436 神へなおるか怪物に名折れるか
ナインは知らない。カマル・アルがどうしてこんなにも力に拘るのか、悪を滅ぼすことに拘泥するのか、その事情や理由なんてものは一切合切存じ上げていない。これが初対面なのだから当然だ。
ただし、イクアが与えた種によって歪められた思考のもと、手に入れた力をどうしようもなく間違った方法で使おうとしていることだけはわかった。
願いの根幹は純粋なものだったのかもしれない――しかし今のカマルはどうにも不純で満ちている。
彼女の濁った瞳を見ていつかの吸血鬼の姉を想起したナイン。なので説得を試みたところでどうせ戦わざるを得ないだろうとは半ば予見していたし、それを元から受け入れてもいた。
言葉ではなく拳で説き伏せる。
力だけに傾倒するのであれば、分かりやすく支配欲を募らせていたあの姉よりも一層分かりやすく、そしてやりやすく。
理不尽にはもっと強大な理不尽で真っ向から叩き潰すことこそが最適解なのだと。
怪物少女としてそれを信条としている彼女はだから、尋常ではない様子で憤り、常人には考えられないような膨大な力をその身に渦巻かせるカマルを前にも、ごく落ち着いていたのだった。
カマルは知らない。『武闘王』という国内における戦士の最高峰の位を手にしたナインが何故吸血鬼などという邪悪な生物と繋がりを持っているのか、そして市政会員を襲わせた思惑がどこにあるのか――更にはこの場で自分の前に立ち塞がる意図すらも、彼女には万事、何ひとつとして理解ができていない。
けれどイクアが与えた種によって歪められた思考のもと、手に入れた力の向けどころとしての獲物が早速現れてくれたのだと勝手に納得していた。すべからく悪は殲滅すべし。自分という正義の体現者が行く道を遮ろうというのだから、それらは全て悪と見做してなんら間違いはないと。
シィスィーもジーナもナインも、皆が皆悪なのだ。
悪、ならば。
我が手で以って始末する。
もう二度と、奪われないように――失わないように。
絶対的な正義の力でこの世の不幸に天誅を下す。
殺す、殺す、殺すのだ――殺されてしまう前に、死ぬべきではない者が死んでしまう前に、死ぬべき者から死なせてやるのだ。
濃密な『真化』の力と殺意に思考を染め上げられたカマルはだから、戦闘に応じるべく構えを見せたナインから溢れ出る純なる力の奔流を前にもなんら臆せず、むしろ丁度いいモルモットだとばかりに猛りの笑みを浮かべたのだ。
「『真雷化』は継続発動中だ……!」
「!」
電光石火の速さでカマルが眼前に迫ってきたのを見て、ナインは反射的に拳を突き出した。しかし誘われたらしい、と回り込むような動きで拳を躱したカマルが雷光を瞬かせるのを認めて察する。
「『撃雷撃』!」
雷門の基本にして高威力を誇る、体術と魔力の合わせ技『雷掌』――それをベースとして雷術の麒麟児カマルが独自の強化を為した彼女の代名詞でもある『雷撃』。
それをなんともう一段階引き上げた更なる強化版がこの『撃雷撃』だ。
強くなることに余念のないカマルが寝る間すらも最低限以下にしか取らない実戦続きの生活の中で、どうにか編み出そうと四苦八苦していた既存を超える必殺技も、種の力によって真化が始まるにあたりごくあっさりと会得することができた。
それは元から備わっていた彼女本来の力量が解放されたことで起きた、成長するたびに突き当たる壁をいくつも同時に破ったが故の急激な進化だったのだろう。食事も休眠も蔑ろにしていたカマルのコンディションは常日頃から最悪と言って差し支えなく、そうでなければとっくに今以上に強くなれていたはずなのだが……とはいえカマルがそれを自覚していようといなかろうと人助けを止められるはずがない。たとえ一時でも休めるはずもないのだ――そんなことをすれば彼女は死んでしまうから。
カマル・アルという、本来ならばあの日に両親と共に死んでいるべきだった命が、本当に無価値なものとなってしまうのだから。
「――!」
力を手に入れた。
それは命の価値を手に入れたにも等しい。
己が生きるに足る存在だと肯定された――許されたのだと、そう思える。
不幸を運んできた者に命乞いをして、愛する父と母を捧げて助かった命を。
どうにか有効活用するにはこんな生き方しか思い浮かばず、そしてそれは過ちなどではなかったとこの瞬間、カマルは確信してもいる。
罪深き、唾棄すべき、廃棄すべき己という存在がようやく意味を持てると疑わずに済むことで。
