414 イクア語るべからず・前
敵キャラのものだしけっこう陰惨なので書くか迷った過去話、イクアのコンセプト上やっぱり載せます
――『失敗です』。
繋がった通信機から真っ先に告げられたのはその言葉だった。
他にもキャンディナは先回りがどうのや離脱がどうのと話していたが、そちらはあまり頭に入ってこなかった。というよりそんなものはどうでもよかった。計画のひとつが始まる前から終了してしまっていることがわかったからには、もはや通信を繋いでいる意味もない。
何やらドックと一緒に必死になって街からの離脱を図っているらしいキャンディナが、ひどく焦った口調で伝えようとしてくる内容にもろくすっぽ耳を傾けることなく、イクアはさっさと耳から通信機を取り出し、それからぐしゃりと握りつぶした。パラパラと破片が手の内から零れ落ちる――形を失った通信機は粒子となってもう一度イクアの体内へと戻っていく。
全身が余すことなくナノマシンのみで構成された驚異の機械兵器『リッタードール』。
今やイクアの身はそれと一体化し、生身とナノマシンが複雑に絡み合った――それも意図的ではなくほとんど事故の延長みたいなもので――普通ではない状態となっている。
ドック特製の『増肉剤』を始めとする様々な薬品の影響もあってイクアの肉体は人間のそれとは大きく異なる。本人曰く「なんでもできる」ようになっているとのことだ。傷付いてもたちどころに治り、ナノマシンを動かせば形すらも自由に変えられる彼女はまさに化け物と呼ばれるに相応しい、奇妙奇天烈奇々怪々な生き物だと言えるだろう。
ただし、そんな肉体の変化や変調などまったくもってなんの問題にもならないほどに。
彼女はその精神こそが異様であり、異形であり、異常であった。
◇◇◇
イクア・マイネスに語るべき過去はない。
道を踏み外した者たちがそうなった起源には、いつだって悲劇がある。そうならざるを得なかった悲しい過去、悲しい不幸がある。あるいは生まれながらに家族を亡くしたり親から捨てられたりと、元から真っ当な人生を歩めずにいた場合もあるだろう……しかしイクアはそうじゃない。
そういった語るべき物語が、つまりは悪行や悪事のような『悪いこと』へ傾倒するようになった「然るべき理由」が一切合切、彼女の歩んできた道程からは見つけられないのだ。
両親がいて、上には姉、下には弟。小都市の郊外にある一軒家。そこに住んでいる、なんてことはない家族の一員としてイクアは世に生を受けた。奇しくもその家族構成はとある怪物少女のそれと一致している。ただし両親はともかく、姉・弟とは険悪とまではいかずともあまり仲の良くなかった怪物少女と比べてイクアのほうは親とも姉弟とも関係性は良好であった。
非常に仲睦まじいとすら表現できるような理想的な家族だったのだ――表面上は確かにそうだった。
いや、この言い方だとまるで家族全員が仮面を被り本性を隠していたようにも聞こえてしまうかもしれない。それは間違いだ。この場合本性を隠していたのはただ一人だけなのだ。他の四名は至って普通の、至って善良の、至って健康的な人間だった――故に病理はイクアだけ。健康な細胞に混ざる異物の如くに彼女だけが異質であり異常だった。
仮面というのなら彼女こそが仮面を被っていたのだ。被ろうと意識せずともいつの間にか被っていた。成長が早く、まだ赤子と呼べるような時期から物心がついて家族や他人と受け答えをする中で覚えた違和感。与えられた浮遊感。心地良くも居心地の悪いその周囲との決定的な差異がどういった類いの異変であるかを頭脳というよりも本能の部分で察した彼女は、だから、己が性分を取り繕ってしばしの間だけ『観察』に努めた。
自分は人と何が違うのか。
違う。
人は自分と何が違うのか。
何が余計で、何が足りていないのか。
四歳までには常人の物の見方や考え方を大方学び終えた彼女は、末っ子である弟が一人で歩けるようになった頃に彼を殺した。それも自分の手を汚さず、隣家の夫婦を利用して。早くに自分たちの子供をなくして以来、外面は良くても家の中ではまるで通夜のように冷え切った空気感で暮らしていたその二人を、彼女は巧みに操ったのだ。思い通りに誘導してみせた――そこに特別な技術や異能は必要なかった。なるべくしてなっただけ。仕掛けたイクア本人ですらも困惑してしまうくらい簡単に物事は進み、彼女の弟はその短い一生を終えた。一見して隣家の妻の監督不行き届きで事故死しただけのような死に方だった――無論、そう見せかけたのは他でもないイクアだが。
なんて呆気ない。
呆気に取られるというよりも呆気を取り上げられた気分だった。
意外さはないし複雑さもない。
なんの驚きも感慨もない。
ただちょっとだけ、初めて自分一人で「やりたいことができた」という達成感があった。得られたものはそれだけ。弟のかけがえない命を犠牲にして彼女が抱いたのはほんのちっぽけな満足感だけだった。
それでいいとイクアは思った。
これがいいとイクアは思った。
末っ子の死で沈鬱になった家で、イクアはたった一人嗤う。いつも通りに仮面を被り言葉少なに生活しながらも彼女は内心で次の目標を見定めていた――そして思い付いたことを即座に実行へ移した。
弟の死から大して日も経たない内に、姉も死んだ。それも隣家の夫に辱められたうえで首を絞められて殺されるという残酷な命の落とし方をした。このような惨事を引き起こした男は、自身の子供の死や妻との関係悪化、そしてその妻が隣人の子を死なせてしまったという負い目で少し前から深刻なノイローゼに陥っていたのだが、それでもこんな凶行に走ったのは当然、イクアの手と息がかかったからである。
あちこちから拝借した薬草、ひとつひとつは体にいいそれらを幾重にも混ぜ合わせて改悪を繰り返し、オリジナルの麻薬を彼女は創り出した。軽い幻覚と強烈な性的興奮。それらの作用とただでさえおかしくなりかけていた思考回路へイクアのそれとない誘導が差し込まれたせいで男は完全に我を失い、両親が揃って家を空けた時間を狙ってマイネス家へ侵入。イクアには目もくれずに、当時十一歳の姉へ襲いかかったのだ。
出がけに子供たちへ聞かせていた通り、日が暮れる前には自宅に帰ってきた両親が目にしたのは惨たらしい愛娘の死体。残された痕跡やどうにか無事だったらしいイクアが告げた涙ながらの説明によって、またしても隣人によって子供を失わされたのだと理解した父と母は、そこで理性も堪忍袋もぷっつりと切れた。
どんな事情があったにせよ息子を死なせた時点で到底許せなかったところに、この事態だ。姉の死は証言や始末からして完全に故意である。しかもまだ年端もいかない娘の尊厳をこれでもかと踏み躙ってまでいる。腹に据えかねるどころの話ではなく、この時イクアの両親の胸には純然たる殺意しか湧いていなかった。
奴らを『絶対に殺してやる』。
その明確な暗き意志の下、司法に任せるのではなく己が手で決着をつけるために――死に死で復讐を為すためにあえて治安維持局への通報などせずに、両親はその日の夜の内に肩を並べて隣家へ乗り込んでいった。
――それこそがイクアの企みであり、望みであったなどとは、まさか夢にも思わずに。




