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453 何かが終わり始まる街で

 クトコステン治安維持局の本署。リブレライトにある御殿とでも称せるような局ビルとは異なり、一見して公的機関の建物とは思えないほど庶民染みた印象を抱かせる平家のそこを訪ねるは、一人の真っ白な少女。


 最近とある事情からますます有名になってしまった十代目武闘王のナインである。


「来ちゃいました。すいません、約束の時間にはちょっと早かったですかね」


「ナイン殿! いやそんなことはありません、私は人を待たせるのも待つのも苦手なものですから、決めた時間より早めに会えるのがありがたいくらいで。さぁ、どうぞ奥へ」


 事件の日より一週間。ようやく都市全体が冷静さを取り戻し始めた頃合に、しかしまだまだ忙しいはずの局員ジーナ・スメタナは来訪者である武闘王ナインを丁寧に持て成した。


 握手を交わし、衝立で仕切られた奥の間へ。

 そこは局長の席兼応接間という、他都市の維持局ではとても考えられないような空間が作られている。


「フラスさん。お茶のほうお願いしてもいいですか」

「ちゅちゅっ、いいっすよジーナちゃん。すぐ淹れるっすね」


 愛嬌のある様子で鼠人女性が客人に出す茶を用意すべくパタパタとスリッパの足音を立てて給湯室へ向かった。年嵩がジーナとそう変わらないくらいに見えるために、歳の近い先輩あたりだろうかとナインは頭を下げながら思った――実際のところその鼠人、ハンシー・フラスの同期は【天網】メドヴィグ・ドーグであり、年齢も彼と同じでジーナとは二十以上も離れていることを知ったら少女はさぞ驚くことだろう。


「さ、どうぞかけてください」

「いいんですか? ここって局長さんが使うスペースなんじゃ」


 局長エディス・エドゥーはずんぐりとした体型をした強面の熊人である。その険相に反して物腰は割と穏やかというかのんびりとした人物だということは、療養明けとなった五日前に対面を済ませたことで存じているナインだが、いくら彼が温厚そうな人柄をしているからと言って不在のうちに局長席を使ってしまっていいものかと躊躇する。


 だがそんな武闘王らしからぬ少女の遠慮をジーナは笑い飛ばした。


「いいんですよ! いないからこそこうして自由にできるんです。局長はうちにいる間、滅多なことじゃこの席から動きませんからね。珍しくも外で多忙を極めている今、埃を被らないように私たちがこのソファを使ってあげている……と、考えてください。畏まらず楽に構えてもらって結構ですから」


「は、はあ……そんなもんですか?」


 ちょっと上司を相手に気安すぎやしないか、と首を傾げたナインの前にことりと陶器の湯飲みが置かれた。「ごゆっくりっすー」と二人分の茶をテーブルに置いて下がるハンシーに「あ、これはどうも」と気の抜けた礼を言いつつ、ジーナより先輩であろう彼女からのお咎めもなかったことから本当に大丈夫そうだとナインは納得する。


 ずず、と淹れたての茶を啜りながら少女は署内に満ちる音へ耳を傾けた。


「電報……じゃなくって、コールセクトからの念報が鳴りやみませんね」


「ええ、まだ収集がついたとは言い難いですから。普段はほぼ都市内だけで回っている経済も今はまだ止まってしまっている段階です。中央帯の整理も台方広場以外はほとんど完了しましたが、被害者への補填は小さなものから大きなものまで全部これから。支援要請は数え切れないほどの件数が来ていますし、問い合わせも多い」


「問い合わせ、ですか?」


「街の形態ががらりと変わるでしょう? これまでは独自の市政で閉じ切られていたクトコステンが、その門扉を完全に開く。……皆、不安があるのでしょうね。特に万理平定省からの干渉を受けざるを得なくなったことに対して、どうしても良い感情を向けられないんです」


 それがひっきりなしのコールセクトの鳴き声――ナインからすると電子音にしか聞こえないアレだ――の合唱に繋がっているとのこと。いつも多忙なのが治安維持局ではあるが流石にこの全てに対応していては処理能力がパンクする。なので現在は、幹部が全員死亡したことで空中分解も同然になっていた市政会と革命会の中心構成員(副業として参加していたのではなく会活動だけに専念していた一部の獣人たちを指す)と、市政会傘下組織『タワーズ』のメンバーを非正規の臨時職員として働かせて対応を急がせている。本署に通じた念報も都市に点在している非正規職員用のコールセンターに移されるようになっているのだ、と一通り説明を受けてナインはなるほどと頷く。


