394 苦渋と修羅の選択
今、中央帯にはとんでもない混乱が広がっている。騒ぎの中心は台方広場のようだが、広場に直通している本通りではとにかくそこから逃げようとする者たちと、何が起こっているのかを自身の目で確かめに向かおうとする者たちで押し合いへし合いの状況が続き、必然自分がどうすべきか決めあぐねている者たちもその本流と逆流に巻き込まれて身動きが取れなくなっている。
人の数の差から横店通りは本通りほどの被害は出ていないが、しかしそれでも人々の恐慌具合には凄まじいものがある――それは然もありなん、人伝で世にも恐ろしい参事が起きたことを聞かされたからにはそうもなろう。
「やってくれてるねー、それでこそ人間爆弾だね。まずはあたしがせっせと作った人形たちから爆発させたんだよ。それに一発『聖槍』でかましてやったからね! 今頃広場は死屍累々じゃないかな? まー爆発の余波を含めてもいいとこ死者は広場内の半数いくかどうかだとは思うけどね。ほら、さっきも言ったけど獣人ってのはやたら頑丈だから」
「人形、だと……? そいつはいったいなんの話だ」
「あたしが市政会の人たちで作った人形のことだよ。博士のお薬で意識を永遠になくさせてー、それからリッちゃんを体の中に潜り込ませて操るの! だから『生きたお人形さん』だね。弛緩爆化剤も飲ませて爆弾にもさせたのさー、うふふ。だけどリッちゃんにもリソースってものがあるからね。あたしと完全に融合しちゃったからには人形を操れなくなるんだって。それ聞いて、だからもういーやって思ってさ。タイミングも丁度良かったから、これもいい契機だってことでぜーんぶまとめて吹っ飛ばしました! でも、人形以外の爆弾はまだ無事だよ。勝手に吹っ飛んでなければの話だけどねー」
「……クソが」
ペラペラと自慢話でもするように己がなした悪事の詳細を語るイクアに、ナインは嫌悪感しかない。憤慨、不快、そして一抹の恐怖。ぞわぞわと背筋を這いあがってくる一言では言い表せないような『嫌な気持ち』が少女の裡を支配する。
理解しがたい。
本当の意味で、そう思う。
ナインにはイクアの言っている意味がよくわからない。人形だとかリッちゃんだとか、さも「皆さんご存知」と言わんばかりに説明されても十全の理解には届くはずもない――しかし最低限、彼女がこの街で『どんなこと』をこれまでにしてきたのかは凡そ理解できた。
故に、本当の意味でわからないのは、たったひとつ。
イクア・マイネスという人間の行動原理について――否。
その存在価値についてだ。
「勝手に吹っ飛ぶってのは、どういうことだ? お前が念を飛ばして爆破させるんじゃなかったのかよ」
「条件の一は、そうだよ。そして条件二ぃー! 『一定以上の衝撃が加われば人間爆弾は自動的に爆発』します! だからこうやって大騒ぎになればなるほどあたしの意思とは関係なしに人間爆弾たちはとんとんとーんと死んでいくよ。それにほら、ここまで聞こえてくるでしょ? あの醜い争いの声が」
両耳に手を当てて、陶酔したような表情でイクアは喧騒を聞き分ける。彼女がそう誘導した通りやはり獣人同士での諍いが起こっているのは確かなようだ。群衆が目論見通りに踊り狂って死んでいくことに、イクアは純に喜ぶ。
「あっはぁ……この期に及んで、バッカみたいだよね。どっちの会員も目の前で吹き飛んでさ、それをちゃんと自分の目で見てたはずなのに、それでも派閥間で戦ってる。『こんなことをしたのは相手側に違いない』って決めつけてさ。勿論そう思うように仕向けはしたけど、こんなのバカにしか通用しない手だよ。もうちょっと獣人に纏まりがあればあたしがこうまで好き放題できるはずなんてなかったもん……ね? 下らないでしょ、何もかも。こんなどこへ行っても不満や不幸ばかりの世の中なんだから、ちょっとでも楽しく生きようと思ったらあたしはどうしたって人に迷惑をかけずにはいられないんだ。リックとは違って獣人なんてどうなろうとどうでもいいからね。その分もっと自由に遊べるわけでぇ……そしてあたしがいっちゃん楽しみにしてたのは、そう! ナインちゃんのことだよ!」
――そろそろ決めた? とイクアは小首を傾げてナインに訊ねる。
「不特定多数の獣人たちと! ナインちゃんのお仲間三人のみと! さぁどっちを救いたいのかな? このままじゃどっちも死ぬよ死ぬよ死んじゃうよ?! 獣人を助けたいなら、あたしについてきて。どうすればいいかをちゃーんと教えてあげる。でもそうすると仲間三人は見殺しになっちゃうねぇ。それはイヤ? イヤだよね、当然だよ。大切な子たちなんだもんね。じゃあ、仲間のほうを選ぶ? だったら、あの子たちがどこで戦っているかを教えてあげる。でもそうすると獣人の多くは吹っ飛んで死ぬことになる。見捨てちゃうことになるねぇ。……困ったねぇ、ナインちゃん。どっちを選んでも人は死ぬんだね! ナインちゃんの決断で死ぬんだ。どっちを救いたいかじゃなくて、どっちを死なせたいかで選んでもいいよ。ほら、ほらほらはやく。今すぐに決めよっか!」
「っ……お前――お前! どうして、こんなことをしやがる!? 俺がお前に何かしたか!? 獣人がお前に何かしたのかよ!」
