403 風鳥と毒蛇・起
革命会の若き少年会長の手によって壇上から放たれた破壊のエネルギー。それが無慈悲に台方広場を切り裂き、続けて起こった原因不明の人体爆破と、市政会の少女会長より発せられた派閥間闘争を煽る旨の発言を受けて、場はまさに地獄絵図となっていた。……失敗である。亜人都市に縁もゆかりもない者から見ても明らかに祭りは失敗だ――何せその始まりにして最重要イベントとも言える『孤混の儀』がこんな結果に終わっては、どう贔屓目に見ても交流儀は失敗も失敗、盛大な大失敗と言わざるを得ない。
と、ジャラザはある種の冷酷さでもってそう断じていた。
眼下の狂乱を目にしつつも足は止めず、水泡によって広場のすぐ上を駆け抜ける。悲鳴に耳を閉ざし、死体に目を閉ざし、ひたすら走る。それがまるで獣人たちを襲う悲劇にかこつけているようで、嫌だった。被害を少しでも抑えるべく【天網】が動き、そのおかげで「構う暇なし」と見逃されたジャラザはそれを幸運だと感じてしまっている……死の光景をこれ幸いにと利用してしまっている。
勿論、彼女にできることなどない。ここで足を止めて広場に降り立ったところでやれるのは精々ごく一部を救うことだけだ。それにだって優先治療による残酷な切り捨てが必要になるだろうし、そもそもジャラザの治癒術が活きるのはかつて下級悪魔の大群に襲われた小都市オルゴンの教会でそうしたように、安全が確保された場所で集中的に怪我人を診られるような場合に限られるのだ。
そうでなければ『清流の癒し』は十全にその効力を発揮してくれないし、怪我の度合いにもよるが完治までにはそれなりの時間を要するうえに術者・被術者ともに体力だって要求される。言うまでもなく消耗に関しては秘術者にかかる負担のほうが大きいが――当然だ、大抵の治癒術では当人の生命力こそが何より重要となるのだから――それでも術者たるジャラザにかかる負担とて相当なもの。彼女の消耗もまた無視も軽視もできはしない。
場所が足りない、体力が足りない、そして何より時間が足りない。
人々を地獄から救うには、何もかもがあまりにも足りていなさすぎる。
そんなことはジャラザが一番よくわかっている。だから彼女は見捨てるのだ。見捨てざるを得ないのだ。そうする以外に選択肢はないと知っているから。
ここで急務を放棄して目の前の惨事へ身を躍らせればどうなるか。
それでは救えるものも救えなくなる――巨竜人を相手に貴重すぎる一分一秒を稼いでくれている仲間たちまでも見捨てることになる。
「くそっ……!」
表情を歪ませながらジャラザは急ぐ。大いに焦りはあれど彼女はどこまでも真っ当だった。だから惑うことなく取捨選択を行なえるのだ。自分ならば救えたかもしれない命が足元で散っていくのに苦しみながらも、彼女の冷徹な部分がこれを致し方ないことだと認めてもいる――力不足なのだと自身の不出来を客観視している。その合理性故に足を止めずにいられることへ感謝し、そしてそれ以上にその合理性こそが唾棄すべき己の醜さのように思えてならなかった。
――主様ならどうするか。
どうしてもそんな益体なき考えが頭をよぎる。
するとその時、水泡を跳ねる進路上にある舞台が大爆発を起こしたではないか。どうやら壇上にいた両会の会員たちがまとめて爆散したらしい。「……っ!」とそのことにますます顔を険しくしながらジャラザは咄嗟に爆発現場を避けて通る。『七聖具』がそこに放置されることを見越したのか、それとも会員の爆死が広場内を更なる鉄火場へと変貌させる起点になる恐れがあることを見出したからか――あるいはひたすら先を急ぐ彼女の思考に論理的な理屈なんてなかったのかもしれないが。
