449 病み上がりの面会
「そうか……イクアの野郎、結局は逃げ切りやがったのか」
「これは全て私の不徳の為すところだ。言い訳はしない」
「そうよまったく。いきなりガラっと態度を変えたかと思えば『イクアの始末には私も積極的かつ全面的に手を貸そう』だなんて言うから期待してみれば、このザマじゃない。……まあ、直前になってナインのほうの支援に行くことを決めた私と姉様の責任でもあるんだから、別にマビノだけを責めたりはしないけど? どうせ殺すならマビノに任せるんじゃなく私自身の手で仕留めたいところではあるから、そういう意味では丁度よかったとも言えるかもしれないわね。それより私としてはマビノ、あんたがこれまでか弱いフリをしてすっかり私たちを騙していたことのほうが我慢ならないまであるわよ。だってそうなると出会った時のことも――」
「「…………」」
あいも変わらず、よく喋るユーディア。
フェゴールにも与するほどの口数の多さだ。
マビノは彼女のことを「変になっている」と称したがしかし、ナインには言うほど以前と今とでユーディアに違いがあるようには思えなかった。内なるヴェリドットのことに関してはやはり妙な具合で口走りはするが――そして数日前まではそこに架空のナインまで混じっていたそうだが――その点を除けば案外、ユーディアは元のユーディアのままである。
とマビノに伝えれば、彼女は苦虫と苦渋と苦痛を同時に味わっているような、なんとも言えない表情で黙り込んだ。
「とにかく私はまたイクアを追うわよ。逃してしまったことで手掛かりはゼロになってしまったけれど、そんなものはまた集め直せばいいだけだしね。なんとしても奴だけは確実に私の手で葬ってみせる」
「なに、手掛かりがゼロだって? なんでだよ。だって『大監獄』ではイクアの仲間が外来の冒険者に――ルゥナのパーティメンバーに捕まったんじゃないのか?」
マビノの説明で出てきた話から察するに、『大監獄』で囚人を地上へ解き放つべく動いていた二人組のうち、若い女性とされているほうはおそらく例のキャンディナと見て相違ない。もう一人の高齢男性というのがどんな人物なのかはまったく不明だが、いずれにせよ彼もまたリック・ジェネス以上にイクアと密接な関係にあることは確かだろう――ならばキャンディナとその老人から得られる情報は決して少なくないのではないか。ひいては、姿をくらましたイクアがどこを目指したのかも判明するのではないか……というナインの推測は、すげなく首を振ったマビノによって否定されてしまう。
「そちらも残念ながら、と答えるしかない。ルゥナのパーティはこの街でよく働いた。その仕事ぶりは完璧に近い。だが、それでも何もかもを完璧にこなすとはいかなかったらしい――逃がしてしまったそうだぞ」
「! そっちの二人も街から消えたっていうのか?」
「ああ。つまるところ私たちは誰一人としてイクア一味を捕らえられていないんだよ。あれだけ追い詰めておきながらまんまと全員を取り逃したことになる。奴らを一網打尽にする千載一遇のチャンスがこの交流儀だったはずが、その機会をふいにしてしまった」
「なによ、態度は大きくなっても弱気なのは変わらないわねマビノ。千載一遇なんてしみったれたこと言ってんじゃないわよ――常載千遇! それぐらいの勢いでもう一度追い詰めればいいことじゃない。イクアの仲間たちも逃げてくれてむしろよかったくらいだわ。狩りの獲物は多いほうが楽しめるものね」
「「…………」」
これで本当に正気なのか、という顔でマビノがナインを見る。
これで間違いなく正気だ、とナインが頷く。
マビノの浮かべた表情は長年連れ添った旦那に先立たれた老婆を思わせた。それくらい彼女が見せた顔付きは沈鬱で、ぐったりとした疲労を感じさせるものだった。
「こいつをあんなにも気遣っていた私はいったい……まあ、いい。とにかくだ。引き続き私たちはイクアを追う。これまで同様、そのスタンスは変えないということを知らせにきたんだ」
「俺にわざわざそんな報告をしに?」
「お前はイクアに目を付けられているようだから、な。今後も奴を追う私たちとどこかで道が交わるかもしれん。その時はお互いどのような立場にいようと手を取り合うことを躊躇しないと、共に誓おうじゃないか。今回の件で私は学んだよ……あのガキを仕留めるには、戦力はいくらあっても足りないぐらいだとな」
「ま、次は更なる成長を遂げたこの私が直々に奴を殺してやるけれどね。でもナイン、あんたがどうしても力を貸したい、私に奉仕したいっていうのなら手伝わせてあげなくもないわよ」
ばちん、とマビノが割と容赦なくユーディアの顔をはたいた。
「いったいわねー! あんた何すんのよ!?」
「このアホは放っておくとして、ナイン。『大監獄』で何があったのかについては次の面会人たちに詳しく聞くといい。あいつらもあいつらで、お前に確認したいことがあるようだったしな」
「次の面会人ね、わかった……っていや待ってくれよ。『あいつら』ってのはいったい誰のことなんだ?」
