419 逃走経路
「お互いに不死身! これは長い戦いになりそうだね――っていうか、戦いにならなそうだね。殺し合いだっていうのにどっちも死なないなんて、決着のつきようがないじゃん」
「案ずるな小娘。この私がたかが不死ごときを殺しきれんと思うか?」
「……へぇ。それじゃあ君はどんな手段であたしを眠らせてくれるのかな?」
「なに、それに関しては実に単純だ――死にたくなるまで殺すのさ」
返事を言い終わらないうちから、マビノは仕掛ける。だがそれを見越していたイクアが先んじて触手を伸ばした――が、どんなに数を増やしても、どんなに速度を上げてもマビノには当たらない。動きが違う。抜群の勘はあっても戦士としての経験を積んでいないイクアでは、長き生なき生で常に戦いに身を置きながら生き抜いてきたマビノには遠く及ばない。
またしても攻撃を掻い潜られ、近づかれてしまう。その間合いはもうマビノの距離だ。
「血染め、滝登り――」
「速……っ、」
「『ブラッディ・ライン』」
下から上へと振り上げられた爪。その軌跡に沿って血が一本の線となって駆け上がり、まるで斬撃が如くにイクアをズタズタにする。
「いぎぃ……っ!」
「ユーディアは高度な影魔法を扱える私を羨みながら、しかし同時にこうも言っていた――『吸血鬼の真価とは技ではなく力にこそある』と。大いに賛同したい。私自身もそう思っていたところだ……私たち夜を歩く者は! 純然たる力で以って闇と血を支配する種族であるとな!」
「あぅっ、」
イクアの両ひざを血の弾丸によって撃ち抜く。動きを止めるためと甚振るためというのが半々であったが、与えた切り傷も弾痕もすぐに修復されていく。
「その再生力……速度と消耗の少なさで言えば吸血鬼以上だな。まったくもって人間らしくない――気味が悪いぞ、化け物め」
「あは、ははは! マビノがそう言うなら、人から言われるよりもっと説得力あるね……だから誉め言葉として受け取っとくよ。生き血を啜る化け物ですらも、あたしのことを人とは違うって証明してくれるんだから、それはとっても光栄なことだ――ねっと!」
傷を治し、立ち上がる。彼女の全身に付着した血液はどういう原理かすぐさま渇いて剥がれ落ちていく。こうなると衣服以外にイクアが怪我を負った事実を証明するものは何もなくなってしまう。与えたダメージが無意味となれば相対している者は必然、疲労感とそれ以上の徒労感を味わうのだろうがしかし、マビノに関してそれはなかった。
「肉体的な不死者がそれでも死を迎えることがあるとすればそれは……『精神的な死』がその原因となる。心が折れればそれまで。不死など実に脆いものだ――つまり、これから私がすることもそういった類いのものだ。お前という醜悪な魂が自ら滅することを望むまで、徹底的に殺し尽くしてやろうじゃないか」
「あぁ、なるほどそういう……あは、本当に言葉そのままの意味だったんだねぇ」
「おっと、またぞろ何か企んでいるな? 生憎だがナインと違って口八丁で動かされる私ではないぞ。もう一度人質でも取ってみるか? それもいいだろう、そいつごとお前を殺すまでだ。しかしいちいち刈りとる命が増えても面倒だ。そのままそこから動かずにいてくれると助かるが」
「わぁお、過っ激ぃー。いいのそんなこと言って。あたしがやけになってここらの人たちを手当たり次第に殺すかもしれないのに」
「そんな自由は与えんさ。別に、もし仮に巻き添えで誰が死のうとも、言った通り構わんしな。私はユーディアほど人間を好いてはいない。嫌いとは言わんがしかし、所詮は血袋だ。格別努力して守ってやろうとも思わない――だから、まあ。無駄な足掻きはやめて大人しく死んでろ」
「あは……!」
「血染め、首晒し――『ブラッディ・デスサイズ』」
そこからは宣言通り、マビノは延々とイクアを作業のように殺し続けた。
立とうとすれば足を砕き、反撃に臨めば手を潰し、何か言おうとすれば顎を外し、他を狙おうとすれば目を抉り取り――何もさせない。
イクアにできることと言えば増肉剤とナノマシンによる回復のみで、その他一切の行為が封じられた。喉をこそがれ呼吸さえも、瞼を千切られ瞬きさえも。生理的な反応すら何ひとつとて彼女に許されはしなかった――そんな凄惨な、戦いというよりも拷問の場面を見て……ルゥナの目付きは自然と厳しくなった。
見かけは幼くあっても彼女も海千山千の冒険者である。そもそも狐人の中でもルナリエと共に特殊な血を引いている彼女はこんなナリでも齢三十を超えてもいる。
普段の子供っぽさも大部分は彼女が自身で作り上げたものなので、たとえイクアが目の前でどれほど血生臭く痛めつけられようともそんなことに気分を悪くはしない――故に彼女が思うのは別のこと。マビノという吸血鬼の容赦のなさも懸念と言えばそうだが、されど味方は味方。
そちらに気を揉むよりも今、まず警戒しなければならないのは……『順調すぎる』ということだった。
「ふう――やれやれ。ざっと千回は殺してやったというのに、ここまでやってもまだ屈しないか。精神的にも相当に化け物だな」
「マビノ。今のところは間違いなく、圧倒しているのはお前だコン。だけど重々気を付けるコン。こんなにもあくどいこいつが、ただされるがままというのは少し腑に落ちないコン」
