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462 ポツンと一軒の家

サンクスfor誤字報告

「? …………、」


「どうしたのだ、主様よ」


 足を止めたナインにジャラザが訊ねる。するとナインは見つめる先をすっと指差して、



「どうもこの先から――よくわからんが、得体の知れないものを感じるんだけど」



 お前たちはどうなんだ、と。

 投げかけられた問いに三名は揃って首を振った。


「怪しいものは何も見つけられませんが」

「熱も……動物のものくらい、かな?」

「儂も同じくだ。……だが、主様の言うことだからの」


 三人がそれぞれ持つセンサーに引っ掛かる物はない。最近では少しずつマシになってきているとはいえそれでもナインズの中ではとびきり鈍感者であるところのナインなので、ならば彼女が感じているという『得体の知れないもの』とはただの気のせいであろう――とは一概に言い切れない。


「人とは随分違う感覚で生きておる主様だ。以前にも儂が感じ取れない、人々の騒めきとでも言うべきものを離れた場所から察知しておったのは記憶に新しい」

「じゃあやっぱり、こっちのほうに何かがあるってことなの?」

「その可能性も十分に考えられますね。どうされますか、マスター」


「……うーん」


 悩むナイン。旅路を急ぐか、この妙な感覚の出どころを確かめてみるか。オイニーやレディーマンと交わした約束……否、もっと厳格に取引や契約と言うべきなのだろうが、とにかく省と結んだそれを思えば他のことにかかずらっている暇はない。ただし道程でのアクシデントを見越してクトコステンを早めに出たこともあって日程にはいくらか余裕がある。ちょっとした寄り道ぐらいなら許容範囲であり、更に言うなら。


 今ナインが感じているそれ・・は、無視してしまうには少しばかり――濃密に過ぎた。


 黒い気配……そう表現すべき、邪悪な淀み。


 肌に伸びてくる異様な気配の大元にいるはずの何者かのことを踏まえ、ナインは己にとって正しいと思える決定を下した。


「……行ってみよう。あっちによくねー何かが在るのはたぶん間違いねえ。それがなんなのか、俺はこの目で確かめておきたい」

「よかろう、ならば一時進路は変更だの。因みに、フェゴールの奴はなんと?」


 悪魔である彼は特定のものに関して誰よりも敏感になる。闇や光の魔力などがその代表的な例だが、今回はどうなのかとジャラザが聞けば――ナインはゆるりと頭を振った。


「特に何も、だそうだ。ただし」

「ただし?」

「嫌な予感がするってさ」

「ふむ……ならば気を引き締めてかからんとな」




 ということでアルフォディトではなく行き着く先すら定かではない進路を取ったナインズはそれからしばらくの間、段々と山深くなる景色を眺めながらの行進を続けた。進むべき方向を確認できるコンパスはナインの感覚だけなので、もしもどこかで気配を辿れなくなればその時点で目的は果たせなくなってしまうのだが……幸いと言うべきかどうか、珍しくナインの感覚は途切れることなく確かな道を示していた。


 幾ばくかの時間を歩いた後、クレイドールが最初にそれに気付いた。


「マスター、あちらをご覧になってください」

「ん、どうした? ……って、おいマジかよ」

「お家だ! お家があるよ、ご主人様!」

「こんなところに一軒だけ民家が建っているだと……? 馬鹿な」


 右を向いても左を向いても樹林しか視界に入らない大自然の中で、ポツンと建つ赤瓦の一軒家がそこにはあった。屋根から伸びた煙突の先からは薄く煙が昇っている――空き家ではない。誰かがここで生活していることは明らかだ。だがいつ魔獣や魔物が現れてもおかしくないような土地で生活が成り立つとは思えなかった。そういう場合、人は徒党を組まねば生きていくことなどできない。だからこそ都市はどこも警備が敷かれているし、そこから漏れた人々も村落を形成して――つまりは『群れ』を形成することで身を守るのが常である。……なので、たかだか一家単位で野山に住まうことは端的に言って自殺行為と称しても差し支えない。


 怪しすぎるぞ、とジャラザが視線でナインに訴えたが彼女からの同意は得られなかった。


「妙だとは思う。けれど、気配の大元はここよりもっと先なんだ。この家は関係ないぜ?」

「関係がないと断定してしまうのは早計かと思われますが、少なくとも元凶ではないということですね」

「ふぅむ……確かに悪しき気配は家からもせんがの。クータ、お主のほうは?」

「一人、いるね。たぶん人間だよ。……お年寄りかな。今、お湯を沸かしているところみたい」


 ――クータたちに気付いているよ、と彼女は言った。


「……本当か?」

「うん。ほらやっぱり、お湯が入ったカップは五つだ。五人分のお茶を用意してるもん、絶対にそうだよ」

「熱探知って便利だな……」


 直接見ることもなく人が茶を淹れていることまで把握できてしまうのだ。低温だと上手く知覚できないようだが、それでも生き物に備わったものとしては破格の感覚器官――果たしてクータのそれが器官として形あるものかについては謎であるが――だと言えるだろう。