ともかく少女はただ単に足止めされてしまうような可能性を少しでも回避すべく、あえての回り道を選んだ――とはいえこの時のジャラザがしたことは水泡を出現させる位置を変えて、記念館の正面ではなくその裏手から敷地内へ入るルートへと舵を切っただけなのだが。
「……!?」
人波の真上を飛び越えて、ついでに塀も乗り越えて、記念館の裏庭へと到着を果たしたジャラザはそこで予想外のものを見た。
目に入ったのはふたつの人影。ひとつは角と尻尾をもつ小さな少女のシルエット。そしてもうひとつは大の男の、背中に大きな翼を生やした異形のシルエット。
それは間違いない。
「【風刎】――ゼネトン・ジンか……!」
「!」
神逸六境がうちの一境の存在をジャラザが知覚した瞬間、ゼネトンもまた裏庭へ降り立った青い髪の少女へ剣呑な目を向けた。
この時、ジャラザにとってもゼネトンにとっても不幸だったのは予期せぬ誤解が重なったことにある。言っておくと、両者はお互いの正体をちゃんと知っていた。ジャラザは『アドヴァンス』からの教示によってゼネトン・ジンというクトコステンの強者を前から知り得ていたし、ゼネトンもまた生来のマメな性分によって情報収集を日頃から欠かさない男であるために、近ごろ街を騒がす『ナインズ』一派の来歴や様々な媒体で紹介されているパーソナリティまでもきちんと頭に入れていた。
だというのに――いや「だからこそ」なのか、ここで彼と彼女の心は悲しいまでにすれ違った。
角と尻尾を持つぐったりとした少女を一目見てそれこそが人質であると看破したジャラザは、その少女を抱き上げるゼネトンのことを『ガスパウロと同じくイクア・マイネスの手によって体よく操られているか、もしくはすべてを知りながら仲間に加わっている邪なる賊』と判断して。
そしてゼネトンは先ほどキャンディナが去り際に残していった『私が回収する意義は薄い』という発言から、すぐにも他の手の者が来るのだろうと――即ちこうして現れたジャラザこそが回収役であり、ドーララスを奪い返す刺客としてイクア・マイネスから寄越された者なのだろうと誤解した。
平時であれば二人はもう少し落ち着いて思考を重ねることができたのだろう――そして小さくとも明瞭な違和感に気付けただろうが、今はどうにも、どちらにとっても都合が悪すぎた。
クータとクレイドールの安否、それと広場の惨状に焦れるジャラザはやや過敏に鳥人へ新たな敵という認定を下しており、そしてゼネトンのほうも無事にドーララスを保護できたと思った矢先に姿を見せたこの第二の敵を前にして、一瞬で先の臨戦態勢へと戻ってしまった。
戦士の中でも両者が共に気配というものに人一倍敏感だったことも災いした。
卵が先か鶏が先か――互いが抱いた敵意を、どちらが先ともなく互いに感じ取り。
((――ドーララスは渡さん!))
奇しくも少女と鳥人の内心は完全なる一致を果たした。
着地から走り出しへとシームレスに移行したジャラザ。柔軟な肉体を持つ彼女らしい柔らかい身体の使い方を冷静に眺めながらゼネトンは、するりと腕の中のドーララスへ優しく風を纏わせた。
「!」
水術で先手を取ろうとしていたジャラザは、ふわりと浮いてゼネトンの下から漂うように離れていくドーララスへ思わず目をやってしまった。これにより、竜人少女の安全を確保するため、そしてあわよくば一瞬でもジャラザの意識を戦闘に背かせようというゼネトンの思惑はほぼ完璧にハマったことになり。
「しまっ――」
「もう遅ぇヨ! 『風門・乱破砲』だぁ!」
魔力を漲らせたゼネトンの振るった拳から勢いよく風の砲弾が無数に飛び出し――回避が間に合わなかったジャラザの全身をあっさりと「粉々」にしてしまった。