呆れたような口調で一旦死刑執行の手を止めたマビノへ、ルゥナが真剣な様子でそう警告すれば、マビノもまたそれを真剣に汲み取った。
決して倒れ伏すイクアから視線を逸らすことなく彼女は頷く。
「無論油断などしないさ。このまま丁寧に殺してやるとも。思った以上に骨が折れそうではあるが、それも時間の問題だ。真の意味で永遠なる存在などこの世にはあり得ない。不死者だろうと、神だろうとな。たまさか再生力を手に入れただけの人間なら尚更だ――無限に思えようともいずれ命は尽き、果てる。そうだろうイクア。そろそろ自分の限界が無視できなくなってきている頃じゃないか?」
「あ゛ぁ……そー、だね。いい加減、こっちも……殺され飽きてきた、かなぁ」
負傷は完治しているはずのイクアだが、返答はひどく擦れた声だった。あれだけやられてまだ返事ができるだけでも大したもの――というよりハッキリ言って常軌を逸しているが、もはやイクアのことに関して今更その程度で驚いたりはしない二人だった。
「まだ余裕あるコン。もっと手酷くやっちゃえコン」
「お前はせめて止める側であれ……口だけでもいいから」
冒険者としての立場があるルゥナを気遣って汚れ役を率先して引き受けているマビノは少々渋い顔をする。まあ、自分にとっても役得なので殊更に恩を着せるつもりはないのだが。
「あは……二人ともほんと仲いいねー。即席タッグとは思えないぐらいだ。そんな仲良しの二人をいつまでも見ていたいのは山々なんだけどぉ、ちょーっと痛いだけなのはもう、うんざりな気分なんだよね」
「ならばどうする? この状況から逃げ出してみせるか?」
「うん、逃げるよ」
「……、」
あっけらかんと告げられた逃走宣言に、一瞬呆けたマビノ。その顔を見て倒れたままのイクアはにっこりと笑って――
「それじゃあさよなら、さよなら、さようなら――」
「! させるなコン!」
「ちぃっ!」
イクアが何をするつもりか瞬時に悟ったルゥナとマビノだったが、一手遅かった。マビノが頭部を狙って血の弾丸を撃つよりも早く、少女の全身は爆発によって吹き飛ぶ。それは先ほどナインに掴まれた腕を爆破させた時とは比較にもならないような勢いで、イクアの肉体は文字通りの木っ端微塵となってしまった。それを受けてさしものルゥナもマビノも顔色を変える。
「し、信じられないコン……獣人たちは爆破できなくても! 自分の体なら好きに爆破させられるということかコン――そんな手段で逃げようだなんて人間の発想じゃないコン!」
「しかも飛び散った肉片が……勝手に移動しているだと!?」
現在のイクアは破片よりも細かく小さなパーツに分けられている。当然意識なんてものはなく、肉片を動かしているのは彼女の意思ではない――これらを操っているのはナノマシンだ。それも一箇所ではなく花火が散るように全方位へと肉片を動かしている念の入りようだ。おそらくはこうやって逃げた肉片のどれかが何処かの安全な場所で再生を始め、やがては元のイクアへと戻るのだろう。
「してやられたというわけか――『血霞み』!」
咄嗟に血色の煙を散布するマビノ。少しでも肉片の移動を阻害するべく発動させたのだが、その効果は思った通り。
「ちっ、やはり効かんか……!」
吸血鬼の血霞みとは快楽を与えることで対象の動きを鈍らせる特殊な術だ。ナノマシンそのものには効力を発揮しないし、言うまでもなく死体でしかないイクアには効果を及ぼせない。いや、生きている状態でも彼女に限って血霞みを使っても意味はないだろう。何故ならイクアの体内には『リッちゃん』なる別固体が宿っているのだ。イクア本人が体を動かせなくなっても内に潜むそいつが動かせばそれで済む話なのだから、ルゥナの幻覚術同様にマビノが覚えている拘束や捕縛の術の大半がイクアには通じないということになる。
「この、猪口才なガキめが!」
怒りに任せて爪を振るう。
手頃な場所にあった肉片のひとつが砕け更に小さくなって地に落ち、動かなくった――が、それだけだ。その間に残りの肉片はすべてどこかへと消え去っていった。
「ああも細かく分かれても復活できる自信があるということは、核があるタイプの不死ではないな。そして再生力自体もひょっとすれば吸血鬼並かそれ以上か……なんたるガキだ」
「吸血鬼以上の不死性とは仮定にしてもゾッとしないコンね。……どうするコン? ルゥナには死骸の部品を追いかける技術なんてないコン」
「私とてそうだ。今のイクアは復活するまではただの死体、その芥。生者でも亡者でもない者を見つけ出すなど、相当に優れた感知系の術者でもなければ不可能な芸当だ」
必ず殺してやると約束して別れたというのにこの体たらく――ユーディアに合わせる顔がない。
「…………、?」
マビノが険相を浮かべるその横で、同じく考え込んでいたルゥナはふと空を見上げたことで、その異変に気付いた。
「マ、マビノ……見るコン! あれを見るんだコン!」
「今度はどうした――、っ! な、なんだアレは……いったい向こうで何が起きている?!」
見上げるほどに大きく、街の空を覆いつくほどに巨大きい……青白い光を放つ『剣』が二人の見つめる先に浮かび上がっていた。




