420 間に合ってくれ
「そういうことだったのかよ――ならゴメンだぜおじょっちゃん。俺っちはとんでもねー勘違いをしちまってたみたいだナ……」
ある程度傷口も塞がり始めてきた鳥人ゼネトン・ジンはやおら立ち上がり、目の前にいる彼女――外傷は左肩の部分にしか見当たらずとも疲労の度合いで言えば彼よりもよほどぐったりとしている青髪少女、ジャラザへと素直に頭を下げた。
「言われてみりゃ確かに、襲撃犯、それも吸血鬼なんかと共謀容疑をかけられてた『ナインズ』が市政会とグルなんざ考えにくいことだったぜ……ドーララスちゃんを助けようと急いたあまり、ちょいと視野が狭くなってた。そのせいでおじょっちゃんにこんな怪我させちまって――この通りだ! 本当にすまねえ!」
「いいのだ。頭を上げてくれぬか【風刎】――いや、ゼネトン。儂とてお主を倒すべき敵と見定めたのだ。イクア・マイネスについてある程度の情報を得ていながらも、言葉で説得することを選ばなかったのは明確に儂の落ち度なのだから……つまりこれはお主だけの責任ではない」
とまれ、ゼネトンの迅速な攻めを思えばまず話し合いから始めようとした矢先に何を言う間もなくノックアウトされていた可能性は著しく高いだろうが、今はそんな「もしも」の展開を思うよりも無駄にした時間を少しでも取り返す努力をする必要がある。
「急いた反省をしたばかりのところを急かせるようで悪いが、ゼネトン。納得ができたのならドーララス姫を儂に預けてくれ。まさしく事は急を要するのだ。仲間と戦闘中の【崩山】を止めるには、一刻も早くその子を奴の下へ連れて行って無事な姿を見せるしかない」
「――アァ、そうだな。じっちゃんを止めてやらねぇと……」
そう言いながらゼネトンは何かを考えるように――いや、何かを観察するように空を見上げた。その態度を訝しみながらもジャラザは続ける。
「『神逸六境』同士で知己であるというのなら、お主も一緒に来てくれぬか? そのほうがお主も安心できるであろう」
人質さえ奪還できれば【崩山】は止まるはず――しかし彼のリアクションがそれだけに留まるかはジャラザにとって未知数だ。なのでこれは、彼と知り合いのゼネトンがその場にいてくれれば説得が容易になるかもしれないという期待と、こちらの話を信用してくれたゼネトンではあるものの、そうは言ってもドーララスが【崩山】と再会する場面を目撃しないことには安心しきれないだろうという気遣いがあっての提案である。
当然彼は「俺っちも行くぜ!」といった具合に即答するものと考えていたジャラザだが……、
「いや、俺っちは遠慮しとくぜ」
その予想は見事に外れた。
「む、先行きを確かめなくともいいのか?」
「ジャラザちゃんのこと、完璧に信じてっからヨ……こんだけ話を聞けば信用できる奴かそうじゃないかってのはわかるもんさ。【崩山】のじっちゃんにはジャラザちゃんのほうからよろしく言っといてくれ。俺っちは他にもやんなくちゃいけないことができたもんで、そっちに向かうぜ」
「他に……? ふむ、多忙なのだな【風刎】は。お主にはまだ救うべき者がいるということか」
「救うだなんて大それたもんじゃねーサ! ただまぁ、風がよぅ。空の上から風が届けてくれるんだ。この魔力は間違いなくあの子だぜ……だからちょいと、弟子の奴に会いに行こうと思ってな」
【風刎】に弟子がいたのか、と初耳の情報にジャラザが目を丸くすれば、ゼネトンは悪戯っ子のように笑った。
「人に知られると恥ずかしいってんで口止めされてっけどな! まったく師匠思いじゃねーだろ? だけどそれでも俺っちにとっちゃ可愛い娘みてーなもんだから、ナ。こういう時ぐらいは手助けしてやりてぇのさ」
「なるほど……しかし、やれるのか? いかに獣人とはいえその傷の量では、もはや軽傷とは言えまい」
「なんてこたぁねーさ! 俺っちは怪我ぐらいで自由を奪われたりしないのさ。それよりおじょっちゃんのほうこそいけんのか? まだ足元がふらっふらしてるじゃんかよ」
「なに、儂とて体はまだ動く。いざとなれば這いずってでも行くとも」
お互いにやらねばならないことがある。それぞれの使命を持つジャラザとゼネトンは故に、ここで別れることとなる。
「ドーララスちゃんとじっちゃんのこと、頼んだぜおじょっちゃん」
「元より頼まれるまでもない。お主こそそれ以上傷が増えないよう気を付けることだ」
「へへっ、了解だぜ! そんじゃあナ!」
ふわりと飛び立ち記念館の屋根を越えていくゼネトン。あれだけ負傷しているとはとても思えないような動きに、ジャラザはつくづく「生まれながらの戦士種族」たる獣人の逞しさに感心させられるが、今は呆けている場合ではない。
「儂も急がねばな――」
小さないびきをかいて寝ている竜人少女を横抱きにして抱える。――見かけよりだいぶ重い。角や尻尾の分の重量もあるのだろうが、まず少女の肉体そのものがずっしりとしている。ほとんど体力を使い果たしているところに追い打ちをかけるような重量に、ジャラザは渋面を作り上げた。
