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46 怪物少女は怪物である

 天災という言葉がある。


 それはどうしようもない自然の摂理が牙を剥く現象、あるいはその被害を表すものだ。地震津波落雷豪雨暴風――それらの自然現象は時に人の抵抗を許さぬ絶対的な暴力となって社会を襲う。天の災いという表現が示す通り、そこに人為はなく、思惑もなく、意味もなく。だからこそ避けがたき未曽有の脅威に他ならない。


 迸り、押し流し、砕き、朽ちさせ、滅ぼす。その過程にも結果にも人間の手は及ばず、及ぶべくもない。自然のエネルギーはそれだけ強大で超常で、抗う術などありはしないのだ――本来なら。


 例外というのは何事にも存在するもので。

 生物でありながら、そう、たとえ人の身であっても。

 生ける個であるにもかかわらず『天災』だと称される存在は、確かにいる。


 例えば百頭ヒュドラはまさにその形容が相応しい生き物だろう。その巨大さ、威容、そしてあらゆる生物どころか自然からしても恐るべき猛毒を体内に宿すその性質からしても、人の手の及ばぬ暴威として『天災』の称号が何より正しく、似合っていると言える。


 しかし、その逆。

 化け物らしい化け物がそう恐れられるのはある種当たり前でもあって――では真に異様なのは何かと言えば、脆弱たるはずの人間の姿のままでその『天災』に渡り合う存在こそを、異様と言うべきだろう。


 人の身でありながら。

 それも最も無力なはずの「少女」でありながら。

 振り下ろす拳の一撃でもって大地震もかくやというような被害を――それも「やりすぎてしまわぬように」と全神経を傾けた手加減を伴ってなお地形を容易く変えてしまえるような存在は果たして――『天災』という表現にすら収まるかどうか。


 ならば認めるほかあるまい。

 ナインという少女は、人も自然も化け物も――決して手の届かぬ怪物であると。



◇◇◇



 馬鹿な、と黄金色の髪を持つ少女は胸中で零す。いや、実際に口にしていたのかもしれない。耳朶を撃つ轟音にかき消されて判然としないが、確かにか細く自身の乾いた声を聴いた気もする。


 だがそんなことはどうでもいい――半ば呆然自失とも言える自分の状態など心の底からどうだっていいのだ。


 これは、なんだ。

 目の前で起こったこれは――見せられたこれはなんだ。


 少女は、ユーディアは忙しかった。体は動いていない。指先一本すら今の彼女は稼働させていない。それでも彼女は忙しい。リソースのすべては脳の中、頭の回転に費やされており、そして全精力を傾けて「理解」ただひとつを目指してもなお足りぬほどに、眼下での事態が――ナインのしでかしたことが信じられなかったのだ。


 それほどまでに、理解しがたかった。


(たった一発! なんの準備もなく、なんの代償もなく! 単純に殴っただけ……地面を殴りつけただけ! それだけで渓谷が出来上がってしまった!)


 ありえるか否か、ではなく。

 自分に同じことはできるか否か、を問いかける。


 ――無理だ。


 ノータイムで答えを出してしまう自分がユーディアは気に食わなかった。


(川を割り岩を砕くこの私が。吸血鬼の王たる資格を持つこの私が! 負けを認めるですって……!?)


 吸血鬼は多種多様な特殊能力こそ持っているが、その本質は決して小手先の異能や技にあるのではない。


 シンプルな力。腕力、脚力、膂力といったつまりは筋力――そういった最もわかりやすく原始的な力の結晶こそが、吸血鬼の本質であるとユーディアは考えている。


 槍を投げれば剛力無双の矛となり、剣を振れば怪力乱神の刃となる。

 拳を握れば不撓不屈の鎚となり、脚を翳せば絶倒不敗の斧となる。


 それが吸血鬼、それがユーディア・トマルリリー。

 夜を往き闇を統べ血を掲げ君臨す――絶対の支配者である。


 そのはず、なのに。


 ――とても敵わない。

 ――自分ではアレの足元にも届かない。


 そんな風に、思わされてしまった。


(くそっ、くそっ、くそっ、くっそおおっ!! ――なんたる屈辱を、この私に!)