「言ったでしょー? 理由も動機もありはしない。獣人なんてどうでもいい。強いて言うならどうでもいいから、かな。だから好きにできちゃうわけ。あ、でもナインちゃんは違うからね。どうでもよくなんてない。あたしはナインちゃんのこと、大好きだよ。だからこうして巻き込むの。だからこうして、ナインちゃんの仲間たちが死ぬんだよ」
「こんの……!」
「あーいーねいーねその顔! その顔が見たくって見たくって! あたしはずぅっと待ち望んでいたんだよ! ナインちゃんの綺麗なお顔がさぁ! あたしのために歪むのをさぁ! 世界で一番楽しみに待っていたのがあたしなんだって! ナインちゃんにも知ってほしくって! 頑張ったかいがあったよ、報われる! 長いことかけて準備してきたあたしの努力がお天道様に認められたんだね! ね、そうでしょうナインちゃん!」
「認めねえ、俺が認めてやるもんか……! この世の何がお前を認めようと、お前みたいな化け物がのさばることなんて……絶対に否定してやる!」
「あはっ、だけど今のナインちゃんに何ができるの? ほら、いい加減に決めないと。『ナインズ』なんていつ死んじゃうかわかんないよー。彼女たちじゃ敵いっこない相手と戦っているからね。むしろ死ねたらラッキーってぐらい痛めつけるように命じてあるから、それはそれはもう惨いことになってるかも……あは。そして獣人たちのほうだってあたしが何をしなくても死んでいくし、まだ『とっておき』も控えているからね。時間に猶予はないってお分かり?」
「ちっ……他にも何かをやってやがんのか、てめーは!」
「もっちろんでさぁ! ナインちゃんも吸血鬼――あーっと、そう。ヴェリドットだ。あの快く実験体になってくれたお優しい吸血鬼さんと戦り合ったからには、とーぜん知ってるよね? 対象を進化させる『暴化の種』の効力。六つの試作品であるそれを経てようやく至った完成品があるんだよ。名付けて『真化の種』! 一個だけ出来たそれを誰に使うか、あたしなりに考えたけど、被験者にはやっぱりとびっきりの才能を持つ子がいいなと思ったからね。テキトーにオーガやらヒュドラやら吸血鬼やらを対象にしての失敗と学習を元に、今度こそばっちりの子を見繕ったんだ。たぶんもうすぐその子が暴れ出す。そうなればさすがに、これ以上騒ぎが広がるのを待たずとも、中央帯ごと獣人たちは壊滅するかもしれないねぇ」
各所で起きているらしい闘争の音色。今でさえも阿鼻叫喚の中央帯が、本格的な地獄と化すのはもうすぐだとイクアは嗤う。
嗤って嗤って、ナインに残酷な決断を迫るのだ。
「さあ! 刻々と迫るタイムリミット! それまでには決めないと! どっちを『見殺す』のナインちゃん!? 救えるだけを救ってきた英雄のナインちゃん! 今日のあなたは住民たちと仲間たちと! いったいどっちを切り捨てる!?」
「――――――、」
ナインは、考える。考える考える考える考える考える……一瞬の間に自分のすべきことは何かを思考する。
騒乱の渦中で死んでいく数え切れないほどの獣人たち。
どこかでイクアの手駒と死闘を繰り広げているらしい仲間たち。
どちらを選ぶかはナイン次第――あるいは。
どちらをも『選ばない』のもナイン次第。
(俺は……っ、俺はこいつを、放ってしまっていいのか!?)
イクア・マイネス。彼女の作り出した選択肢は実のところ、どちらを選んでも自身の安全を確保する小癪なものである。獣人を選ぼうと仲間を選ぼうと、その時点でもうナインにはイクアへの手出しができなくなる。彼女を手にかけようとすれば苦肉の末に選んだほうすら救えなくなってしまうのだから。
故に。
どちらをも見捨ててでも、諸悪の根源たるイクアを。
どんな犠牲を払ってでも今ここで始末しておかねば――後々また、悲劇が繰り返されるのではないか。
ナインは苦渋に満ちた三択において雁字搦めになっていた。
(獣人たちを見捨てる? そんなのできっこない。かと言ってクータたちを見殺しに? それもできっこない! だがしかし、じゃあイクアを野放しにしちまっていいものか――俺の前に出てきたこいつを見逃しにすることだって、絶対にやっちゃいけないことだろうが!)
苦悩する。選べない――選ぶべきと言うのなら全てである。しかし現実の彼女にできることは精々ひとつだ。それも第三の選択以外ではイクアの機嫌次第で結果が左右されることにもなろう。こうなればもはや否定しようもない。
選択を迫られている時点でナインは、イクアの手の平の上にいるのだと。
「さぁハリーハリーハリー! ハリーアップだぜナインちゃん! そろそろ何を捨てるか選びなよ! 人々なのか仲間なのか! エゴか誇りか忖度か! あたしとは真逆の狂人としての在り方を、今ここで、あなたの大ファンの目の前で! 自分にとって良いように取捨選択して、ハッキリ見せつけてみなよ!」
「俺、は…………、」
長く長く悩んだ末に。
焦慮と苦悶の果てに、未だ解を見つけられるままにナインが何か言葉を紡ごうとして――
「そんなの悩むまでもないコンよ、武闘王のナイン。チームのリーダーなら、ここは何を置いてもまず選ぶべきは仲間一択だと――『あね様』ならそう言うはずだコン」
そこで突然、まったく聞き覚えのない声が割って入ってきた。