「ある意味じゃ受け皿みたいな感じですか」


「あくまでも一時的な処置ですがね。両会が都市にとって重要な役割を果たしていたことは事実です。西と東に別れて循環していた会資金という莫大な金額の流れが、喪失されたわけですから。関所・・がなくなったことでむしろ巡りが悪くなった……いえ、今はもうほぼなくなったのだと言っていいレベルです。会から下りてくる仕事でご飯を食べていたという者も決して少なくはないので、そういった人々への手立ても考えなくては。給付金は出ますがそれだけでは何も解決しませんからね」


 聞くだけでも大変さが分かる。というより、都市運営の根幹を担っていた二本の柱が丸ごと外されてしまったのだから梁も崩れるのは当然で、それに伴って起こる問題というのはそれこそ都市全体に関わってくるものばかりとなり――つまりは対処に関してもどうしても費用と時間が要り様になるものが大半である。……となれば、もはや治安維持局が普段と体制を変えて対応に当たったところで限界がすぐにやってくることは見え透いている。


 というナインの都市のこれからに対する懸案を表情から理解したらしいジーナは「まったくその通りだ」とばかりに頷き、しかしニコリと笑ってもみせた。



「ですがナイン殿。そう悪いことばかりでもないんですよ。省からの任命で派遣されてきた都市長とその周辺は只人ばかりですが、そのおかげで他都市との交流再開・・・・に向けた施策が驚くほどスムーズに決定されました。聞けば二十年前――よりももっと前には、交流儀において他の五大都市や近隣小都市との交流は当たり前だったとか。これからはそれが常態化するのが確実視されているというのですから……はは、閉ざされていることが当たり前として生まれ育った世代としてはなんだか信じられない思いです。当時を知っている方たちからすれば尚のことかもしれませんが」



「……納得は、できていますか」


 喋りながら茶へ口をつけたジーナへ、ナインは静かに問う。それを聞いて鳥人少女はぴたりと手を止めて対面のナインの様子を生来の切れ長の瞳で見つめた。それから湯飲みをそっとテーブルの上に戻して、その手付きと同じくらい優しい声で言った。


「ナイン殿はそれが聞きたくてここまでいらしたんですね」


「はい。どうしても面と向かって、局員であるジーナさんにこの質問を問いかけたかった。悪を討ち街の治安を守ることを誇りとするあなた方にとって、今回の事件の『片づけ方』には文句のひとつやふたつ……いやそんなものじゃ済まないくらいあるはずだ。真相を世間に明かさないばかりか、何を見据えてか省は俺のことを神輿のように扱っている。それを信じた獣人たちからここへ来るまでにも何度も礼を言われましたし、頭を下げられましたよ。……全然、いい気分になんてなれやしない。そしてそういう思いは俺よりもジーナさんたちのほうが何倍も強いでしょう。省や俺に対する不満が、ないはずがない」


「…………、」


 じっと見つめ合う。


 ナインの抱く、上手く言語化のできないモヤモヤとした感情をジーナはきちんと読み取っている。それはナイン側も同じだった。――ただしこちらは、ジーナが漂わせる仄暗さのない、例えるなら爽やかな風のような気配に戸惑いを覚えてもいたが。


 やがて口を開いたジーナは。


「私に……私たちに不満なんてありませんよ」


「!? そんなこと……、」


「ナイン殿に対しては、ですがね。そりゃあ勿論、省のやり口には辟易させられていますが、それは何も今に始まったことではありませんので。私たちはいつだって貧乏くじを引く立場にいる治安維持局の局員です。だからこそ、自分なりの納得の仕方というものを身に着ける。これまでがそうだったように、これからも私は省を嫌うでしょう、ですが。だからと言って自分の仕事を投げ出すことはしない」


「それは、何故ですか」



「ナイン殿も言ってくださったではないですか――私の誇りが、そこにあるからですよ」



 傷だってまだ全快していないはずなのにやはりどこまでも爽やかに、忙殺されている暇を縫ってわざわざナインと会う時間を取り付けてくれたその鳥人少女は、まったく本心から明るく笑っていた。


「追い風ばかりを探して頼るのではなく。向かい風しか吹かずとも、たとえ風がなくとも。それでも高く飛んでいけるような――どこまでも誇り高く羽ばたけるような。そういう鳥人を私は目指しているんですよ、ナイン殿。とてもありきたりな、ちっぽけな夢ですがね」


話す機会もなさそうなので書いておくと、イーファとルリアは新設された治癒院の特別病棟に入れられてスタッフ以外とは接触しない日々を送ります。実態はともかくシチュだけで見るならイーファはかなり勝ち組の部類です。一番は長年のわだかまりが解消されたカマルとジーナですが

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