幕間 続・会議までの
万理平定省の敷地内、あらゆる課から隔離された建物で――。
「宮なんて名ばかりで手狭な『ここ』も、もうすぐお別れかと思うと……少しだけ惜しいかもしれないわね。ねえ、ミヨリ」
「そうですねシオナ様。やはり愛着もあるので、どうしても寂しい気持ちになってしまいますね」
「いえ、私は単に使い慣れた仕事場を離れることが面倒だな、と思って言っているんだけど」
「……ええそうですね、シオナ様はそういう人です……」
「ともかく、しばらくはどうしても不便をすることになるわよ。あなたもそれは覚悟しておきなさい」
「どのような処遇であろうと私に不満なんてありません。ですが、シオナ様は本当にこれでよろしかったのですか? ……はっきり言わせてもらうと、シオナ様こそ不便を我慢する様が私には想像もつかないのですが」
「過度な自由を求めない代わりに過度な不自由を拒絶するのが『水晶宮』のいつものやり方ですものね。人生結局はそれが一番だとこの眼が教えてくれるから、ずっとそうやって生きてきたのよ……けれど。時によって私は不動を許されない」
「時がやってきた、ということですか」
「数年単位でしか仕事をしないうえにここから出ることもない私のことを職員たちが『不動姫』なんて呼び方をしていることだって、当然知っているわ。それくらい私の出不精は知れ渡っているということ。――だからこそ丁度いいでしょう?」
「勘付く者は確かに、少なからずいるだろうとは思いますが」
「布石は大方張り終えたわ。各部署には一通り顔を出したし、あの子の真理に触れた強き人たちには私自身が順次接触を図って説明をしているところ。皆思った以上に好感触だし不安もないわ。……それ以外でやることと言えば、今のうちに省内の『見込みあり』の人材をピックアップしておくことくらいね」
「それもまた、シオナ様自らの手で?」
「ええ。でもミヨリが思うほど大変なことはないわ。期待を寄せているのは精々十数名といったところですもの。自力で異変を察知できる能ある者がその倍くらいはいてくれないと、流石に困ってしまうけれどね」
「視えた未来の『後』については……」
「あなたも知っての通り、止まったままよ。無理にでも視ようと思えば視られるのでしょうけど強引な真似をしては最悪の未来になりかねない。そういうリスクが私の術にはある。上座には持て囃されているこの収斂眼……あの人たちは果たして確定予知の危険性をきちんと認識しているのか、未だに甚だ疑問よね。占術と違って視たものの回避は叶わないのだから、有事に正しい備えを構えることはできるけれど、その有事が何もかもを無に帰すほどの大災害であったなら……備えなんてものにはなんの意味もない。可能性を収束させるということはつまり、破滅の未来すらも絶対のものにしてしまうということ」
「しかし、収斂眼は望まざるとも視てしまうこともあるとシオナ様は以前仰っていましたが」
「そうよ。上座が大きな決断を下した後に未来を確認する、そのためにあるのがここ『水晶宮』。何かへの手立てのために省が七聖具を集め出す予知も、そして先日のその『何か』――大いなる凶兆の印が間近に迫っているという予知も、どちらも私は視るともなく視てしまった。単に収斂眼を制御できていないと言えばそれまでだけれど、元からこんな眼は人の手に余るものでもあるわ。そもそも制御なんてできっこないのよ」
「しかしかの有名なピナ・エナ・ロック氏は、審眼の頂点ともまことしやかに囁かれる審秘眼を見事に使いこなされているようですが」
「痛いところを突くわね。巷の噂が確かなら彼女の審秘眼は、きっと私の収斂眼と同等以上の眼なのでしょうね。もう少しまともに『使う』ことができたならこの収斂眼こそが眼の頂点であると称されていたかもしれないわ。そう考えるとちょっと悔しいわね」
「水晶宮に務めている以上、シオナ様の存在と能力は省外に漏らしてはならないトップシークレットのひとつとして扱われています。ですので如何に収斂眼を自在に使いこなそうともシオナ様がロック氏に知名度で取って代われる道理はないかと」
「がんがん痛いところを突いてくるわね、ミヨリ。いいじゃないの少しは『もしも』の世界を夢見たって。この眼がそれを許してくれない以上、お喋りに花を咲かせるくらいは大目に見てもらわないと、とてもじゃないけどやってられないわよ」
「失礼しました、シオナ様」
「いえ、いいのよ。ミヨリには普段お世話になりっぱなしですもの、これくらいのことで怒ったりはしないわ。今回だってあなたが手配に奔走してくれたわけだしね……おかげで助かった。私だけ他部署を訪問するにも省を出るにも特別な手続きが必要だなんて自分でも知らなかったもの。あなたがいてくれなかったら何もできなかったでしょうし、改めてお礼を言っておくわ」
「私に礼など不要です。今度一緒のベッドで眠っていただけたらそれで十分ですので」
「思いのほか凄い要求がきたわね……まあいいけど。許可を取るのに苦労しただろうってことくらいは私だってわかるわ。ならそれ相応の褒美はないとね」
「シオナ様のためを思えば苦労などとは。……ですが、私個人としましては本当にこれでよかったのかと懐疑の念が尽きません」
「あら。水晶宮に閉じこもったままじゃ私、死んじゃうじゃないの。そのほうがよかったの?」
「いえ、見限りと避難については勿論賛成です。しかしそれ以外のことは全て、あの女の提案に乗せられたという感覚が強くあるもので。ああも風聞の最悪な女の言うことです、果たしてどれだけ信用できるものやら」
「私の貴重な友人を捕まえて『最悪な女』とは随分ね。風聞だけでその人物の人となりを決めつけてしまうのは褒められた行為ではないわよ」
「……、」
「まあ、ディトネイアは実際、間違いなく最悪な我儘娘なのだけど」
「ええ知っていますとも。先日水晶宮を訪れたあの女には私も直接応対しましたし、これまでにも何度か対面してもいますから」
「ふふ、そう言えば私がいない場面では、彼女とあなたは二人っきりになるのよね――そういう時どんな会話が繰り広げられているのか、少し気になるわね」
「それは……どうかお気になさらず。他愛もない世間話に興じる程度ですので」
「絶対に嘘でしょう。大方、あなたが刺々しく噛み付いていってはさらりと躱されて……そして彼女のほうはそれを楽しんでいる、といった具合なのではないかしら」
「…………」
「図星ね。そう嫉妬しないでいいのよ、私と彼女はただの友人。それ以上のことは何もないわ。私の身体を知っているのは後にも先にも間違いなくあなただけよ。眼を使うまでもなく誓ってこれは真実」
「では、シオナ様はなぜ……」
「ふふ、ただの友人を信じることがそんなにおかしい? ……確かに、聞こえてくる彼女の人となりを思えば誰もが私の判断は誤りだと考えるでしょうね――けれどミヨリ、これだけは言っておくわよ。彼女は真実どうしようもない暴君令嬢ではあるけれど、本質はその一点だけではないの。この時代にも大っぴらに貴族の後継を名乗るディトネイア・オールドファンシーは只の酔狂な傾奇者なんかじゃあなく。好き勝手に振る舞うためならどんな努力も苦労も惜しまない、筋金入りの大傾奇者なのよ」
「それを聞いてもまったく安心できない――というより、余計に不安になってしまったのですが……」
――美しき不動姫とその腹心である武装女中の少女は、それからもしばらくの間お喋りに興じた。