白すぎる頬を手の平型に赤く染めたユーディアをクータが指を差して笑いこけ、それにユーディアがますます憤慨し、そんな二人をフェゴールが呆れた様子で静かにしろと窘めている――と騒々しい背景でなかなかに締まらないのだが、それでもマビノは目いっぱいに雰囲気を醸し出してにやりと笑った。
「ルゥナとその仲間たち。ある意味ではイクアよりも正体の知れない外来の冒険者パーティ……の、リーダーを務めているというとある狐人の女が、お前に会いたがっているのさ」
◇◇◇
「おはようナイン! ルゥナだコン!」
「こんにちは。『ゴーイングバック』のリーダーをしています、ルナリエです。どうぞよろしくねナインさん」
「はあ、よろしくおねしゃす……」
勢いよく部屋に入ってきたのは狐人童女のルゥナ。その後ろからしゃなりとした歩みで姿を見せたその狐人女性は、まだナインの体に残る眠気もまるっと吹き飛ぶほどの――俗に言う「目の覚めるような美人」であった。
それは単に造形が整っているというだけではなく、例えるなら吸血鬼などが持つ魔性の美にも似た、見る者を否応なしに蠱惑するような妖しい美貌であった。その腰元から生えた六本のふさふさとした狐の尻尾もまた余計に彼女の耽溺な気配を強めている。
――傾城傾国。
彼女を見てたったひとつナインの頭に浮かんだ言葉は、それだった。
「あね様はルゥナのあね様でもあるコン。つまりルゥナもいつかはあね様並の美人になるコン!」
「それは無理なんじゃねえかな」
「え!? ほぼ初対面も同然なのになんでそんなことが言えるコン!?」
「あ、すまん。けどそういうことを言えちまう気安さがルゥナにはあってな。だからこそルナリエさんみたいにはなれないだろうと思ったんだけど」
「ま、的を射てるコン……!」
「ふふ……」
妹と少女のやり取りに口に手を当ててくすくすと上品に笑ったルナリエは「じゃあ」とナインへ言った。
「ナインさんは私に気安さを感じてくれていない、ということなのね」
「あ、いや……そういうつもりで言ったんじゃ」
「いえ、いいのよ。病み上がりのところへ不躾に押し掛けているんですもの、そう思われても仕方ない。ただしそれでも、ナインさんの耳に入れておきたいことがあるからこうして面会を希望したのだということは……どうかわかってほしいわ。厚顔でお恥ずかしい限りだけれどね」
「もちろん、お聞きしますよ。俺としてもキャンディナがどうなったのかは気になるところですし」
そこからルナリエの語ったことは、なんとなくナインが想像していたことと大まかに一致しているものだった。
それは即ち彼女らのパーティ『ゴーイングバック』が所用によって訪れたこのクトコステンで偶然にもイクアという小さな巨悪の存在を知り、人道に背く計画を突き止め、街にいる実力者たちを巧みに誘導する形で獣人の被害を防いだという、鮮やかで見事な手練の仕事の仕方についてだった。
けれどマビノが述べた通り一見して非の打ちどころのない彼女たちであっても万事万全万端、というわけにはいかなかったようで。瑕疵などとは功労者であるルナリエに対して誰も言うことはできないだろうがしかし、パーティリーダーであるところの彼女こそが手痛い失敗をしてしまったということは他ならぬ彼女自身が認めていることでもあった。
「僅かにも油断がなかったとは、言えないわね。キャンディナという子の両脚を奪ったことで、もう逃げられないと高をくくってしまっていたことは……否定できない。膝から下を失くして、それでも懸命に人間のお爺さんを守ろうとする彼女を見て私は感心すらしていた――それがよくなかった。まさか『一切の前兆を感じさせない転移』なんていう隠し玉を持っていたなんて、思いもよらなかったのよ」
「…………」
両脚を奪った。あっさりとそういうことを言える程度には――やってのける程度には、いかに美人で虫も殺せぬような顔をしていたとしても、やはり彼女は獣人にして冒険者の、根っからの「戦う者」である。
残酷なことをするものだ――などとは露ほども思わないナインだが、以前リュウシィとアウロネから寄せられた報告によるとリブレライトの治安維持局から逃げ出す際にキャンディナは左腕を失ってもいたはずだ。すると今度の『大監獄』からの逃走と合わせて彼女は四肢のうちの三つを喪失していることになる……そう考えると、いくら敵とはいえ若干気の毒に思わなくもない。
残る右腕くらいはできるだけ大切にしてほしいものだ、と他人事な感想を抱きながら(実際他人事だ)ナインが引っかかったのはキャンディナの負傷よりも遥かに、『前兆のない転移』というワードのほうだった。
「あのキャンディナがそういった術を使ったんですか……? 俺は以前に――七ヵ月くらい前のことですけど、あいつと直に戦り合ってます。その時にはそういう、特別な術は戦闘に用いていなかったんですがね」
「いえ。転移を発動させたのはあの子じゃなくて、あの子に庇われていた『ドック』というお爺さんのほう。より正しくは、彼が持つアイテムが起動したと言ったほうが正確でしょうね」




