427 中央帯域奮闘録
ナインがかつての敵と思わぬ再会を果たしているその頃、時期を同じくして中央帯北方域では。
「あー……、かったるいわ」
いかにもエルフ族らしい涼やかで見目麗しい容姿をしたとある女性エルフが、その見た目にはとても似合わないような粗雑な口振りでため息をついていた。
通りを行くその歩き方も粗野と言う他なく、エルフ族とも馴染みのあるクトコステン住民が今の彼女を見れば誰もがたいそうたまげるに違いない――だが、そんな事態にはならない。なりようがないのだ。
何故なら女性エルフがいるその場所、台方広場より北側の一帯は……既に完全封殺がされているからだ。
そこは強化された仮死魔法『洞木の眠り』によって北方全域がすっぽりと包み込まれて、範囲指定の結界魔法や法術にも似た術師の絶対的支配空間へと変貌を遂げているのである。
無論これだけの術を個人で扱うのは通常不可能に近い。魔法だろうと法術だろうと大規模なものを唱えようとすれば人数やそれ専用の触媒や増幅器といったマジックアイテムが必須となる。かつて戦争の歴史を変えた『魔術師ギルド』開発の広域殲滅魔法とて種類はいくつかあれども、その全てが「通常」個人単位では扱えないようなものばかりとなっている。だからこそ補助の手段が有用になるわけだ。
二区画に跨る中央帯北方をたった一人で支配下に置いた女性エルフもそういった例に漏れることなく、特別なアイテムを使用している――そのこともまた、彼女に重たいため息をつかせる原因のひとつなのだが。
「私が自分で用意した物だっていうのに、こんなところで使わされるとは思ってもみなかったわね……。というか、いくら巻物で補助したからといってくたびれないわけじゃないんですけど? これだけ広い範囲を私一人に任せるって……紛うことなき無茶振りでしょう、これ。いやまあ、ルナリエの命令ならそりゃ従いますけどね」
巻物を手に入れたのだって自分のためというよりもパーティで受ける依頼に役立てようと考えてのことだ。故にリーダー命令でそれを切った現状は正しい用途に使っているということになるが、そのタイミングが些か急だったのと予想外のシチュエーションになってしまったことは否めなかった。
そのことにエルフの女性――仲間内でもそれ以外の面子でも冷静で品行方正な性格として通っている彼女、アミュリスは乱暴な手つきでがりがりと頭を掻きながら通りを歩く。
そこには彼女以外、動く影など一切ない。『孤混の儀』直後の大混乱大騒動が嘘のように……まるで生きとし生ける者すべてが死に絶えたかのような暴力的なまでの静けさの中を、アミュリスはたった一人で悠々と進んでいく。
「まぁた誰かが範囲に入ってきたわね……お生憎だけど、今は眠っててもらうわよ。――死んだようにお休みなさい」
腰元に巨大な巻物を携えているアミュリスは、己が術を敗れる者などまずいないだろうという余裕から絶大な自信を見せている。事実、北の制圧は単身で完了させている彼女だ。このままいけばリーダーの命令は難なくこなせるだろう。その点を気にしている訳ではないが、しかし。
それでも気がかかりとなるのは――、
「眠らせたところで獣人方の爆弾化が解除されるわけでなし。いったいルナリエはこの後どうするつもりでいるのかしら。……あと、私はいつまでここを封鎖していればいいのかしらね――はーあ。ほんっとにたるいわぁ~……」
◇◇◇
「どうだい隊長、そろそろ覇術は使えそうかい?」
「ええジュリー。丸薬も噛みましたからそれくらいの体力は戻ってきていますよ」
「いちおー私も『煙』で手伝うよ。ベルのリンクもあるしさ」
「オウガストはあんまし無理すんな? 俺らの中でお前がいっちゃん体力ないんだからよ!」
対吸血鬼部隊『ナイトストーカー』。彼らは今、中央帯南端を目指して移動しているところだ。獣人の暴走を掻き分けながら前へ進むのは至難の業だが、しかし彼らは経験に裏打ちされたプロフェッショナル。多少の苦労はあれど問題なく目的地へ近付けてもいる。
……実際は全員がその足で移動しているのではなく、オウガストはベルに背負われ、ディッセンはジュリーに横抱き――つまりは俗に言う「お姫様抱っこ」の状態で運ばれていると表現したほうが正しい状況なのだが。
少年に背負われる少女はともかく女性に乙女チックに抱きかかえられる男性というのは少々絵面として様にならない……が、そのことをディッセン本人は露ほども気にしていない様子だった。彼はただ、自分という荷物を抱えても暴徒をするりと躱していくジュリーの見事な身のこなしに賞賛と感謝の念を覚えるばかりであった。
「お、外壁が見えたよ。あとちょっとってところだね」