「泣き言は言ってられん、か。早く【崩山】へこやつを送り届けねば。どうか間に合ってくれよ……!」
水泡を生み出し足場とし、ジャラザもまた重い体を押して記念館の裏庭から飛び出した。
◇◇◇
ジャラザがゼネトンへ経緯を語って聞かせているその頃――事態は既に『手遅れ』だった。
【崩山】の脅威に晒されている仲間を救うべくジャラザは精一杯に急いでいたし、そのせいで本来回避できたかもしれない戦闘を回避できなくなったりもしたが、しかしそれを踏まえても通り門を後にしてから人質確保までにかかった時間はそう大したものではなく。
むしろドーララスが捕らえられている場所についてなんの情報も持たずに出発した無謀の割には驚異的なまでに早く奪還できたとも言える――ほとんど偶然に助けられた結果とはいえ、この点をジャラザは大いに褒められていいはずだ。
けれどどれだけ急ごうと早かろうと、間に合わせるべき時点に間に合っていないのならば、結果を勝ち得る手腕にも幸運にもなんの意味もないのである――何故ならゼネトンがジャラザの話に理解の色を示し始めたその時にはもう、クータとクレイドールの二人は……とっくに戦える状態ではなくなっていたのだから。
「はぁ、はぁ、はぁ……!」
「ぐ、く――っ、」
地に両手をつき這いつくばるクータ。その全身は血だらけで、息も荒い。呼吸するだけでも体力が底をつきそうな、まさに死に体の様を見せている。
その横で仰向けに倒れているのがクレイドールだ。彼女もまた立ち上がりたくても立ち上がれずにいるようである。蓄積したダメージが許容限界を大きく逸脱しているのだろう、自己修復機能が作動しきれていない様子だ。
クータの赤い血とクレイドールの黒い血が地面を濡らす。両者は共に奥義と呼べる強化技も解除されており、素の状態である。解除されたのはたった今ではなくもっと前。彼女たちはそれでも我武者羅に戦ってみせたが、強化状態でも遠く及ばなかった相手にそれがないまま挑めばどうなるかなど、火を見るよりも明らか。
――その無茶の結果が今なのだ。
「はぁ、はぁ――『炎環』……! ウぅッ!」
「リアクター再稼働――ッ、ク、……」
「…………」
戦う意思は潰えていない。しかし体はもう動いてくれない。クータの出した炎は瞬きだけを残してすぐに消え去り、まだしも損傷の少ないリアクターからの出力を得ようとしたクレイドールも一瞬胴体が跳ねただけでそれ以上は何も起こらなかった。
そんなボロボロの二人を、巨体の竜人【崩山】がその威容を見せつけるようにしながら見下ろしていた。
「まだだ、まだだよ……! 負けるもんか! クータはまだ、飛べる……」
「ふむ――お前はまだ、少しばかり元気が残っているか。それとも威勢のみでも吠えられるだけのなけなしの意思の力か……いずれにせよ、まずはお前から潰してやるとしよう」
「ぐぁ……っ、」
「クータ……!」
巨腕がクータを掴み上げる。ただでさえ体格差は圧倒的であったが、【崩山】が『竜化』という竜人としての戦闘形態を取ってからはその身長や手足の大きさは更に増しており、今や片手でクータを鷲掴みにできるほどとなっている。
「このまま握って、それで終いだ」
「むぐぅ……!」
「~~~~っ!」
潰す、という言葉がなんの比喩でもなかったことに戦慄を覚えるクレイドール。手の中で圧され声も発せられないクータは、僅かに動かせる足先だけを懸命にばたばたと暴れさせているが、当然そんな抵抗は抵抗のうちにも入らない。
クータが死ぬ。
その現実が目の前に迫ったことで、クレイドールは両目を光らせた。動かないはずのリアクターを意思だけで動かし、正真正銘最後の攻撃。蝋燭の火が消える間際に一際強く輝きを放つように――、
「フェノメノンアイ……起動!」
赤い怪光線が少女の眼球から発射される。最大出力で飛び出したレーザービームはしかとクータを握る腕を捉えて――そして。
「なにやら目が光ったようだが……今、何かしたのか?」
――なんの影響も与えられなかった。【崩山】は痛みはおろか痒みすらも感じていない。それがクレイドールの心を折るための一芝居、などであったらどれほどよかったろうか。実際はそうじゃない。戦闘形態となった彼は本当に、今の攻撃を攻撃とすらも思っていないのだ。
強化が解けて以降のクータとクレイドールは、【崩山】に対し一発の有効打すらも与えられていなかった。
「クー、タ……」
「安心しろ。すぐにお前もこいつの後を追わせてやる」
そう言って【崩山】は。
己が手中にある小さな命を。
いざ握り散らしてしまわんと万力のように力を込めて――。
その腕を誰かに蹴りつけられたことで、それが叶わなかった。
「ぐぅ……っ!?」
「てめえ、俺の仲間に――何をしてやがるっ!!」
――怒れる怪物少女の襲来である。




