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396 愛願わくば哀・下

 壇上で佇んだまま一向に顔を上げないルリア。


 その様子から照れているのか、はたまた嫌がられてしまったかとポジティブな考えとネガティブな考えが交互に浮かび目まぐるしく感情の入れ替わるマイス。言うだけのことは言った。これまで秘めてきた想いはきちんと言葉にした。たとえ秘められていると思っていたのは本人だけで周囲にはルリア共々とっくにバレていた公然の事実といえど、マイスにとっては十八年間の人生でも最高に覚悟を振り絞った大博打の大勝負のつもりである。ルリアと一番・・仲がいいという自負はある。しかしルリアの抱く感情が仲のいい単なる『友人』に向けてのものか、あるいは家族同然に育ってきたが故の『兄弟』に向けるようなそれなのか、マイスにはとんと判別がつかなかった。


 自分ははっきりとルリアのことを一人の女性と見て、友人ではなく一人の男として好いている。


 ただしルリアがそうでなかった場合、この気持ちを伝えたことでひょっとすればこれまでのようにはいられなくなるかもしれない――気まずくなっていつも通りに接することができないかもしれない。


 そうでなくとも、まったくそういう意識を向けていなかった相手から突然、「女として見られていた」のだという事実を突きつけられたルリアが気持ち悪がって今後一切近づいてこなくなる、なんてこともあるかもしれない……ルリアがそんな少女ではないことをマイスはよく知っているが、しかしそれでも不安に思わずにはいられなかった。


 恋は盲目。その人を誰よりも正しく見られもすれば誰よりも間違って見てしまうこともあり、そしてこれらは不思議なことに同時に起こり得てしかも矛盾しない。自他ともに認める単純で真っ直ぐ一途な少年マイスであってもそれは例外ではなかった。


 急いで発言を撤回したい。


 告白をなかったことにしてしまいたい――冗談ということで終わらせたい衝動に駆られる。


 しかし今更そんなことはできないし、する気もない。心の弱い部分が意気地のない悲鳴を上げてはいるがマイスはそれを表に出すことをぐっと堪えた。泰然自若と返答を待つ。信じる。たとえどんな結果に終わろうとも自分とルリアにはきっと、新しい日々が待っているはずだから。


 ……やがて。ついにルリアが顔を上げた。

 とうとう告白への返事が寄越されると期待と慄き半々の面持ちでマイスがその顔を見つめるが、ルリアは。



「…………」



 無言のまま。先ほどからピクリとも揺らがない笑みのままで、戸惑うマイスを前にもう一度『聖槍』を掲げた。


「ル、ルリア?」

「…………」


 たまらず声をかけたがやはり返答はなく、なんとルリアはそのまま舞いを始めた。


 稀少なる魔道具『聖槍』を手に演武を披露する少女に、最初はマイスも側近も、そして観衆も呆気に取られた。この踊りが何を意味するものか、始めの内こそよもやこれが告白への返答なのではないかと勘繰った彼らも、よく形になった見事な舞いが続く最中でそんなことは忘れ、ただルリアの動きのみに集中し始める。


 なんだか機械的にも見えるが、それ故に淀みなく流麗。『聖槍』のパワーにも振り回されることなく舞ってみせるルリアへ人々は見事なものだと感想を抱く。演武が進めば進むほどに『聖槍』の輝きもその鮮烈さを増していくようだった。


 高まっていく存在感と、それにも負けず美しく正確に踊り続けるルリア。


「すごい……すごいけど、でも……」


 誰よりもそれを近くで眺めているマイスもまた、ルリアの演武に敬慕の念すら抱いた。まさかこれほどの完成度で仕上げてくるなどとは彼にとっても予想外。犬人としては運動があまり得意でないルリアがここまで舞えるようになるまでには、きっと並々ならぬ苦労があったはずだ。忙しい日々の中でいつ練習をしていたのか甚だ謎ではあるが、つまり余程のスケジュール的な無茶をしたということだろう。それなら尚のこと表情の硬さにも頷けるというものだ。


 しかし、マイスにはどうにもわからなかった。それは告白の可否ではなく、ルリアが何を思っているのかについて。目と目が合えば彼女が考えていることはある程度伝わってきた。これまではそうだった。しかし、最近のルリアとはそういった通じ合う感覚がなかった。交流儀が迫る中では会議などの場でしか会えなかったために、まずもって正面から向き合う機会すらも得られていなかったのがその真相ではあるが、たった今。踊り出す直前のルリアが見せた瞳にはなんの色もなかったように思えてならない。


 いったい何を思って踊っているのか? 


