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41 怪物少女の懇願

 ナインがちらりと横目で見やれば、あちらも同じように窺っていたようで、サングラスの端から目が合ってしまった。


「…………」

「…………」


 沈黙したまま見合って、互いにぷいと目を逸らす。


 サングラス少女が何を思ったかは知らないが、ナインは相手の瞳から強固な意志を感じ取った。「百頭ヒュドラを倒す」というそのセリフがただの悪ふざけで述べられたものではなく、確かな自信に裏打ちされたものであるというのが伝わってきたのだ。


 ――こいつは強い、な? たぶんだけど……。


 どことなくその存在感からリュウシィを連想したナインは、サングラス少女が見かけによらない実力を有していることを確信する。と言ってもナインは達人のように他者の武力を正確に測るようなまねはできないので、あくまでなんとなくの予測でしかないが、おそらく外れてはいないはずだ。


 この少女は強者と見て間違いないだろう。

 ただし百頭ヒュドラを倒せるレベルなのかと聞かれたら、ナインは唸るしかない。


 遠目で見ただけだが、それだけでもヒュドラからは相当な存在感と力強さを感じさせられた。あれは強い、というより危険だ。見かけ通りの化け物であるとナインの野性だか本能だかの鋭敏な感覚が告げている。


 サングラス少女と百頭ヒュドラのマッチアップはどうなるのか? 案外少女があっさりとヒュドラを下してしまうかもしれないし、あるいはヒュドラが苦も無く少女を踏み潰して終わりかもしれない。どちらかと言えば後者のほうが容易に想像がつくのだが、しかしこの従業員が思慮しているのは少女の安否ではないことは明らかである。


 いや、もちろん幼気な少女が無鉄砲に命を散らすことに心を痛めないわけではないだろうが、それよりなにより、第一は自分の暮らす街のことだろう。少女がいらぬ刺激をヒュドラに与えたことで、それが起爆剤となって暴れ出しでもしたら……原因となった少女だけならばともかく都市にまで被害が及んだら……といった抱いて当然の懸念が彼にはあるのだ。


 いずれヒュドラに轢き潰されるとはいえ一年後の予定が一時間後に前倒しされてはたまったものではない。逃げられるものも逃げられなくなる。


 そして少女と同じようなことをナインも言い出すのだろうと疑って――疑念というより彼の中でそれはほぼ確定事項らしいとナインには思えたが――釘を刺す意味でこうやって個室で懇々と都市の苦労を訴えているのだろう。

 要約すれば「バカなことはしてくれるな」という一言で済む話なのだが、そのまま言ってしまってはサングラス少女がいよいよやらかすのは目に見えている。なるべく穏便に帰っていただこうと従業員は必死なのだ。


(なんとなーく、あんたの苦労にも理解が及ぶよ。ああ、だけどなぁ……。この子はこの子で、絶対に引かないタイプだよな……)


 今しがた顔を合わせたばかりだが、それぐらいのことは分かる。何せ少女は従業員がナインに話す合間にもぶつくさと「話が長い」だの「頭が固い」だの「そんなに私が信用できないか」などこれでもかとばかりに文句が止まらないのだ。

 否、その声量と嫌味のこもった口調はもはや野次に近い。

 これだけでも少女の性格は推し量れるというもので、そんな少女が一従業員の説得だけで納得するとはとても思えなかった。


 ――やると言ったらやるぞ、こいつは。

 ナインはそう確信している。


 都市の責任者に事前の伺いを立てる程度の良識は持っているらしいが、それは何も相手から許可を頂こう、という殊勝な態度の表れではなくて「一応やる前に言っといてやろう」ぐらいの一方的な報告でしかないことは明らかである。むしろお任せ致しますと頭を下げながら感謝の意くらい述べろ、とでも思っていそうな少女だ。このまま問答が続けばいずれは痺れを切らしてヒュドラへ挑みに飛び出していくのは目に見えている。


「ううむ……」


 腕を組んで難しい顔をするナイン。従業員はそれを見てやはりこの子もサングラス少女と同じ用件だったかと疑惑をより強くさせるが、無論ナインにそんなつもりは微塵もない。前述したようにここには偶然訪れただけで、フールトもヒュドラもサングラス少女もナインにとってはなんら関係のないことだ。


