424 止めるべきなのは
離脱していたジャラザの帰還。
ドーララスの身を案じるあまりにガスパウロが、イクアからの指示を遂行すべくどちらかの死亡によって決着をつけるため、傷だらけの身体でも再度の戦闘を始めよう――としたそのタイミングで、それを制止しながら登場したジャラザ。抜群のタイミングでやってきた彼女に一同は大きく目を開いたが、中でも最も相好を崩したのは『ナインズ』メンバー内の誰でもなく、戦闘続行の宣言をしたばかりの【崩山】その人であったろう。
ガスパウロはジャラザというよりも、彼女の腕の内にいる別の少女こそを射貫かんばかりの熱心な視線で見つめているようだった。――彼がよもや見間違えるはずもなく、そこに眠る竜人少女の名を感極まったような声音で呼ぶ。
「ド、ドーララス様……!」
「うむ。この通りお主の姫様は無事、救い出したぞ。受け取るがいい」
「おお……確かに! ……ありがたい、ありがたい……!」
ふわりと地に降り立ったジャラザがドーララスを差し出す。安堵と歓喜によって唇をわななかせながら、丁寧過ぎる手付きでガスパウロが少女を引き取った。まるでガラス製品や陶器を扱うかのような慎重さだ。山のような巨体を持つ、見るからに雄々しき大偉丈夫の彼がそんな風にしていると少々印象に似合わずどこか笑いを誘いもするのだが、これはそれだけガスパウロが少女を大切にしているという証明でもある。故に傍の少女たちは顔を見合わせ、別の意味で笑みを浮かべた。
「んで……その子がイクアの奴に攫われていたって子なのか?」
「さよう。先ほど会ったが【風刎】もドーララス姫救出のため、儂よりもよほど早くに動いていたらしくてな。あやつからも話を聞いたが、その点に関してはまず間違いなかろう」
「! 待て娘、【風刎】だと――? ゼネトン・ジンが何故ドーララス様のことを?」
どこにも怪我はないかとドーララスの具合を確かめていた【崩山】だったが、同じく『神逸六境』の一人である【風刎】の名が出たことで疑問を抱いたらしい。まずもって彼がドーララスが攫われたという、イクア陣営を除けば自分しか知らなかったはずの事を知っているのも妙だし、そしてどこで知ったにせよ彼がわざわざ救出のために動く意味がわからない。
ガスパウロとゼネトン。二人は知人ではあっても友人ではなく、むしろ意見が合わず対立する敵同士のような立場になることもままあった……本気でぶつかり合ったことこそなく、精々が小競り合い程度に収まっていたのだが、それでも敵は敵。
最近では派閥間争いの激化に伴ってガスパウロもまた以前より暴徒への制裁に力を入れるようになったことで、それを見咎めたゼネトンといよいよの直接対決にまでなりかけたのも記憶に新しい――そんな関係性故に、間違っても仲がいいなどと言えるような相手ではない。
だからこそ彼は困惑を混じえて訊ねるのだ。
「奴が姫様を……俺を助けて得になることなど、ないはずだ。だというのに奴はいったいどういう腹積もりで……」
「知れたこと。友人ではないが、知人ではあるのだろう? あやつにとってはそれだけで助ける理由になる、ということよな。実際【風刎】が先に動いていなければ儂も間に合わなかったかもしれん。つまり真実を言えばドーララス姫を救ったのは儂ではなく、あやつなのだろう」
「……!」
「別れ際の言葉だが――『じっちゃんによろしく』、だそうだ。確かに伝えたぞ【崩山】よ」
「……そうか。ゼネトンのやつめ」
己が手の中で寝息を立てるドーララスを再度見つめ、ガスパウロは口元を笑みの形に曲げた。少女はジャラザの言う通りに無事である。五体満足で、目につく傷もない。未だにぐっすりと眠り続けているのは他の者からは少しばかり異様に映るだろうが、これは竜人特有の『防御反応』だ。特にまだ体の育ち切っていない幼体の竜人に度々見られる、必要最低限にまで身体活動を控えて体力と精神力の消耗を抑制する、冬眠にも等しい手法である。
それを実践せねばならないほどに追い詰められていたことは確かだが、ドーララスの顔色や栄養状態はそこまで悪くない。食事はきちんと与えられていたのだろう――弱ってはいるが、竜人であればこの程度は衰弱のうちに入らない。
彼女の好物でも料理してやれば自然と目を覚まし、食べてすぐにも元気になるだろう。
それがわかったことでガスパウロはようやく、凝り固まっていた肩と心がほぐれてきた。
「今ばかりはひたすらに頭を下げて感謝を示すしかあるまい……お前にも、ゼネトンにもな。だがあいつはどこだ? 一緒に来てはいないのか」