「それで、こっから俺たちはどうすればいいんだ?」
「どうするこうするもないでしょ。あの人が言っていたみたいに、ここから順に制圧していくんだよ――そうだよね、隊長」
「ええ。私の覇術こそ、広域制圧に適した超常の力ですから。街がこんな状況ともなればそれを活かさない手はないでしょう」
しかし覇術は気力や体力を著しく消耗する術でもある。自分を対象に含めないことで負担はいくらか軽減できるが、そもそもディッセンには覇術の才覚そのものが欠けている。故に、いくら回復薬を練り込んだ損害管理局より支給されている特製丸薬を服用したところで、怪物少女との激闘明けに範囲も対象者も不特定で術を発動するのは相当な無茶だと言える。
だがその無茶をするためにディッセンは南端にまで(運ばれて)来たのだ。
走ろうと思えば走れるほどの体力は戻っているのに未だにジュリーの腕の中に収まっているのだって、僅かなりとも体力の消耗を抑えるためという真っ当な理由ありきの判断だった。
「しかし私たちを閉じ込めていたナインの障壁を、まさか剣の腕一本で切り開いちまうような剣士がこの街にいたとはねぇ……マツリ・カイコンジ。知らない名だ。外来の冒険者だと名乗っていたが、ありゃただもんじゃない。ひょっとするとこの国の最高剣士にだって負けていないじゃないかと思えるくらいの凄まじい剣気だったよ。――あーあ、勿体ない。こんな場合でもなければ一手指南を受けたいところだったがね」
「それはよくぞ我慢してくれましたジュリー。マツリさんが言うには現状、事は一刻を争う。都市を救うために吸血鬼を追う私たちですが、その滞在中に別の要因で都市が滅んでしまっては意味がない。ですので――覇術『転禍為福』」
ディッセンが術を発動した途端、周囲の獣人たちは一斉にその動きを自らで止めた。まるでそうするのが自然なことのように、当たり前の行動であるかのようにピクリとも動かなくなってしまう。彼らは顔にばかり心胆からの驚愕の様相を浮かべているが、しかしそれを声に出すことすらできなくなっているようだ。
これぞ覇術。
万象の力を借り受け万象の力を自在に操る究極の戦闘術である。
「術ひとつ。たったそれだけでも、街の制圧など実に容易い」
「さすがだねぇディッセン。おっと、けれどあんまし動かないでおくれよ。あんたのほうが身長大きくって抱えるの大変なんだからね」
「あ、これは申し訳ない」
――術師が女性に抱っこされている姿でなければ、もっと絵にもなっていたのだろうが。
「うーん、これだと私の出番はない感じかな……?」
「だからお前は休んでりゃいいんだって。あの剣士が言ってたみたいに、冒険者たちの手が届かない南端から獣人を止めるからには隊長に一任するのが楽だし、確実だぜ?」
なんせ俺たちの隊長だからな! と何故か部隊員である自分を相手に自慢するような口調で言うベルに、その背中でこっそりとオウガストは呆れた顔をした。
◇◇◇
「思っていた以上に時間をかけてしまいましたわね――ここからはもっと急がなくては! クリムパ、まだあなたの愛馬は動けますわね!?」
「無論です! 私の鉄馬はまだまだ壮健ですぞお嬢様!」
「ほっほーう! そう焦らんでもよくなったようだぞ、【氷姫】の嬢さん!」
台方広場の鎮圧を大方終え、もう一息。あと少し頑張れば自身の所属する『タワーズ』がいる南方に戻れると意気込むジエロに、先ほど声かけをしてきたドワーフの言葉が届いた。
さっきまでの騒がしさであれば聞き取りづらかったであろう距離感でも、ほとんどの獣人が氷漬けになるか縛り付けられている今なら十分に会話が成り立つ。
「むっ――それはどういう意味ですかなドワーフ殿!」
「俺も聞きてぇな! どうやら吉報のように聞こえたが!?」
クリムパとメドヴィグからの問いに、髭もじゃの顔をはっきりそうと分かるくらいにくしゃくしゃの笑顔にしてドワーフは深く頷いた。
「おうともさ、仲間が連絡を寄越しよったんじゃ! どこもかしこも順風満帆! どうやら上手くいっとるようだ! ここだけじゃなく、中央帯全域で獣人たちの暴走はほどなくして収まるだろうて!」
「「「……!」」」
その知らせに、三人は共に喜色の気配を零した。『交流儀』のために集った獣人の全滅という最悪の事態はこれでどうにか避けられそうだ。――だが、他にも懸念がないわけではない。
これで一時は数多くの命の保証ができたがしかし、爆弾と化した獣人をどうするか。そして蒔かれた不和の種へどう対処するか。それらのことはまだ少しも解決しておらず、更にはもうひとつの心配事として。
暴徒の群れは鎮圧されど、中央帯では強者同士による戦いが未だに起こってもいるのだから――。
なんかルビ祭りになってしまった