 そう、関係ないのだ。極論一年後にフールトが潰されようが一時間後に潰されようが、ナインからしたらどっちだって構わない。

 まったく知らない土地、知人もいない街がひとつ地図から消滅しようがどうしようが、彼女はこれっぽちもどうとも思わない。


 ……だがまあ、それは。


 それこそ地図の上でしか街を見ていなかったさっきまでの話であって。


 こうして実際に都市内に入り、街を見て回り、住民たる従業員から一から十まで事情を聞かされてしまえば、もうその時点で他人事ではなくなる。何の因果かこうして知ってしまったからにはもはや捨て置くことはできない。たとえ自分にとってなんでもなくても、ここがなくなれば困る人や悲しむ人は大勢いるのだ。関係ないからじゃあね、と離れて背を向けるのは……どうにも寝覚めが悪い。


 こうなるともう知らんぷりをするわけにもいかず、自分の後腐れのためにも一肌脱ぐしかあるまい、と。


 ナインとはそういう思考をする少女だった。


「お話はよくわかりました。では、ここのオーナー兼都市長代理であるというカラサリーさんを、この場に呼んでもらえますか」

「え? ですから、それは……」


 そうと決めたからには、話を進めさせる。

 差し当たってこの場合、まず止めるべきはサングラス少女の暴走だ。


 今にも我慢の限界を迎えそうな彼女の気を静めるにはやはり、従業員よりも上の人物に出てきてもらう他ない。と言ってもそれはオーナーとともに少女の説得に尽力するという意味ではなく、むしろその逆。ナインは少女とともにオーナーのほうを説得する心積もりであった。


 いずれヒュドラが街を潰してしまうなら、どういう形であれヒュドラの排除は街にとって悪いことではないはず。だったらそう、少女だけに任せるのが不安であるのなら――ナインが手を下せばいい。

 少女と共闘の姿勢を取って、クータの力も借りてヒュドラを退治ないしは撃退する。

 それがナインの思う「穏便な」プランである。


 そのためにはどうしても都市長に出てきてもらう必要がある。さすがに人助けならぬ街助けだとしても事が事なだけに勝手なことはできないし、したくない。故にカラサリーにお目通りし、その了承が欲しい。たった一度頭を縦に動かしてくれればそれでいいのだ。


 それが容易なことではないと分かってはいる――が、ナインにはそれなりの自信があった。


「お話ししましたように、どうあってもあなた方を百頭ヒュドラのもとへ向かわせることはできませんので……それにオーナーはとても多忙な身ですし、私の一存でここに呼びつけてしまっては、」


 とそこで言葉を切った従業員は、常に貼り付けていた薄い笑みの表情を今日初めて崩した。

 ぴきりと口元を固め、大きく目を見開くその顔はどう言いつくろっても一流ホテルマンを自称する彼には相応しくないものだ。


 しかし、そうならざるを得なかったのだ――目の前の少女から吹き荒れる、暴風が如き圧倒的な圧力を受けてしまっては!


「どうかお願いします。オーナーを、ここに」


 真摯に頼むその口調や態度は、同伴する少女を叱っていたときのそれとは打って変わって丁寧でどこか品を感じられるものである。だが彼女から生じたプレッシャーは容易にその印象を上書きする。

 これはまるで、『神威』。

 幼少期、まだ出身地の街に居た頃ただ一度だけ目撃した、荘厳な気配を纏った火の鳥が悠々と大空を羽ばたき去っていく光景――彼の中で最も思い出深い記憶のひとつが思い起こされた。


 格が違う。自分とは、存在そのものの格が大きく隔たっている。

 否、それはもはや隔たりなどと表現できるものではない。隔絶、あるいは断絶……いっそのこと次元が異なっていると言ってもいい。


 いま同じ部屋にいて同じ空気を吸っていることがすでに奇跡であり、とてつもない異常事態。

 そんな風に思えてしまうほどに、彼女は「計り知れない者」であると――男は妙に抵抗なく理解することができた。


 暴力的なまでの圧力を感じながらも男が冷静でいられたのは、その力が決して自分に振るわれることはないとどうしてだか信じられたからだ。


 従うべきなのだ、彼女の言う通りにすべきなのだと、彼は心の底から思った。それは間違っても怯えからくるものではなく、かと言って畏怖というほど大げさなものでもなく……もっと素直で、清廉な感情がもたらしたものだった。


「――承りました。オーナーをこちらに呼びますので、少々お待ちを」


懇願(脅し)

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