亜人都市においても、そして獣人史においても史上類を見ない速さで頂きへ駆け上がろうとしているカマルは――それだけの力を情け容赦なしにぶつけてやったナインが、なのにギロリと。
打ち付けた掌打の指の間。そこから覗く深紅の瞳がこちらを強く見据えたことで、顔から笑みを消した。
「おっらぁ!」
「ちっ――『偉雷門・百雷』!」
百発分をひとまとめにした『白雷』をゼロ距離から撃つ。それによってナインの殴打が届くよりも先に彼女の頭へ雷群を見舞ってやった。首から上が消し飛んでもおかしくない――というよりそうなってなければおかしいというような攻撃をもろに浴びて、けれどナインは吹き飛ぶ途中で急停止する。無論彼女の頭部は無事なままだった。
「くそったれ、耳と目の奥がガンガンしやがる。俺も容赦する気はねーが、そっちも大概やってくれるなぁ」
「私の雷を受けてなんて言い草だ……この、怪物め」
「おっ、いいね。そっちの呼び名のほうが『武闘王』よりか気が楽で助かるよ。最高の戦士の称号はまだちょいと荷が勝つ……それに今は、戦士としてじゃあなくって。お前を超えるただの理不尽として戦うつもりだから――なぁ!」
ナインが脚を振り上げる。その軌道に沿ってまるで斬撃のような蹴圧が飛ぶ。縦に伸びるそれをカマルが横に飛ぶことで躱せば、その動きを呼んでいたのか、あるいは左右の二択を偶然当てたのか定かではないがとにかく、ナインは既にすぐそこまで接近してきていた。
「あらよ!」
「っ!」
飛び込み、即、踵落とし。右斜め上から恐るべき鋭さで肩口を狙ってきたナインの足をカマルは持ち前の雷速駆動で捌く――かなり重い。上手く弾いてやったはずなのにまともに蹴りつけられたかのように腕が痛む。今の自分は真化によって雷術の威力や精度、魔力量だけでなく肉体強度も格段に増しているはずなのに、それでもナインの蹴りがこんなにも効くとは……いや、待て。
それ以前にだ。
「――『真雷化』を発動中の私を蹴るだって? 完全雷化を果たしているこの肉体を、ただの蹴りなんかでどうやって捉えている!?」
蹴り足を捌いてやって体勢が流れたところにもう一度『撃雷撃』を打ち込もうと画策していたことすらすっかり忘れて、カマルは思わず敵へ疑問のままに訊ねてしまう。
何かしら雷化を捉えられる――捕らえられる仕掛けがあるのだとすれば、その種明かしをわざわざ敵がするはずもないというのに。
無駄な問いを発してしまった、と口にした直後には気付いたカマルだったが……驚くことにナインはあっけらかんとした顔で聞かれた質問に答えてくれたではないか。
「どうやっても何も、普通に。素手でも雷くらいは殴れるさ――だって俺はナインなんだから」
「……!」
ただしその答えは、カマルの思い描くものとは百八十度異なる異質なものであったが。
信じられない、と言わんばかりに表情を歪めたカマルは魔力を練り上げ――、
「『偉雷門・百雷』!」
真正面から白い雷をナイン目掛けて放つ。すると。
「ふん!」
横殴りの拳で『百雷』は射線を強引に曲げられ、どこへともなく流れていった。……真実だ。特別な術や異能を使用している様子もない――真実こいつは、殴る蹴るといった身体動作のみで雷を叩きのめせる人間であるらしい。
「こいつ……!」
まさに怪物。先ほどの異様な耐久度以上にその事実を認識させられたカマルは……どくん、と。
心臓が高鳴った。
「……!?」
「――、」
異変にナインが気が付く。しかしカマルは己が身に起きるそれを異変などとは露ほども思っていなかった。
強敵。そう、強敵なのだ。不届きにも雑魚が自分を前にして強敵だと気を昂らせていたが、癪なことに先の彼女と限りなく同一の感情を今、自分は抱いている。
進化を超える『真化』が成ってなお、強敵。
他の全てを圧倒するはずのこの力を以てしても圧倒しきれないだけの慮外の怪物が、こうして己が前に姿を見せてくれた。
これぞ試練だ。
ナインという怪物を仕留めたなら、それはさながら英代に逸話を残した英雄たちの仲間入りが如くに、人知を超えた存在となる己の華々しい第一歩となってくれることだろう――それを為した時に。
きっと自分は、本当の神にだってなれる――武神たる雷神、新世代の超常の頂点に到達できるのだ。
「真の祝福が! 怪物退治の後になるとすれば、なんてお誂え向きなことか! 示せ、怪物少女ナイン! お前はこの【雷撃】に打ち滅ぼされるためにこそ生まれてきたらば――『偉雷門』!」
「!」
「『千雷』だァ!!」
都合千発分の『白雷』による激烈な閃光が、まるでそこに小さな太陽でも生まれたかのようにカマルの全身から迸った。