 観衆たちとマイスに共通する疑問は似ているようで決定的に異なっている。マイスにとってはもっと深刻な意味合いにおいて少女の気持ちがまるで不明であったのだ。


「…………」


 黙々と、一心不乱に演武を行なうルリア。一際『聖槍』の輝きが強まると同時に少女も動きを止め、パフォーマンスの終了を暗に示す。それを知った獣人たちからの盛大な拍手が贈られる中、ルリアはすっと姿勢を戻してマイスへと向き直った。


 やはり色のない瞳をして、少女は少年へ『聖槍』を差し出す。


「お、俺に……?」

「…………」


 またしても小さな頷きで同意を示したルリア。若干訝しみながらも、その瞳からひしひしと受ける圧迫感によって半ばなし崩しにマイスは『聖槍』を受け取った。


 その途端。 



「えっ――、」



 手の中の『聖槍』が、荒れ狂う。

 ルリアが何事もないように握っていたそれは――もはや暴発寸前のエネルギーに満ち溢れた『凶器』であった。



 抑えきれない。

 思いがけない力によってマイスの体は自然と動いた。


 


 聖なる槍が持つ『破壊』のエネルギーが少年の肉体を操り、炸裂する。



 ぶんと大きく振られた槍。穂先から放たれた人為未踏の純然たる破壊力が、広場を横断。



 その力が突き進む進路上にいた獣人たちは、まるで箒によって払われた虫けらのように宙を舞い――血を流し。そしてその幾名かは痛みを覚えるよりも早くに爆散・・



 そして地獄が始まった。



「きゃぁぁあああああああああああああああああああっ!!!」

「うわあぁああああああっ、なんだなんだっ!?」

「い、痛ぇっ! 痛えよぉ!!」

「おかああぁさあああ――――んっ!!」


 悲鳴、怒号、啼泣。一瞬にして阿鼻叫喚の図となった台方広場で、そう大きくもないのによく通る声がひとつ。


 それは壇上からの言葉――地獄を前にも淡々とした口調でルリアが放つのものだ。



「皆さん、戦ってください。見たでしょう、革命会のやり口を。革命会の新会長は私の友人でしたが、彼は友人である私のことをこんな最悪の形で裏切ったのです。抗ってください、戦ってください、平和を勝ち取りたくば、己の手で大切な人を守りたくば。闘争しかありません――改革派閥に負けてはなりません。彼らは今日を持って保守派を一掃しようと企んでいる。そんな思惑に打ち勝ちたくば」



 戦え、戦え、戦え。


 死にたくないなら戦え。殺されたくないなら戦え。明日を生きたいならやつらから明日を奪え。



 ――今日という日が終わるまで、死に物狂いで争え。踊れ。散れ。



 その宣言・・は広場中へと響き渡った。混乱の中で頭に血が上り、手の早い獣人同士が殴り合いを始め、逃げ惑う人々の流れが乱れに乱れ、パレードの人員によって蓋をされる形で広場と本通りには停滞が生まれ――そしてあちらこちらで起こる爆発。


 なんの予兆もなく体を飛び散らせて死んでいく者たちが余計に獣人を狂乱へと導く。収拾などつくはずもない。時間が経てば経つほどに騒動はその混迷ぶりを増していくことになるだろう。


「会長! マイス会長――逃げましょう! お気を確かに!」

「な、なんで……どうしてルリアがこんなこと……」


 総務長は自身も混乱していながら会長の避難を最優先に考えた。補佐とともにマイスを逃がそうとするが、しかし少年は動かない。自身の手によって住民を傷付けたことに呆然自失となりながらも、その体は本人の意思によって壇上に留まろうとしている――それはルリアの真意を確かめるため。


 マイスの問いかけが届いたのかどうか、広場を見ていたルリアの視線が少年へついと戻されて。その時、その瞬間。ルリアを演じる・・・ことをやめた『人形』が初めて見せた本来の表情。空っぽで一欠けらも感情のない、ルリアそっくりの、しかしてルリアとはまったく違うその無機質すぎる無表情を確かめたことで――マイスはようやく自身のおかしな妄想が妄想などではなかったことを理解した。


「お前は――誰だ」


 それがマイスの最期の言葉となった。


 ルリアそっくりの誰かも、彼女の背後の側近も。

 そしてマイスも、彼を抑えようとする総務長も補佐その他も。

 壇上に立つ市政会と革命会の幹部総勢は――爆発四散。

 そこには誰もいなくなって、後には血だまりと、持ち手をなくした『七聖具』だけが残されて。


 今ここに、長らく続いた両会の歴史は呆気なくその幕を下ろしたのだった。


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