425 かつてそいつは
「まあまあ……呆れるくらいにみっともない恰好をして、感心しないわね。それでも女の子なの? せっかくの吸血鬼に劣らない美貌もそれじゃあ丸っきり台無しね」
「なっ……、」
かけられた言葉に何を返すでもなく、ぎょっと目を剥いているナイン。彼女だけでなく、クータとジャラザも同様に大きな驚きを見せていたが、同時に体も動いていた。ナインの前に素早く出る。その反応を見てクレイドールもまた即座に続く。三人が三人ともに万全とは程遠い状態ではあるものの、闘志だけはいつも通りに――いや、いつも以上に活発な様子で漲っているくらいだった。
戦意を駆り立てねばならぬ相手が目の前にいるのだから、それも当然だろう。
従者たちの臨戦態勢に、しかしナインは目を向けることなく。ただひたすらに自分に話しかけてきたその人物だけを見つめていた――それは相手も同じだ。
柔らかなハニーブロンドをかきあげ、鮮血を思わせる真っ赤な瞳でナインを見る。そんな彼女が誰であるのか、ナインはよく知っている。知っているからこそこんなにも驚いているのだ。
何故なら彼女は、ここに居るはずのない人物。
もうこの世に居るはずのない人物だったのだから。
「『ヴェリドット・ラマニアナ』……! どういう、ことだ!? お前は確かに死んだはず――まさか生きていたのか!?」
本気で困惑し狼狽える怪物少女を見て、あの日確かに命を落としたはずの吸血鬼――否、かつての『吸心鬼』ヴェリドットはくすりと優雅に笑った。
「いいえ? アンデッドの言い分としては些か奇妙に過ぎるけれど、私はもう生きていないわ。この私は単なる残響に過ぎない。ヴェリドットは、確かに死んだのよ」
「残響、だと……? 確かに死んだっていうのなら、こうしてここにいるお前はなんなんだ。まさか俺の目か気のほうが変になってるなんてことはねえだろうな」
「うふふ、相変わらず鈍いのね。私はユーディアよ」
「は……?」
ぽかんと口を開けて呆けるナイン。かなりの間抜け面を晒している自覚はあっても、少女にはそれ以外のリアクションの取り様がなかった。
クータも意味がわからずきょろきょろと主人とヴェリドットの間で視線を往復させているし、ジャラザは眉根を寄せている。ただ一人クレイドールだけが鉄仮面を貫いていつでも戦闘に応じられるように身動きひとつせずにいるが、そんな少女たちを見て自称ユーディアはより可笑しそうに笑うばかりだった。
「貴女だってあの場にいたじゃない。ユーディアが私の力を余さず簒奪した場面を、すぐ横で見ていたでしょう?」
「あ、ああ。血を吸い切って殺す。吸血鬼が吸血鬼にそれをやると、相手の力を奪い取って自分のもんにできる……そうだったよな」
「条件はいくつかあるけれど、その認識で間違いはないわ。つまりナイン。ユーディアは私という存在を丸ごと我が物とした。種によって進化した私を、私が多量に吸い取った貴女の力と共に自らの裡へと取り込んだのよ……おかげで私の可愛い妹は少しおかしくなってしまったわ」
「そう、らしいな……」
現在のユーディアの同行者であるマビノの言からすると「少し」では済まないような気がするナインだったが、そんな意味のない指摘をすることはなかった。
ナインの内心を知ってか知らずか、ヴェリドットは物憂げに頬に手を当てる。
「可哀想なユー……でもマビノの助力もあってようやく、私の妹は私から簒奪した力を制御できるようになったみたい。と言っても出来としてはまだまだ不完全。こうして私そっくりに変化しないことには――私になりきらないことには何もできないくらいに、ね」
「! なりきる、ってことは……今のお前は、ユーディアがヴェリドットに化けている姿ってことなのか?」
「ええ。私たちの状態を言葉にするならそういうことになる。言ったでしょう、私は単なる残響。あの子の中に残った私の欠片と記憶を元に、それっぽく力の形を作り直しただけの薄っぺらな皮でしかない……あら? 奇妙な顔をしているわねナイン。貴女としては、間違っても私が世に蘇っていないことを喜ぶべきじゃなくって?」
「……そりゃそうだ。でも、どうしてもユーディアが不憫に思えてならねぇ」
「そうね。こんな不出来な姉で申し訳ないと、私も心から思うわ。死んでからだってユーには負担ばかりかけてしまっている。今となっては償いのしようもない……見て頂戴、この姿。本当に私そっくりでしょう? あの子、翼を生やすことさえてんで上手にできなかったくせに、こんなに器用な変化ができるようになっているのよ」
