402 勝負はここからだ
誤字報告ごっつぁんです
滑空。竜人は鳥人の多くと同じように、誰に習うともなく生まれながらに飛行を可能とする種族であるが、ガスパウロは幼年よりその技術が他の竜人より圧倒的に劣っていた。男性竜人は獣人以上に体格的に大きく成長するのが常だが、ガスパウロは同種族中でも一際立派な背丈を誇っている。その図体のデカさが足を引っ張っているのだろうと本人は考えているが果たして真相は定かではない――とにもかくにも彼が空を飛ぶのをいたく苦手としていることだけは確かだった。
故の、滑空だ。
飛ぶ、というよりも滑るように。
通り門を踏み抜いてしまい落下したガスパウロはしかし真っ直ぐには落ちず、なだらかな稜線を思わせるような軌道を辿ってすぐ近くにあった雑木林へと緩やかな着地を果たした。
しかしながら「なだらか」も「緩やか」もあくまで当社比による表現だ。超身長超体格超体重を持つ彼が巨大な門の頂上から降ってきたのだから、どう落ち方を取り繕ったところでその『墜落』時の衝撃が凄まじいものとなるのは避けられなかった。
繰り返すが彼が落ちた場所はなんてことのない雑木林。一面を雑然と生えた樹木や雑草が覆っている街角のデッドスポットだ。そこには本通りの人波を避けて混乱をやり過ごそうと思い至った者が何人も集まったせいで結果として二次の混雑が生じていたのだが、上空からの【崩山】登場というふたつの意味でのインパクトは草木も獣人たちもまとめて吹き飛ばしてしまった。
あえなく竜人の巨大な足に踏み潰される哀れな命が出なかったことは不幸中の幸いだったと言えるだろうが、けれども雑木林の災難はここからが本番であった。
「うぉおおおおおおおぉっ!」
「! ――ふんっ!!」
天空脳天蹴り。少女と巨竜人という差がありすぎる体格からして、普通ならば叶わないような攻撃法をそれでも実現させているクータの背中には、髪色と同じく燃え盛る炎を連想させる真っ赤な翼があった。
飛行を可能とするというのであれば彼女とてそうだ。吹き飛ばしてやったのに即座に舞い戻ってきたのはこの翼のおかげかとガスパウロはようやく少女がただの只人ではないことに気付く――そうやって頭頂部への炎蹴を腕で防いだままの姿勢でいた彼の視界の端に、黒い影が瞬いた。
「ぬ――、」
反応するよりも早くにそれは懐へと潜り込んできている。大きく拳を引き、そして打ち込む彼女――「ぐ……!」とガスパウロが小さく声を漏らした瞬間、頭上で塞き止めていた炎の勢いが爆発的に増した。
「ハァアアアアアッ! 爆炎キック!!」
クレイドールの追撃が刺さったのを確認したクータがそれに合わせて『瞬巧』を再発動。今一度炎脚へ強化を施し、気勢とともに蹴り抜いた。燃え盛る爆炎と勇猛なる鋼鉄の拳が、ガスパウロの巨体を押し切らんとする。
「ぬぅうおっ!」
しかし【崩山】はやはり重い。地面を抉り轍の跡を残しながらもガスパウロは決して倒れなかった。ギラリと瞳を戦気に輝かせ、己が体を圧した小さき者たちを睨みつける。
倒れこそしなかったものの彼が押し切られるという時点で破格の事態である。強者として、それ以前にまず竜人として自分の実力に並々ならぬプライドを持っている彼はそれ故に、この小さくとも偉大な戦士二人に敬意にも似た感情を抱きつつあった。
「……行くぞ、貴様ら。これを耐えられるか」
「! クレイドール!」
「心得ています」
気配が変わった。出方を油断なく伺いながらも対応に関してはどこか雑然としていたガスパウロ。守勢を主として迎撃ばかりに意識を向けていた彼がここにきて初めて積極的な攻勢へ転じた。
重厚なる殺気。
猛々しくも重々しい、重油のように全身に纏わる本気の殺意――それは戦士が戦士へ向ける最上の認可証明。
戦いの相手を『敵』であると、己と対等な存在であると認めた証だ。
そんな純なる闘気をぶつけられればクータもクレイドールも一層の意気を込めて、一層に息を合わせて、出し得る全霊をもって強大なる敵へと立ち向かうのは至極当然のこと。
「――『燗龍槍』!」
極限まで竜気の込められたガスパウロの右腕は高熱を持った。赫く染まった腕を先ほどと同じように引き絞り、先ほど以上の勢いで打ち放つ。迫撃砲もかくやという迫力で繰り出されたその恐るべき一撃に、されど少女たちは怯むことなく堂々正面から迎え撃った。
「『爆炎パンチ』!」
「『アドヴァンスナックル』!」
竜人の掌打と少女二人の打突が真っ向から衝突。その衝撃が辺り一面へと駆け抜ける――この時にはとっくに、避難民として逃げ込んできていたはずの獣人たちも雑木林からの再避難を果たしていた。戦闘の当事者しかいなくなった現場で、ガスパウロはその口元に我知らず小さな笑みを作っていた。
――見事。
この者らはこんなにもか弱い身空なのだ。竜人として生を受けた自分はそれだけでもう強者になることが決定づけられてもいる。今の自分が強いのはだから、ただの道理であって、当たり前のことでしかない。朝に太陽が昇り夜に月が昇るのと同じく自然の摂理の一環でしかない――これは卑下ではなく純然たる事実を語っているだけのこと。竜人というのは即ち飛び抜けた「強き者」であるという、明らかな事実。その再度の確認と認識だ。
