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421 怒りの矛先

 自分の力ではどう足掻いても脱出不可。


 と、断言できてしまえるくらいに全身をキツく絞め上げられていたクータだったが、体の自由を奪っていた【崩山】の手が第三者からの攻撃によって緩んだことで宙に投げ出され――それを認識した次の瞬間に彼女はもう、別の誰かの腕の中にいた。


 いや、誰かではない。


 言うまでもなく。【崩山】の手中とはまったく違う、優しくそれでいて力強い、安心感を覚えるその腕がいったい誰のものであるかなど……クータには当然にわかりきっていた。


「ご主人、様……」


「ああ。もう大丈夫だぜクータ。疲れたろう、ここらでお前はゆっくり休んでな」


 抱えられた状態のままで見上げれば、ナインは少しだけ笑みを見せた。それからもう一方の腕に収まっているクレイドール共々に手を放し「少し待ってろ」と告げる。


「クレイドール、頼まれてくれるか。お前も辛そうだけど、クータの傷がちと深い……生身でこれはキツイだろう」

「了解しました。クータのことは私にお任せを」


 クレイドールは生体部位を有しているとはいえ肉体の九割方が機械である。どんなにボロボロになっても動かずにいればすぐ修復が始まるのだから、痛みへの耐性や治癒の手間を思えば同程度に傷付いている場合でも、より重傷なのはクータのほうだと言えるだろう。


 とはいえナインの言葉通り、今のクレイドールは出力でも耐久度でも大きく限界を超えた直後であり、彼女もまた相当に辛い状態である。そんなさまで自身と同じような怪我人のことを「頼む」などと言われてもさすがの自称メイドも困ってしまう……が、それでも彼女は即断でもって了承の言を返した。それはクータという仲間を何に代えても守るという断固たる意思の表れでもあれば、もうひとつの理由として。



 過去類を見ない程の、恐ろしいまでの『怒気』を感じさせる己が主人マスターへ……従者らしい配慮を見せたからでもある。



「いってらっしゃいませ、マスター」

「おう」


 歩き出したナインの背中へ声をかけるクレイドール。それはただの送り出しの言葉であって、決して武運を祈る類のものではない。――祈りを捧げる必要などないと彼女は知っているから。


 そんなクレイドールの立ち位置の反対側では、一歩一歩近づいてくる怪物少女をじっと見つめる【崩山】の姿があった。



「ぬぅ……!」

(この娘が、『ナインズ』リーダーのナイン本人か。なんとか言う闘技大会で優勝し、久方ぶりに出たという――『武闘王』の称号を得た少女)



 この国の民であれば興味のあるなしに関わらずナインを知り、記憶に留めている者が過半数に及ぶだろう。特に強者というものに目がない獣人種が住民の大半を占めるここクトコステンでその知名度は一段と高くなる。しかしながら【崩山】はクトコステン在住でありながらもそこまで熱心にナインについて調べることをしてこなかった。


 ガスパウロは獣人ではなく竜人だ。獣人以上に種族としての自分に、そしてその強さに自信と誇りを抱く彼は、他の強者へ興味を持つということが基本的にない。君臨して当然という認識がある竜人はそもそも獣人種のような戦闘欲を持つこと自体が稀なのである。――戦うまでもないのだ。驕りでもなんでもなく、いたって正しく己の力量を自認している竜人族なのだから、わざわざ只人の強者になど感心を持つことなどないのである。


 その在り方は、只人へ好意的とは言えない感情を抱きながらもそれが強者であれば直接面識を持たずとも並々ならぬ関心と敬意を抱いてしまう、一般的な獣人たちとは対照的でもある。

 故にガスパウロが有しているナインの知識や印象というものは、精々が情勢を頭に入れておくために――あとドーララスが読むのを楽しみにしていることもあって――一応はと取っているクトコステン紙に記載されていた今年の闘錬演武大会の詳細な説明をざっと流し読みして得た程度の、ごく軽いものでしかない。


 記憶には残っていたが克明なものではなかった。イクア・マイネスが『ナインズ』を捕えて甚振れという指示を出した際に大会の優勝チームだという認識はあってもそれ以上に何かを思うことはなかった――が、しかし。


 一見非力に見えた少女たち。所詮は只人ばかり出場する程度の低い闘技大会。たとえ優勝チーム所属の者であってもこんなものだろうと、当初こそ彼女らを侮っていたガスパウロの見識は、けれど戦闘を介して見事に覆り……今ではクータにもクレイドールにも僅かながらに尊敬するような気持ちを向けているほどだ。


 敵ながら天晴れ、などと大層なことを言うつもりはなかったが、彼女らに告げた「見事だ」という賞賛に嘘はなかった。


 実際に相対することで、紙面で得ただけの安直な印象や認識が改まった。


 ――そしてそのことは今この瞬間にも同様のことが言えた。



(たった一度! たった一発の蹴りで、だと……! そんな馬鹿なことが!)