「儂も誘いはしたがの。何やらまた別にすべきことをみつけたようで、言伝だけを残して行ってしまったよ。弟子を助けるなどと言っておったが……なかなかに忙しい男のようだな」
「そうか。あいつにも直接礼をしたかったのだが、それは残念だ――」
呟くガスパウロの声を遮るように、ピシャン! と鞭を打つような破裂音が辺りに響いた。
戦闘中はそれどころではなかったので気付かなかったが、先ほどから断続的に聞こえてくるこの音はなんなのかとナインは発生源を探して――西方の空に、それを見つけた。
それ――そこにあったのは、言うなれば『暴風と電雷の嵐』。明らかに自然現象とは異なる、異常気象ならぬ超常気象の現場が空の一箇所に出来上がっている。
「なんだ、ありゃ……あそこで誰か戦ってんのか?」
位置的にはここからかなり離れているようだ。おそらくぎりぎり中央帯からも外れているぐらいの遠方である。そんなに距離があってもここまで風が吹いてくる。雷の音もまるですぐ傍で轟いたかのような音量で聞こえるほど。これはどう考えたって尋常ではないことだ――と考え、そこで理解する。
ルゥナという狐人が口にしていた、【崩山】以外。
止めろと言っていたもう一人の『神逸六境』のことを。
「あれは【雷撃】か……」
同じ結論に至ったらしいガスパウロがそう言った。しかし正体には思い至っても、彼の低い声には隠し切れぬ疑念がこもっている。
「雷をそこら中に落とす戦い方は……【雷撃】らしくもないな。あの娘は【天網】と同じく、いかなる時だろうと周辺被害を出さないことに執心していたというのに。魔力の質も少々妙だ――これではまるで、」
暴走しているようだ、と。
何気なく告げられたガスパウロの言葉でナインは悟った――イクアの口にしていた『とっておき』。
対象の進化と暴走を強要する『暴化の種』の完成版である『真化の種』。
それを使用したとびきりの才能を持つ人物というのがいったい誰を指していたのか、今ここに理解したのだ。
「つまり俺が止めるべきは、あの嵐の中にあるってことか……!」
ルゥナからの指示のもう半分が知れたことで、ナインはこの場を仲間たちに任せてすぐに出発――したいところだったが、しかし彼女の足は動かない。それは物理的な原因ではなく心理的な、つまりは心に生じた迷いによるものだった。
「どうされましたマスター。【雷撃】を止めるのでは?」
「そう、したいさ。そうしたいけど、他にもあちらこちらが切羽詰まってるもんでな……」
ナインは手短に、イクアがクトコステンの獣人たちに何をしたのかを語った。イクアの企みと、目下最大の問題である『弛緩爆化剤』。その脅威を正確に伝えられたかどうかは自信がなかったが、けれど事態の深刻さは彼女たちもきちんと把握できたようだった。
「ど、どうしよう! そんなの、クータじゃ何もできないよ!」
「儂も水牢ぐらいしか手はないな。しかしアレで拘束できるのは精々十人そこらといったところ。それではまるで数が追いつかんな」
「エルモスライトは……爆破条件を思えば使用するにはリスクが高いですか。となると、私もクータと同じく有効手を持ち合わせていないことになります」
「悪いが、俺はこれから姫様を安全な場所へお運びせねばならん……お前たちの力にはなってやれない。と言っても元から俺にやれることはないんだがな……重ね重ね、すまないな」
四者四様の言葉が返ってきたが、全てを要約すると「爆弾化に対処できない」という一言にまとまる。有効な手立てを持たないのはナインとて同じだが、しかしだからこそ少しでも人手を割いて、今や中央帯全域にまで広まった騒動をどうにかして抑える努力をする必要があるのではないか。
イクアの策略によって暴れている【雷撃】も、今は他の誰かが相手をしているおかげでそこまで被害は出ていない。ならば優先して対処すべきはやはり空の上よりもまず地上であろう――と。
謝罪しながら去り行くガスパウロへ「気にしなくていい」と二重の意味で背中を押してやったナインはひとまず仲間を引き連れて本通りへ戻って……台方広場に程近いその場所で、往来を染めるように流れに流れている獣人たちの血を目にしたことでどっと嫌な汗をかき、大いに焦りを抱き。
とにもかくにも妙案はなくとも何かをしなければならぬと闇雲ながらに駆けだそうとした――そんな考えなしの少女を引き止める声。
「あらあら、やっぱりお馬鹿な子。どんなに心乱されようと貴女が大局を見誤ってはいけないでしょうに……ねえ、ナイン」
「! お前、は――!」