 川を割る? それがなんだというのか、奴なら海を真っ二つにするだろう。

 岩を砕く? それがどうしたことか、奴なら山を木っ端微塵にするだろう。


 規模が違うのだと。自分とはまるでスケールの違う相手だと、認めてしまった。

 まるで立っているステージそのものが遠く離れているような、そんな自覚を抱いてしまった。


 己が敗北を認めてしまっ――


「――いいえ! 認めてたまるか、認めてなるものか! 私は純血にして真祖、可憐なる夜嬢ユーディア・トマルリリーなのよ! 決して敗北は許されない……! 万が一にも、姉様以外の存在に! どこの馬の骨とも知れぬ塵芥に、負けを認めることなどあり得ていいはずがないっ!!」


 気高く叫ぶ。意気高く宣言する。


 敢えて塵芥と蔑み、吸血鬼ですら後れを取る真なる怪物を相手に、しかし彼女は一歩も引かない「対決」を選んだ。


 それが彼女の気概であり、誇りの証明であるからして――そして。


「楽しみに待っていなさい。必ず超える。超えてみせる……!! あんたが私に敗北を認めるんだからね、ナイン!」


 屈してしまいそうな心を奮い立たせる、唯一の方法であったから。



◇◇◇



 すごい、すごい、すごい!

 やっぱりすごい――我が主人はこうも素晴らしい!


 畏れと猛りに発奮するユーディアとは対照的に、空に浮かぶ赤い髪の少女――クータの心内は極めて純に、歓喜一色で染められていた。興奮具合で言うなら半分恐慌状態と言って差し支えないユーディアと遜色ない程度には、彼女も大興奮をしている。簡単に表すなら仕える主人の逞しさにメロメロになっているのだ。


 これだけの力を持つ者が他にどれほどいるだろう? 

 毒液の大波をこんな風に防ぐような存在が、他にどれだけ? 


 いない。

 いるはずがない。

 そんなことができるのはご主人様だけだ、とクータは畏敬と喜悦に頬を染める。


 しかし喜びの後を追うように、クータの表情にじわりと焦燥が滲む。


 主人と自身の力量に大きな差を感じたのは、これで何度目か。蜘蛛の糸から救われたとき、リュウシィを相手に手も足も出なかったとき。リブレライトで治安維持局の仕事を手伝っている際にも時折その実感を抱いていたが、此度は一際強烈な焦りをクータへともたらした。


 クータは己の強さを概ね正確に理解している。自分は強い。これは事実だ。機動力も火力も両立させ、飛行能力まで有している。滅多な相手に後れを取ることはないという自信がある。


 ただし裏を返せばその「滅多な相手」が敵として立ちふさがれば、自分では太刀打ちできない。

 ナインに任せるしか手がない。

 そういうことでもあった。


 つまりは雑魚の露払いくらいしかできない――それじゃ意味がない。守るべき主人に、逆に守られる現状をどうにかしたいとクータは願っている。


 更なる強さを欲している。

 直向きに、そして貪欲に。


 ナインを超えるような強さを、などという望外は期待しない。本来であれば、主人ですら負けを認めるような相手にこそ打ち勝ちたいものだが、しかしクータにとってのナインは絶対の象徴である。


 ナインに敗北はあり得ないのだから、そもそもナイン以上の敵に挑むような機会は訪れないのだ。だが、ナイン以上ではなくても「同格の相手」となれば? ……きっといるだろう。同等の実力を持たずとも彼女を危険に陥れるだけの術を持つ者だって、きっといる――そういう奴らに、自分は勝たなくてはいけないのだ。


 だからせめて、ナインの足元に届くくらいは――欲を言えば。


 ナインの背中を預かれるような強さが欲しい。


「強く! クータはもっと、強くなる!」


 誓いを声に出すことで、クータの手足の炎は盛んに燃え上がった。それはまるで彼女の想いがそのまま熱量となっているようだった。


 毒を理由に攻撃を諦めたのは、己の弱さの証明だ。こういった厄介な敵にこそ自身の炎で突破口を見出さなければならないというのに、それができなかった。躊躇して、二の足を踏んで、ただ逃げた。その結果ナインが対応に迫られたのだから――これではペット失格だ。


「――ッハアアアアアアアァァ!!」


 高める、高める、高める――激情を力に、不甲斐なさを怒りに。


 末端を覆っていた炎はやがて全身を包み込み、火柱のように気炎を募らせる。

 それでもクータは止まらない。

 もっともっともっともっと――熱く、激しく、猛々しく。


 どこまでも火力を上げるのは、彼女なりの取捨が選択させた結論によるもの。

 今すぐに微細な炎の操作を習得するのは実質不可能。だが威力を上げるだけなら気合でなんとでもなろう、と。


 クータは強引な手段でもって百頭ヒュドラと戦えるだけの力を手に入れようとしていた。


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