40 所あれば事情あり
よく通る大声でロビー中の視線を集めた赤髪の少女。騒がしかった場が一気に鎮まり、誰もが彼女に注目した。利用客も従業員たちも、いったい何事かと入り口を見やる中、赤髪少女の背後からもう一人の少女が姿を見せた。
その口から鈴の音のように澄んだ声が零れ出る。
「こら、クータ。なんで道場破りみたいなテンションなんだよ。これじゃホテルに殴り込みをかけるみたいに思われるじゃないか」
可愛らしい声で、しかし呆れたように苦言を呈す彼女はフードを不自然なほど深く被っており、その顔立ちは確認できない。しかしながらクータと呼ばれた少女よりも頭ひとつ分背が低く、声色からしても幼子に近いぐらいの年齢だと推測される。年のころで言えば赤髪少女より三つか四つは幼いように見えるが、それでも彼女は保護者めいた口調で相方を窘めた。
「ほら、他の人たちがびっくりしてるじゃないか。謝っときな」
「ごめんなさい」
ぺこり、とすぐに下げられた頭にロビー中が微笑ましい空気に包まれた。
やり取りを介して二人の少女の仲睦まじさや素直さが見て取れたからだ。
子供のこういった純朴さは大人たちを和ませるものだ。
妙な緊張感に支配されていたロビーはそれを境にいつもの雰囲気を取り戻した。従業員と言い合いをしているおかしな少女のことも道端の石をなんとはなしに蹴飛ばすようにして頭の隅に追いやり、彼らは各々の日常に戻っていく。
それが唯一できなかったのは、そのおかしな少女の相手をしているヘッドの男性である。
サングラス少女はこのとき他の客同様、入り口を見ながら「変な子供が来たわね」くらいにしか思っていなかったが、ヘッドのほうは辛うじて涼しい顔を維持しながらも隠し切れない冷や汗をかいていた。
何せあちらとこちら、出で立ちがよく似ているのだ。
ヒュドラをこの手で倒させろなどと訳の分からないことを喚く目の前の少女と、新たにやってきたローブ姿の少女は、どことなく浮世離れした雰囲気や特徴的な服装だけでなく、顔を覆うだけでは隠せない幼さや、それと反比例するような尊大な態度での物言いなどといった共通点が非常に多い。
ヘッドは直感的に察した――この子らは同類に違いない、と。
では彼のやるべきことはただひとつだ。新規の二人組のほうがおかしなことを言い出す前に声をかけること。元からいる少女と合わせて三人をまとめて自分が相手取るほかないと決断した。
それは並々ならぬ根気と労力を要求される行為ではあるが、またぞろロビーの空気を騒然とさせるわけにはいかないのだからこうするしかない。
彼には責任感があった。
関係のない他の利用者たちに、ホテル内では安寧のひと時を提供すべく。
少しでも迷惑のかかることがないように、彼は不退転の決意でもってロビーの奥へ進もうとしている少女二人へ待ったをかけた。
「お二人とも、どうぞこちらへ」
「へ?」
「んー?」
「はあ?」
急に呼びかけられて驚いただけの少女二人に対し、傍にいるサングラス少女からは剣呑な声が上がった。それは「お前いま私の相手してるんとちゃうんけコラ」という言葉がはっきりと聞こえてきそうなほど、怒気と不満がバターのようにたっぷりと塗りたくられた声色であったが、こうなることを予想済みであったヘッドは言外の威圧を受けてもまったく揺らがなかった。
「あちらの方々の御用件も、お客様と同じものかと思われますので」
「え? ……、……」
言われた内容にきょとんとした後、少女は考え込み、思わしげにクータとナインへ再度視線を向けた。近づいてくる彼女らの一挙一動をまざまざと観察し、そして結論を下した。
「……ふん、いいわよ。もしかしたらあんたの言う通りかも」
彼女が許可するというのもおかしな話だが、恭しくヘッドは「ありがとうございます」と礼を言ってからナインらへ笑顔を向けた。
「えーっと、なんですかね?」
