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465 逃げの一手

 ずずず、と。


「!」


 突然襲いかかってきた謎の少女たちの背後で、意識のないナインの体が独りでに動き出した――ほんの一瞬だけそう見えたが、真相は違う。少女の体は下から持ち上げられているのだ。それをやっているのはおそらく黒ローブ。どういう手法なのか定かではないが、とにかくそいつはその場から動かずしてナインを手元へ引き寄せようとしている。


 そのことを見て取ったクータたちは即座に地面を蹴った。


 炎のジェット噴射でまずクータが、次にスラスターの出力を全開にしてクレイドールが、最後に地を滑るような足さばきでジャラザが。


 彼女たちの進む方向は正面に真っ直ぐだ。どう見てもナインへ近寄らせないために立つ敵を迂回している暇などないと判断し――敵など蹴散らして最短距離を行くことを全員が迷いなく選択。それが成功する公算など度外視ではあったが十分に勝機を見出してはいた……彼女たちは強い。普段はナインの影に隠れがちではあるものの一般的な観点から言ってこの三名の実力は相当の高みにある。


 判じるまでもなくナインにしか興味のない黒ローブを除き敵として塞がる数は三人、こちらも三人。つまり頭数は同じ。一対一ならば自分たちが後れを取ることなどそうありはしない――と、それぞれ初撃で勝負を決める腹積もりでいた彼女たちだったが。


「ひははは! こりゃこそばゆい炎だな!」

「えっ――うぐぅ!」


 爆炎パンチが素手で止められた挙句、炎の熱にも涼しい顔で耐えられた。そのことに目を見開いたクータへ炎の拳・・・がお返しとばかりに叩き込まれた。それは炎熱耐性を超過するだけの威力が秘められており、クータはその一発だけで口から血を零した。


「動きがずいぶん固いですね」

「――ッ、ガッ……!」


 サイコフィラーブレードによって敵を一刀両断にしようとしたクレイドールの動作を、彼女より素早く懐に潜り込んだ球体関節の少女が止めた。いつの間にか腕を木の枝のようなものに絡め取られて攻撃が阻害されたそこへ、五倍ほどに太さを増した敵の少女の巨腕が打ち込まれたことでクレイドールは地を転がった。


「あなたのほうは、ふにゃふにゃと柔らかすぎるのでございます」

「貴様に言われたくないわ! ――ちぃっ、この!」


 重心偽装による移動方向と速度を読ませない歩みで接近したジャラザは毒によって敵の無力化を狙ったが、白いワンピースの少女のゆらゆらとまるで水中にでもいるかのような動きで逆に翻弄され攻めきれないでいた。そこで彼女は一旦毒術に拘わるのをやめ、練度で勝る水術で攻めるために能力で手の平へ水を生み出し……、


「なにっ……?」


 その水が突然、ジャラザの意思から外れ勝手に動き出したかと思えば次の瞬間には――己自身に纏わりついて、腕ごとまったく動かせなくなってしまった。


「やっぱりふにゃふにゃでございますー」

「っ?! がはっ……!」


 無防備なジャラザへ回転する水弾が命中。腹部に強い衝撃を食らった少女はあえなく吹き飛ばされた。



「「「ッ――!?」」」



 地に這いつくばる三名は戦況に戦慄を覚える――誰もナインの下へ辿り着けなかった。あっさりと叩き返されてしまった。傲然とこちらを見下ろす三名の少女と、その奥で今まさに今黒ローブの手中へ収まろうとしているナインを見てクータらはかつてないほどの焦燥を抱く。


 しかしいくら焦ったとて状況が変わるわけではない。


 もはや黒ローブは眠るナインへその手を触れさせようとしているのだから――と、その時。


「………、」


 ふいに、あと少しでナインを掴めるというところで何故か黒ローブは手を止めた……どころかローブの中に引っ込めた。急にナインへ興味を失った? いや、そうじゃない。それは黒ローブの気変わりなどではなく、むしろナインを得るために慎重を期した故の行動だった。


『ちっ、もう少しでボク特製の無力の枷を嵌められたっていうのに……勘のイイ奴だね』

「!?」


 突如として響いた謎の声は――文字通りにナインの影に隠れているの発したものだった。



「だけど動きが止まったならそれで重畳! ボクの役目もこれで果たせるってもんさ――受け取りな、君たち!」



 いきなり黒ローブの眼前に現れたるは子悪魔のフェゴール。闇の魔力で敵を牽制しながら彼は空いた手で足元のナインをむんずと掴み、些か乱暴ではあるがクータたちのほうへと放り投げた。幼い子供にしか見えないフェゴールだがその腕力はなかなか大したもので、敵の少女たちの頭上を大きく超えてナインを味方の下へと投げ込むことに成功した。