しかし彼女たちはそうじゃない。
こんなにも小さく細く、凡そ戦うに適した体であるとは思えない姿。
実際の二人は少なからず戦士の素質を得るために肉体へ変化がもたらされている、紛うことなき「戦う者」となった少女たちなのだが、ガスパウロからしてみればそんな些細な変化などあってないようなものだった。竜の血を引く己と比べればそれ以外のどんな出自も進化も押し並べて無価値……とまでは断じずともそう言い切ってしまっても決して間違いではないだろう。
それほどまでにガスパウロは己が属する種族に誇りを持っているし、そしてそれはまた――傲慢でも傲岸でもなく、正当にして正統なるプライドの顕現でもあった。
そのことを、彼はたった今から証明するのだ。
「「「…………!」」」
鍔迫り合いのような押し合いは互角のままに終わり、三者は共に弾かれて後退を余儀なくされた。しかしそこでもやはり後退の距離がより短かったのは【崩山】ガスパウロ。少女たちが大きく下がったのに対し彼の退歩はほんの一歩だ。
二対一でも、歴然とした差がある。オッズは均等ではない。『瞬巧』を連続使用し過ぎていくら節約しようにもついに火力の底が見え始めているクータと、強き意志を伴って後先など考えずにエネルギー以上のパワーを常に発揮させているクレイドール。全力以上を出していると言ってもいい才ある若き二人を前にも、ガスパウロは差を詰めさせることを許さない。頂きは頂きのまま。僅かにそこへ近付くことはできても決して届きはしない――届かせてはやれない。
それをどこか残念に思いながらも、ガスパウロはそれでも少女たちへの一定の敬意を忘れなかった。
力のぶつけ合い、全力のぶつけ合いによって多大な疲弊を隠せないでいるクータとクレイドールへ、雑念のない視線を向けた彼はゆっくりと口を開く。
「……賞賛されるべきだろう」
「はぁ、はぁ……? え、なに……?」
「どういう、意味でしょうか」
「言った通りだ。この俺を相手に数分と立っていられるようなのが、果たしてこの亜人都市にも何名いることか。いたとしても片手の指で数えられる程度だろう……そしてその内の何名が、俺の真の姿を引き出せることか……」
「真の――」
「――姿?」
ごくり、と息を呑む少女たち。それは嫌な予感を覚えたから――否、それよりももっと曖昧ながらに、遥かに明確な悪寒というものを覚えたからだ。真の姿。それがどういった意味合いでのワードにせよガスパウロ・ドウロレンほどの飛び抜けた強度を持つ者がそう言ったのだから――それはつまり。
本当の勝負は今ここから始まる。
そういうことなのだと、無意識にでも理解できたがために。
「ここからは真に、俺はもうお前たちを侮りはしない。本気を出さずに仕留めることはしない。その小さな体で竜人とも与する強者たちよ……餞別だ。竜人が戦う姿を――そして俺がこの地の住民から【崩山】などと呼ばれるその理由を、今教えてやろう」
豪然と言い放ったガスパウロは、その時既に変化を始めていた。額の赤黒い角がめきめきと伸びる。それに伴って同色の逞しい翼が、そして雄々しい尻尾が出現する。体の各所が竜らしいそれへと変化する――変身する。
「――『竜化』。これが……竜人が取る真の戦闘形態だ」
顔付きにも竜の片鱗が現れたガスパウロは元から低い声を更に低くしてそう言った。今の彼はもはや竜人というよりも半竜と言ったほうが正確かもしれない。そしてこの状態こそがガスパウロの言通り、竜人が本域に入った時の姿なのだ。
鳥人が同族の中でもより鳥らしい趣を身体に持つ者のほうが才能に優れている例とも似た、より強く竜らしい特徴を打ち出すことで竜そのものに近しい力を得る技法。
竜人の王族には竜化せずとも元から竜の部位を持つ者がいる。才能という一点で言えばガスパウロは自身の庇護下にいる王位を自ら捨てた竜人少女、ドーララスの足元にも及ばない。しかし百年以上の研鑽の差は、未だにドーララスが幼体期を抜け出していないことも手伝って、大きな戦闘力の差となって彼らの関係を構築する一要素となっていた。
守ること――護ること。
いずれ自分を超越して君臨するだろうドーララス・ドラゴニクセン。
少女が女王になるその日が来るまで、彼女を我が身に代えても守護することこそが、彼が己に定めた使命。
だからこそ、たとえ本来なら戦う必要のない相手であろうとも容赦はせず。
せめてもの手向けとして「惜しみない全力」で葬ってやろうと彼は決めたのだ。
「さぁ――ここからは本気で行くぞ。覚悟はいいな?」
「……だってさ、クレイドール」
「ええ、クータ……わかっていますとも」
絶望。もはや限界を超えた戦法にすらも限界が近い自分たちと、ただでさえ強いくせに今からようやく本気を出すという【崩山】。もはや理屈も根性も関係なく、どんなに気力を練ろうとも実力が及ぶべくもなく、故にどう考えても勝ち目などなく。
絶望という言葉はまさにこの状況を指すためのものだろう――だがそれでもクータは、クレイドールは、声を揃えて言い切った。
「「――かかってこい!」」
敬愛する主人なら言うであろう、そのセリフを。
次はジャラザパートです