 ただし。



「ただし中にいる誰かさんも、俺たちを探知済みってか。それも人数まで正確にな」



 さすがに影の中にいるフェゴールのことまでは知られていないようだが……と言いかけて「いや待てよ」とナインは己の迂闊な考えを改める。


(まだそうとは限らないのか。奴さんが自分のものだけ淹れてないってこともあり得る……用意されたカップが全部俺たちの分だって考えるなら五つで丁度だもんな)


 そもそもどんな手段で何を探知して外の様子を探っているのかが問題なのだ。

 クータのように熱か、ジャラザのように気配か、クレイドールのような動体察知等のセンサーでもあるのか。


 あるいは物音を聞いて判断しているのかもしれない。音探知。であるならば、ここでべらべらと喋っている内容も筒抜けになっている可能性もある――考えすぎかもしれないがしかし、用心はどれだけ重ねても余計ということはないとナインはこれまでの実体験から学んでいる。


「……、」

 人差し指で『これ以上話すな』というジェスチャーを行ない、ナインは真っ直ぐ民家のほうへと向かった。そこで彼女以外の三名は顔を見合わせたが、主人が決めたことなのでいずれもすぐにそれに続いた。


「ごめんください……少し訊ねたいことがあるのですが、よろしいでしょうか」


 なるべく丁寧なノックをしたのちに、扉越しにナインはそう声をかけた。返答はなかったが、すぐにクータが「来るよ」と短く言った。どうやら家主はやはり、事前の行動の通り居留守を使うつもりはサラサラないらしい……。


「!」


 がちゃりとナインの目の前で扉が開かれた。そこにいたのは、かなり高齢と思われる一人の老婆であった。彼女は年老いていながらもやけに鋭い眼力で一同をジロリとねめつけるように見て……それからすっと半身をどかした。


「入んなよ。茶でも飲んで休んでくといい」

「……お、お邪魔します」


 持て成しの準備を予見していたとはいえ想像以上にまともな招き方をされたことでナインは多少気後れしてしまったものの、どうにか頭を下げてそれから仲間共々家に上げてもらった。


「そこに座りな。人数分の椅子はないんで一人はそれで我慢しときな」


 小さな丸型の食卓に四つの椅子。そこに混ざるひとつの台。老婆の少しばかり曲がった腰からして、常は高いところにある物を取る目的で使われているのであろうそれにナインは迷わず座った。その判断に対して残る三名はそれぞれ何かしら思うところがあっただろうが、ひとまずは何も言わずに全員が着席する。各人の前には茶ではなくホットコーヒーが置かれている……当然、空いている残りひとつの椅子の前にもそれは置かれているのだが。


「よっこいしょ、と」


「「「!」」」

「……、」


 ナインズが見守る中で、しかし老婆は椅子ではなく少し離れた位置にあるベッドの上に腰かけた。クータらが驚く最中にナインだけはこれでハッキリしたとひとつの結論がついていた。


 少女の視線と老婆の視線がするりと交わり――互いにニヤリと笑った。


「大したものですね。気付ける奴はそうそういないんですが」

「なぁに、わたしの眼はちょいと変わり種ってだけのことさ」

「変わり種、とは?」

「はは、教えてやろうじゃないか」


 わからないことを素直に訊ねてくるナインに、老婆は愉快そうだった。



「『審眼ジャッジ』っていう眼に宿る特殊な能力のことは、知っているだろうね?」



「はい、一応は」


「そっちは有名だからまあ当然だね――だがそれと同じであって同じでない、もう一方の眼のことはどうかねぇ? ……ふん、その顔じゃ聞いたこともないってところかね。――そいつは『魔眼ゲイズ』と言うのさ。一部の魔物が持つ石化の魔眼なんかは有名だが、そういった魔物特有であるはずの力を眼に宿す人間もいる……それがわたしってわけだ」


魔眼ゲイズ……じゃあ、おばあさんはその眼の力で俺たちの来訪を事前に察知したのだと?」


 老婆は「ああ」と頷き――その瞳がずず、と重々しく蠢いた。


「黒空眼というんだ。……この眼にゃ『闇』がよぉく見通せるんでね」


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