「ああん!? なんだよ伏兵がいやがったのか!」

「落ち着いてください。取り返せばそれで済む話ですよ」

「そうでございます、そんなの余裕なのでございます」


 ナインをキャッチしたクータと、すぐさまその前に出て守りの姿勢を示すジャラザとクレイドール。今にも総力戦が始まろうというその時、またしてもフェゴールが魔力を解放させる。


「まったく馬鹿だな君たちは……なんのためにボクが自分だけ逃げるのを我慢したと思ってるんだ。ここは戦ってる場合じゃないだろ? だから――瞳を閉ざせよ、『擬闇幕』!」


「あぁ!? なんだよこりゃ!」


 瞬間、分断される敵の少女たちとナインズ。彼女らの間には子悪魔の生み出した闇の魔力で作成されたカーテンとでも言うべき純黒の壁があった。


「「「……!」」」

 闇幕越しに三人の驚いた気配を感じながら、フェゴールはたった一人敵陣の只中に残されながらも臆することなく叫んだ。


「ほら今のうちに逃げるんだよ! ナインがこいつらの手に落ちたら何がどうなるかわかったもんじゃない――全速力で、安全な場所まで退避だ! それ以外に手はないぜ!」


 一瞬の葛藤。の後にナインの体が急速に自分から離れていくのを感じ取ってフェゴールはほっと息をつく。――彼の全身は既に、黒ローブの術によって拘束されてしまっている。どうにか動かせるのは口くらいのものだ。


「むぐぅ……、」


 しかし唯一の自由もすぐに奪われてしまった。全く身動き取れない状態で転がされたフェゴールの傍で、少女たちがやれやれといった様子で黒ローブの下へと集まってきていた。


「こいつが張ったらしい黒い壁はなくなったが、どうする? 今すぐ追っかけるか?」

「……いや」


 ぼそりと、乾いた声が燃える頭髪の少女に返事した。それは他でもない黒ローブが放ったもの。どうやらその中身は間違いなく男性であるようだった。


「奴らは既に俺の領域の中心部から出ようとしている」

「もうそんなところですか。早いですね」

「尻尾を巻くのが得意なのでございます?」

「ひはは、違ぇねえ! だがいいのかよお弟子様・・・・。このちみっこいのが『ナイン』と呼んでいた、あの白いほうのちみっこいのがあんたのお目当てだったんだろ? 取り返すにはまたどうにかしてここまで呼びつけるか、自分たちから打って出るかしねーと叶わんだろうがよ」


「…………ふむ」


 問われた黒ローブの男はすぐには答えず、縛られているフェゴールへと視線をやった。


「……連中、情には厚そうだったな」


「ああ?」


「あるいはまだ、獲物は獲物のままかもしれんということだ」


「えっーと……つまり追撃を今はしないと?」

「そんじゃあ、戦果なしで戻るってことかよ」


「戦果と言うならこの悪魔・・もそれほど悪くはなさそうだ。贄としての合格ラインに達している」


「そうなのでございます?」

「そういう風にはとても見えませんけどね……」


 訝しむ少女たちに、黒ローブはあくまでフェゴールへと虫の標本でも眺めているかのような無機質な視線を送りながら応じた。


「弱っていることは確実だが、その程度であれば悪魔としての存在の格は変わらんさ。充分に糧となってくれることだろう……言っておくが。俺は悲願成就までここから出ることはない。お前たちもまた同様にな。機会があるたびに何かと動き回ろうとするが、それは全てが終わってからにしろ。俺の言っていることが分かるな?」


「……へーへー」

「ちっ。うっせーでございます」

「ちょっと、口には気を付けてくださいよ。こんなのでも一応は私たちのボスなんですから」


 ふてぶてしいという表現だけでは済まないような態度を取る三人娘に、黒ローブは踵を返しながら言った。


「ふん……がらくた共め。さっさとそいつを運べ。祭壇に設置するんだ。……もしも私の考えの通りなら、直にもう一匹贄が手に入る。それまでに『儀恤』をなるべく進めておかねばな……」


 そうして彼は三人の鼻持ちならぬ部下を引き連れて、ナインズが逃走したのとは逆方向へと歩き去っていった――フェゴールという一個の戦利品を携えて。


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