呼ばれた通りに来てみただけ、といった風情の彼女たちに、ヘッドは「お話がござまいすので、どうぞ別室へ。わたくしがご案内いたします」と先を歩き出した。その後ろへついていく少女を見ながらどういう流れだこれはと困惑しながらも彼女――ナインはとりあえず従業員の言葉に従うことにした。ナインがそうするならとクータも悩むことなく共に向かう。
もしも向かう先に危険があったらどうするか? ナインもそこまであれこれ悩む性質ではないが、クータのスタンスはもっとシンプルだ。
燃やし尽くせばいい。
◇◇◇
ナインたちがフールトへ足を運んだのは紆余曲折の末の結果でしかなく、最初からこの街を目指して訪れたわけではなかった。
リブレライトと隣り合う大森林を抜けて丸一日、日中の強い日差しに目を細めながらリュウシィから貰った地図に目を通していたナインは、どうにも眼下の景色と手元の表記とに差異があるように思え、どうしたことかとくるくると地図を回転させながら方角を合わせ景色と照らし合わせ――ようやく途中から間違った見方をしていたことに気が付けた。
どうにも森林を過ぎてから最初に見えた山を別の山と勘違いしてしまったらしい、とズレの原因に当たりはついたものの、迷ってしまった今となってはここがどこかもよく分からない。
この辺だろう、と大まかな見当はつくがそれだけで元の位置まで引き返すのは難しい。しかし、進路が多少ズレたとしてもそう大きなものでもないはず、ここらをぐるりと回れば目印になるものも見つかるだろう。
そう考えたナインはクータに事情を説明し、ひたすら真っ直ぐ進んでいた空の旅を一時中断してもらった。山景の空に円を描くように飛行し、とりあえず現在位置を確かめよう――と飛び回って半日、とうに沈んだ陽がまた昇りだした頃になってようやく目印になりそうな都市を見つけることができた。
ただこの言い方は正確ではない。彼女たちが発見したのは都市ではなく「妙な巨大物体」であった。まだ早朝の少し薄暗い視界の中で、けれどナインの目は暗視機能つきの望遠レンズがごとくそれを正しく見極めることができた。あの目を見張るような巨大な物体は間違いなく生き物だ。
それも、頭が数えきれないほどある蛇のような怪獣……。
その存在のあまりの大きさに戸惑い、どういった生き物なのかとクータと共にやんやと議論を白熱させる中でふと足元にあった都市に気が付いた、というのが事の真相である。
ひょっとしてこれが地図にあるフールトという街ではないかと予想を立てて降り立ってみれば、果たしてその通りの場所であったのは彼女たちにとって僥倖だった。
現在位置が判明したことにホッとしたナインは、自身の気疲れとクータの一晩中飛び明かした肉体疲労を癒すべく、今日くらいはと都市で休むことを選んだ。一応少なくない路銭も持っているので、ホテルで部屋でも取ってゆっくりしよう、と住民に道を聞いてやってきたのが都市唯一の宿泊施設であるという『ホテルカラサリー』であった。
意気揚々とホテル破りを敢行しようとしたクータに注意しつつ、満室に怯えながらも部屋を借りようと受付へ向かおうとしたところを別の従業員に呼び止められ、見ず知らずの少女と一緒に個室へと移動させられたのだ。
つれていかれた先で聞かされたのは、およそ一年前からのこの街で起こった出来事の一部始終。
百頭ヒュドラに市井の潤いや財政面で助けられつつも近い未来に確約された悲劇に対して誰もかれもが頭を抱えていること、そして傍のサングラス少女が件のヒュドラを屠ってやると息巻いているということ。
従業員は丁寧ながらも簡潔にそれらのことをナインとクータに語ったのだった。
「なるほど」
ナインは頷いた。それしかできなかったとも言える。いきなりこんな話をされても寝耳に水もいいところだ。確かにあの生き物の正体についてはクータともども気になってはいたが、こんな大っぴらに都市の懐事情や住民避難の過酷さを語られても困ってしまう。
とはいえ、彼女にとっての問題はそこではない。
都市の過去よりも気になるのは――隣に座るこの見知らぬ少女のことであった。