すべてはまた姉に会いたいがため――姉がいた証を目に見える形で残しておきたいがため。今の彼女はユーディアでありヴェリドット。そこに線引きはなく、演じるともなく姉という存在に成り代わることが妹には可能となっている。
人が見れば物悲しいし、寒々しい。どこか狂気をも感じさせる演劇だ――だがしかし、これは単なる真似っ子などではなく。
簒奪によって得た力は……ヴェリドットの残したものは、確かにユーディアの中で息づいているという確かな証拠でもあった。
「さぁお分かりかしらナイン。今こうして、私が貴女の前に現れた理由。ユーがイクア・マイネスへの復讐という鋭意にして最大の目標を一旦諦めてまで貴女を追いかけてきた……私に追いかけさせた、その理由が」
「え――」
「ふふ、本当に鈍い。あの時からなんにも変わっていないのね……だったら私も見せましょう、あの時のように。――暴徒獣人たちを傷のひとつもなく封じようというこの難題! けれどそんなものは私にとって、なんの障害にもなりはしないのだとご覧に入れましょう!」
膨れ上がる妖気。闇に生きる種族の魔性の魔力が発散される。この圧迫感をナインは懐かしく思う――そして思い出す。ヴェリドットが使用した、『魅了』と並ぶもうひとつの厄介極まりないあの術を。
「『エナジードレイン』!」
ヴェリドットが勢いよく腕を広げた、その次の瞬間には通りの喧騒がピタリと止んだ――不気味なまでの静けさが辺り一帯へやってきた。
逃げる者も戦う者も怯える者も。各々多様に本通りを賑わわせていた狂乱の獣人たちは一人残らずその場に倒れ、ぐったりと動かなくなっている……動けなくなっている。おそらくは目につく範囲だけでなく、横店通りも含めた一帯の獣人たちが同じように地面に横たわっているはずだ。
一人の吸血鬼にその体力を根こそぎ奪われることによって。
「――ふぅ。流石は亜人、獣人種族。ここらだけでもなかなかの量になったわね……質も悪くない」
「やっぱり特段にえげつない技だな、それ。だけど……味方にいてくれたらこれほど心強いものもない。なあ、ヴェリドット。見たところ誰一人の命も取っていない今のお前は――本当に俺らの味方だと思ってもいいんだよな」
「うふふ……解釈ならどうぞお好きに。ちゃんとあなたたちは対象外に指定しているのでご安心を……私はただ、ユーがしたいようにするだけよ。あの子は貴女に恩義を感じている。そしてそれを返せていないことをずっと気にしていたわ。だからこうして、イクア・マイネスをマビノに任せてまで貴女へ伝えに来たのよ」
「伝えに……?」
どういうことかと首を傾げた少女に、ヴェリドットは片目を瞑ってまるでウィンクするように――敵対していたあの日とは似ても似つかない、本来の彼女らしいお茶目な表情で告げた。
「『獣人たちの収拾は私たちに任せて、あんたはあんたのすべきことをしなさい』……と、ユーは言いたいみたいよ」
「……!」
「だから不安がらなくていいし、焦らなくていいのよ。私だけでなくルゥナのパーティや『神逸六境』、そして『タワーズ』を筆頭に一部獣人たちも事態を理解して総出で鎮圧に回っている。ルゥナの『あね様』とやらが万全に手回ししていたみたい――いやに行動が早いのが気になるけれど、そのおかげで死者の数は今のところ抑えられているようだわ。そうでなければとっくに中央帯全域が廃墟になっていたでしょう」
貴女だけが戦っているんじゃないの、とヴェリドットは言う。
胸に少なくない衝撃を受けるナイン。その背後でクータがジャラザから頼まれてどこぞへ姿を消していたが、それを気にすることもできなかった。
独りよがりの傲慢さに指を差された気持ちだった。
力を持つ自分ばかりが大きな責任を持つものだと――そんなことはないと狐人冒険者のルゥナにも言われたばかりだというのに、それをもう忘れていた。
戦っているのは自分だけじゃない。全員が全員、負けないために――勝つために。懸命に戦っている。そんな当たり前のことを忘却してしまっていたのはやはり、まだイクアという邪悪にあてられた毒気が抜けきっていなかったからなのだろう。
肩の荷が、下りた。
かけられた呪いが――これで完全に解けた。
「――サンキューな、ヴェリドット。お前に礼を言うのもなんだか複雑な気分だが、お陰で腹ぁくくれたぜ。俺がここで戦うべきなのは……!」




