418 マビノvsイクア
「わぁお、吸血鬼かぁ……!」
漆黒のようなローブを身に纏い、プラチナブロンドの髪が眩しいその少女は、イクアにとっても見覚えのある少女だった――マビノ。イクアと間接的な接点を持ち、復讐のために襲撃をかけてきたユーディアという吸血鬼。その連れであるところのもう一人、襲撃犯の片割れこそが何を隠そう彼女であった。
「――あは。また仕掛けてくるのを首を長くして待ってたよ、マビノ。でもまさかこのタイミングだとはね! 音沙汰ないからとっくに街を出ちゃったかとも思ってたんだけど、よかったぁ。ちゃんともう一度邪魔しに来てくれたね」
「邪魔も何もあるものか。お前がこの都市で何をしようと知ったことじゃあない――私は単に、ユーディアの悲願を晴らしてやる。それだけをしにここへ来たんだよ」
「ふーん、それは重畳。あれ、でもその肝心のユーディアはどこにいるの? 復讐ってのはあの子の目的であってマビノとあたしの間にはなんの因縁もないはずだよね? つまりあたしを殺すのはユーディアじゃなきゃ意味がないはずなのに……なんでマビノだけなの? どこか遠くからこっち見てるとか?」
遠見の術でも使われれば、隠れている人や物にめっぽう敏感なイクアであってもその気配に勘付くことは難しいだろう。それでもなんとなく嫌な感じを覚えることはあるのだが、今の彼女にはそういった感覚もない。余程巧みにこちらを覗いているか、あるいは影魔法をも超えるような超高度な隠匿術が使われているのか。
いずれにせよあの頭のおかしな復讐鬼がこの周辺にいないはずがない、と考えるイクアであったがしかし、そんな彼女をマビノは実に冷めた目で見つめた。
「いいや違う。ユーディアならここにはいない……あいつは今しがたナインを追いかけていったんでな」
「……へ? なんで。だってあの子が復讐の主動でしょ? どうして一緒じゃないのさ。この場にいないなんておかしいよ。あたしよりもナインちゃんを追いかける意味もよくわかんないし……マビノと役割が逆ならまだしもさ」
「ふん……。ユーディアがこの場を、絶好の復讐の機会を放棄した理由を語ったところでどうせお前にはわかるまいよ。あいつは常にお前を殺すことばかりに目を向けてはいたが、それ以上に優先しなければならないものがあった。それだけの話だ」
「へーそうなんだ。まあ復讐なんてやったってなーんにも生まないしね! そのほうが健全でいいよ。あたしとしてはちょっとがっかりしちゃうけども」
「……ハ」
イクアの言葉に、マビノは薄く短く、笑った。
それはこの上なく酷薄な印象を周囲へ抱かせる彼女が、イクアに対してどういう感情を抱いているかがよくわかるような笑い方だった。
そんな鮮烈とも獰猛とも言えるような如何にも夜に生きる種族らしい顔を向けられて――それでもイクアはいつもの調子を崩さない。
「いやぁ隠れてたのは吸血鬼だったかぁ。ルゥナのパーティが隙を狙ってるんだとばかり思ってたや。それぞれが無関係にあたしを追ってただなんて流石に読めなかった……手を組んじゃうことも含めてね。それで、なに。ルゥナとマビノは即席タッグを組んであたしを捕まえる――ああいや、殺すんだっけ?」
「殺しは、しないコン。仲間もまとめて治安維持局に放り込むコン。お前は大罪人、必ず元老院直轄の大司法で死刑が下るとは思うコンけど……それでも私刑で裁くより、その結末が真っ当だコン」
それはルゥナが冒険者であるための判断であった。彼女はこの国、アルフォディトに所属してはいない。国内をホームとして活躍する冒険者であったならばまだよかったが、他国からやってきている彼女とその一党が勝手に罪人を裁いてはややこしいことになる。
無論イクアのような現行犯、それもとびきり質の悪いことを仕出かしている輩を目の前にしているのだから、緊急事態として捕縛に拘らず生死問わずで犯行を止めることだって当然視野に入りはするがしかし……諸々の事情を考慮すると、できればここで殺しに手を染めたくはないというのが彼女の本音だった。
ただしそれはルゥナ側の事情であって、マビノ側の見解――というよりも「望み」はまったく異なっている。
「いいや殺す。生かしておいて万が一があっては堪らないからな。お前は今、ここで私が、確実に殺す……とそう予告しよう。局やら省やら院やらの世話にはならんさ」
ユーディアの姉の無念を晴らすべくここにいるマビノはあくまで自分の手でイクアの息の根を止めることに拘る。彼女にしてもアルフォディトに対して帰属意識なんて持っていない。しかもマビノは冒険者などではなく吸血鬼。限りなくアウトローな存在……というよりその極地である。
そんな彼女が斃すべき敵を前に牙と爪を収めることなんてするはずもない――裁くのは司法ではなく己の匙次第であるとマビノはとうに決めているのだから。
