適性がない術式を編むような魔術で為すとなれば余計にね。本来ヤハウェにこれほどの力はなかった。敗走の折に何かしら秘術に値するような教えを詛術師一派の誰かから授けられたのは間違いないだろう。……それでも、その程度だったんだ。領域とわたしにかけた呪いで容量をパンク寸前にした、エンバーどころか他の弟子たちにも程遠い実力。詛術に魅入られた奴の得た力なんて所詮その程度だったはずなのに――」
ナインを振り返る。眠り続けるその姿を見て、アリーカは重たく息を吐きだした。
「最悪なことに、奴はいらない成長をしちまっているようだね。もう師もいないくせに独学で詛術を習得し、その力を格段に伸ばしているらしい」
「ご主人様は、そじゅつをかけられたせいで起きられないの?」
「そうさ。見てごらんよ、呼吸が浅いのに眠りは深い。肉体的にも魔力的にも弱まっている状態――限りなく死が近く、この上なく死に易い状態。完全に生殺与奪の権を握られた姿……詛術にやられた被害者の典型的な例のひとつさ」
魔術界に反旗を翻して以降の最悪の魔女エンバーは歯向かう者を躊躇なく殺す暴君であったが、人々をより苦しめるために即殺が有効でない場合にはこういった術も好んで使っていた、とアリーカは昔を思い出すように語る。それと同じ芸当を、現在のヤハウェもできるようになっているのだと。
「もう一度言おう。詛術とは一から十まで対象を害すためのものだ。魔力や防御術での抵抗も殆ど働かず、一般的な解術も機能しない、まさに究極の殺人術。それにやられちまったからには、ナインはもう目覚めようがない。術者であるヤハウェを倒さないことには、ね」
「……ふむ、合点はいった。主様の身に何が起きたのか、ヤハウェとは何者なのか。その目的まで知れた。その点でアリーカ老には感謝しかない。儂らを匿ってくれたことも含めて諸々の礼を返さねばならないだろう――だが。その前に、未だ合点のいかんいくつかの疑問にも答えてもらいたいところだ」
真剣に問うジャラザの言葉の続きを、アリーカは無言で待った。
「口振りからしてお主が、詛術師が台頭していた当時の生き証人であることは窺えた。アルルカ・マリフォスと旧知の間柄であるというのもな――しかし、それを差し引いても少々敵味方の事情に詳しすぎるの。特にヤハウェ周りの事柄に関して、お主は精通し過ぎている。憶測も多分に混じってはいたが内容的にはほぼ断定しているようなものだった……何故そこまで奴を知っている? 詛術の技量やこの地で何をしているかを把握し、あまつさえその傍でたった一人で生活までしていることに、いったいどう説明を付けるのだ?」
「…………」
しばしの沈黙。それに比例して高まる緊張感――固唾をのむクータの身じろぎに合わせたかのように、アリーカは口を開いた。
「ヤハウェとわたしは、子供の頃からの友人だった」
「! なんと……」
「わたしらも元は魔術師ギルドの所属で、同期でもある。成人するまでは互いにとって一番の友人だったと、自信を持って言えるくらいさ。だが、大戦中に奴は変わってしまった。戦禍のあまりの悲惨さに充てられて歪んじまったのさ。その頃のギルドの意向とも悪い具合に重なって、あいつは力に魅入られ抜け出せなくなった。その果てに詛術という当時持て囃された暴力の象徴へ入れ込み、エンバーという天才に耽溺した。そうさ、エンバーはまさしく天才だったんだ。個人でアルルカ・マリフォスにたった一人並び立てるだけの破格の才能があった。ただしあの女は自身の力を利己以外の目的には一切使うことなく、求める利もその才覚同様に人とは桁外れに巨大だった。エンバーの欲望という手の内に飲み込まれ戻れなくなった者はたくさんいるんだ――ヤハウェもそんな中の一人に過ぎない」
わたしはあいつを止められなかった、とアリーカは砂を噛むような表情で言った。
「一度目は詛術師の陣営に加わろうとするあいつに、かけるべき言葉を届けられなかったこと。そして二度目は……大戦時代が終わり、それでもあいつが生きていることを信じて探し続けて、ようやくこの地で見つけた時だ。今度こそ真っ当な道に引き戻そうとして――わたしは敗けちまった。そして詛術の呪いを受けた ……今ではもう、まともに魔力も操れなくなっちまったよ。一般人以下の力しかない、単なるババアってわけさ。しかもあいつの領域から離れられもしないんだから飼い殺しも同然。ヤハウェにとってわたしは自分の庭の隅に鎖で繋いだ死にかけの老犬みたいなものなんだろうさ。もっともあいつは、とっくにわたしがここにいることなんて忘れちまってるかもしれないがね……」
わかるだろう? とアリーカは少女らへ問いかける。
「その頃はまだ、あいつは詛術でも人を仕留めきれないような鈍な腕しかなかったんだ。それが今はどうだい、当時前線で魔術師たちを苦しめていた詛術師とも変わらないだけの技量を得ている。それだけ熱心に、そして執心に詛術を学んでいるということだ。ならば人を――生命力に溢れた強き者たちを誘い込んでは何をしているのかも想像はつくってもんさ。強者のみから取り立てた純度の高い、かつ膨大な――何千、何万人分にも相当するだけの夥しい命のエネルギーを使って完全には滅び切っていないエンバーの魂を再びこの世に呼び寄せ、新たに受肉させようとしているんだ。これは他ならぬエンバー自身が永遠の命を求めて熱心に研究していたことらしい。そのための施設はアルルカが完膚なきまでに破壊したはずだが……予備施設でも残されていたか、あるいはヤハウェが託された弟子たちの知識をもとに再建でもしたのか。いずれにせよ闇の領域の中心には『祭壇』のようなものがあるはずだ。それこそがエンバーを蘇らせるための装置であり、あいつがこの閉ざされた地に根を下ろして守っているものでもある」
「……では、攫われた儂らの仲間は」
「フェゴールっていうあの悪魔の子のことだね? ああ、まず連れ去られた先はその祭壇だと見て間違いないさね。悪魔は精霊なんかと同じく魔力の集合体。普通の生命とは違って全身が余すことなくエネルギーでもある。どういった手段でそれを集めているのかまでは流石にわかりゃしないが、今頃はその作業のためにそこへ縛り付けられているんじゃないかね」
「ぬうっ、なんたることだ……!」
フェゴールの傷付けられる姿を想像して顔色を悪くさせる少女たち。だがそれを見てアリーカは「まだ大丈夫だ」と言葉をかけた。
「一度獲物を呼び込んでから次を呼び込むまで、これまで短くとも六日から七日ほどの猶予があった。つまり儀式は一日やそこらで終わるようなもんじゃないってことさ。じわじわと生命力を奪うなんてのはやられる当人からすると残酷極まりないことだが、そのおかげでまだあの子の命は保証されているも同然。安心しろとは口が裂けても言えないが……まだおっ死んじゃないってことだけは確かだよ」
気が付きゃ長台詞ばかりになっちまってるぜ
平にご容赦をー