 腕の具合は確かめるまでもなく最悪だった。辛うじて動かせはするがこれではもはや武器にはならない。


 たかだか手足の一本が働かないくらいで彼の戦闘に支障と言えるほどの支障は出ないが、さりとて抜群の頑丈性を『竜化ドラゴナイズ』によって更に引き上げている今のガスパウロがただの蹴り程度で末端部位とはいえ深刻なダメージを負ったことは大問題だ。


 何せ蹴りつけるくらいのことはこれまでにクータが何度だってやっている。途中からはクレイドールも格闘戦に参加したことでガスパウロの肉体は何十発何百発という殴打や蹴打によって打ち据えられているのだ。

 それでも血の一滴すらも流していないのが【崩山】という強者であった――のだが、それがどうだ。


 怪物少女の手にかかれば……否、その細く嫋やかな足にかかればこの通り。


 戦闘形態の竜人が有する頑健なる肉体であっても、呆気なく傷を付けられてしまう。


(武闘王とはこの国における最高の戦士としての称号だという。しかもこの娘にはそれとは別に白亜のなんちゃらと、他にも。そうだ――『怪物少女』という呼び名があったな。……なるほど、これは確かに怪物的。竜人の腕を折りかけるなど只人の範囲を著しく逸脱している。後ろの小娘二人も相当に只人離れしていたがこいつはもはやそんな次元ではない――確実に存在としての強者こちらがわにいる)


 巨体かつ竜化によって威容を誇る自分にも一切臆さず歩み寄ってくる紅い瞳の白い少女。近づけば近づくほどにその小ささがより浮き彫りとなる。クータやクレイドールよりも低い背丈に、戦士には到底見えぬ作り物めいた美しい顔立ち。少女の見かけからは戦う者としての威風や気概というものを、きっと誰一人とて感じ取ることはできないだろう――対面するガスパウロの竜人としても大柄な体躯が、余計に少女を矮小に見せてもいるのだからそれも仕方ない。


 けれども、その瞳の色だけが。


 深紅に染まった光を煌々と放ちながら真っ直ぐに己を捉えて離さぬその双眸が――ガスパウロにとっては何より明確な宣戦布告・・・・と受け取れた。


(戦る気は十二分、といった具合だな……! 指定されたのはあくまでリーダーではなくそれ以外の『ナインズ』メンバーのみ。つまりナイン本人は命令の対象に含まれていない――だが!)


「貴様もまた俺の前に立つというのなら、ナイン――メンバー諸共に潰してやろう!」


 ドーララスが無事に解放されるためにはイクアの命令を果たすことは必須。どのみちクータたちを甚振るためにはナインを倒す必要があるだろう。ならば迷うことはない。これは元々決めていたことでもある。もしも邪魔者が出現したならば、たとえ指示に入っていない者だとしても彼は躊躇いなく潰すつもりでいたのだから。


「諸共にだぁ……? そんなことができんのかよ、あんたに」

「なんだと?」


 足を止めたナインからの思わぬ問いかけ。ギロリと険しい目付きでガスパウロが凄めば、少女は。


「クータのことを……本気でるつもりだったろ。あのまま握り潰そうとしていやがったな」


「無論だ。そして今からお前もそうなる」


「ついさっき言われたんだ。リーダーならまず仲間を守れってさ。そんじゃあ今の俺は、リーダー足り得てるのか?」


「……なんの話だ? お前がリーダーとして相応しいかどうかなど俺の知ったことではない」


「そうかい。そりゃそうだな。だけど俺はむしゃくしゃしてるよ。最悪の気分なんだ。強くたって一人じゃなんにもできやしないのが腹立たしい――だからせめて容赦はしない」


「待て……さっきからお前は何が、」


 何が言いたいのか、と。

 話が通じているようで通じていない感覚に苛立ったガスパウロは少女にそう訊ねようとしたが。



「もう黙れ」



「!」


 こきり、と拳を鳴らした少女が――内に秘めた怒りをとうとう隠さなくなった。


「俺の仲間に手を出して、これだけ傷付けて、挙句に命まで取ろうとしたんだ。ただで済むなんて思うなよ木偶の坊……ぶっ殺す・・・・。後悔なんざ、させてもやらねえ!」


「! 『燗龍槍』――!」


「おっらぁあ!」


 ナインの覇気に先制の攻撃を繰り出したガスパウロ。その竜気を纏った大掌打へ、少女は真っ向から拳をぶつけた。


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