しかし当然、それに反発するのはルゥナである。
「少し待つコン。さっきからマビノは勝手を言いすぎだコン! 一緒に戦うんだから一方的にイクアの処遇を決めないでほしいコン!」
「ふん、私は貴様たちと違って立場を気にする必要もないのでな。だが心配するな、不安なら貴様はただ見ているだけでいい。戦うのは私だけで、そして可能な限り奴を殺さないよう気を付けようじゃないか」
「本当コン?」
「もちろん。ただし気を付けたとしてもついうっかり……そう、本当にうっかりと、二度と動けないようにしてしまうかもしれないがな」
「それ結局生かす気はないってことコン!?」
マビノの何ひとつとて配慮が感じられない言い分に憤慨するルゥナ。
手を組んでおきながらまったく反りが合わない二人へ、イクアは失笑してしまう。
「ちょーっとちょっと。人をまな板の上の鯉みたいにさぁ。殺す殺さないで揉められてもいい気しないよ、まったくもう。だいたい、ちょっと甘いんじゃないの?」
「何が甘いって言うコンっ?」
「だってさぁ……君たち、自分が死ぬことを勘定に入れてないでしょ」
片手を上げるイクア。その手は空だった――掲げる前までは確かにそうだった。しかし気が付けば彼女の手の中には歪な形のナイフが握られているではないか。
黒く不格好なそれはおそらく、『リッちゃん』のナノマシンによって形成された即席短剣なのだろう。
「『今そこにない危機』」
「!」
イクアが一瞬にして間を詰める。まるでルゥナの意識の空白を突くような、瞬きの刹那へつけ込むような、絶妙のタイミング。そして想像以上の素早さで狐人童女へ肉迫したイクアはなんの躊躇いもなくその顔面目掛けてナイフを突き刺した。
が。
「させると思うか?」
「わお、反応が早い。やるね!」
それをマビノが防ぐ。イクアの接近と同時にルゥナとの間に割って入ったマビノの腕に弾かれてナイフは宙を舞い――そして粒子となって霧散し、イクアの体へと戻っていく。
「面白い芸当だ。手品師にでもなるつもりか」
「なれたらいいねぇ、練習しなくっちゃ――まずは全身串刺しマジックからね!」
粒子の触手が鋭利な先端を伴ってイクアの体内から飛び出し、マビノへ殺到する。次の瞬間には吸血鬼の矮躯は無残にも貫かれていることだろう。犬人少女を抱えたまま後退するルゥナはそう予見し、咄嗟に門術で援護しようと考えたが。
「くだらん」
一見して回避不能に思える黒い触手の群れを、されどマビノは全て躱しきる。
凄まじいのは距離を取るのではなく保っている点――否、むしろ自ら近づいているところだ。
「血染め、花開き――」
「!!」
「『ブラッディ・リリィ』!」
手が体に触れるか触れないか、というところまで迫ったマビノが血魔法を発動させれば、イクアはその腹の内からまるで花が咲くような勢いで血を噴射させる。
「ガァっ……! く、はは。すごい、あたしの血を操ってこんなことを……!?」
「できるとも。私は吸血鬼だぞ?」
「あはぁ、やっぱり吸血鬼って怖いんだねぇ」
常人なら確実に死に至るであろう傷も、イクアの場合は即座に完治する。痛みは感じているようだがそれが逆に気持ちいいのだと言わんばかりに笑う――そんな少女を見てマビノは吐き捨てるように言った。
「思った通りに汚い血だな……臭いぞ。色々と混ざっているせいでもはや頼まれても口にしたいと思わん」
「ひどぉい。傷付いちゃうなぁ。でもいいもん、あたしだって飲ませてあげたいとは思ってないもん。その代わりぃ、それをあげるね!」
「!」
ぞわりとした触感から先ほどイクアへと伸ばした右手を見れば――そこにはハエがたかっていた。いや、これはハエなどではない。イクアの操る無数の粒子がまるで群がる虫が如くにマビノの右手を浸食しようとしているのだ。
「あはは! リッちゃんのナノマシンをいーっぱい! あげるわあなたに! 吸血鬼の生きた化石にしてあげ――えぇ!?」
そこでイクアは驚嘆させられる――それはノータイムでマビノが己が腕を叩き切ったから。手刀でそんな真似ができるだけでも驚きだが、一切の迷いなくそれを実行できる胆力もまた驚異的だ。敵の手に落ちるくらいなら自分で切り落とす。なるほど考え方としては正しいのだろうが、だからといって即座に体の一部を捨てることなど普通ならできっこない……が、勿論マビノには普通とは違う訳がある。
断面を晒していた少女の右腕は、彼女が持つ再生力によって立ちどころに生え変わり、何事もなく元通りの姿となる。
「! その回復力は……!」
「そうだ、何も再生はお前だけの得意ではない。それはむしろ吸血鬼の専売特許だ」
「あは、そうかそうかそうだったねぇ……つまりこれは、」
死の遠からん者同士――不死身同士の戦い。




