393 悪意なき悪意
「あは。これはペナルティだからね、ナインちゃん。『仏の顔も三度まで』って言うじゃない? あれって三度目で怒るのか三度目までなら許すのかどっちだろーね? まあどっちでもいいけど、あたしは仏様じゃないから許すのはこの一回きりだよ。もしまた同じことをしたら、次はその女の子を爆破しまーす。条件のいちぃー。『弛緩爆化剤はあたしの意思でいつでも起爆可能』。さ……そう言われてナインちゃんはどうする?」
「……っ!」
驚愕と悔悟。殺せばどうにかなると考えた己が浅はかさを呪いたい気分のナインだったが、そんな忸怩たる心境などお構いなしにイクアは言葉を続ける。
「いやいやぁ、そういう顔がしたいのはあたしも一緒なんだけどね。やっぱりすごいやナインちゃん。増肉剤だけなら今のでばっちり死んでたよ? リッちゃんがいなくちゃ無理だった。だけどこれで完全に一体化しちゃったからリソースも限界いっぱいだ。おかげで中途半端なタイミングになっちゃうけど……ま、ギリギリ許容範囲かな」
「? いったい何を……」
「ようやく祭りの始まりってことだよ、ナインちゃん」
イクアがふんわりと微笑んだ、その時。
けたたましい爆音がどこからか聞こえてきた。ここからは距離があるようだが、しかしそれでも。空気も地面もまとめて揺るがす異音と悲鳴はナインにもしかと届いた。
「!? なんだってんだよ今度は!」
「ほらアレだよアレ、『孤混の儀』だよ。今年の演出はあたしが担当しました! それがどういうことを意味しているのかは、ナインちゃんなら聞かずともわかるよね」
「っ……何をしやがったんだ、てめえは!」
「察しはついてるんじゃないのー? この衝撃音。あたしの言ったことを思い出してみてよ。その子に使った分を『最後の一本』だって教えたよね。じゃあ、元々あった分はどこの誰さんたちに使ったんでしょーか!」
「――そのため、なのか! お前が市政会に加わったわけは! 街中の獣人を爆弾にするために!?」
信じ難い可能性に行き着き、しかしそれこそが真相に違いないと確信を抱いたナイン。歯を剥いて唸る少女へイクアは「んー」と少しだけ考えるようにした。
「まあそれが一番の理由かなー。と言っても流石に『街中』と表現するには爆弾の数が足りなさすぎだけど……だけどそれで十分でもある。少なくとも交流儀を、この中央帯を、今日という日のために集った獣人たちを根こそぎ吹っ飛ばすには今でも十二分に事足りている。あはは。あたしとしてはまだまだ盛り上げるつもりでいるけどね」
「この期に及んでまだ何かするつもりだってのか……!」
「するとも! だってそうじゃなきゃあたしはナインちゃんを楽しませてあげられないじゃん――あたしがナインちゃんで楽しめないじゃん!?」
「いいっ加減に……しやがれぇ!!」
激昂。
着火するように体は動き。
瞬時に接近。
即座に殴打。
少女の腹をぶち抜く、ナインの拳。
「がぁっ……!」
「そのまま寝てろ!」
臓物をわざとぶちまけさせるように腹を裂きながら腕を引き抜き、その次にナインはイクアの頭を抱え込むようにしてぐいと回した。
逆らい難き怪物少女の握力に掴まれた頭部の向きが、百八十度曲げられた。否応なしにイクアの頚椎は捩じれ、脊髄とともに第三から第七頚までの神経根もまた同様の負荷を負う。言うまでもなくこれらは身体の動作や感覚を司る重要な器官たちである――その大半が一瞬で役立たずとされたのだ。
目の前で星々が瞬いたような視界を最後にイクアの意識はストンと落ちる。彼女は肉体のあらゆる変調や欠落を自動的に回復させる『増肉剤』を服用しているが、怪物少女によって抑え込まれたままの首はその慮外の腕力によって修復されようにも治るに治れない。必然、脊髄周りの器官が捻じ曲げられたままの状態が継続することになる。こうなってはいくら薬物投与によって人外染みた機能を手に入れているイクアとて再び動き出せる道理などなかった――。
ただしそれは、彼女の体が彼女だけのものであったならの話だが。
「なにぃ……!? んだこれはっ?」
それはまるで、ハエの群れ。
突如としてイクアの身の内から無数のハエが湧き上がってきた。
そんなはずがないと思いながらもそうとしか思えなかったナイン。驚愕から引きつった声を上げながらもイクアの頭部から手を放そうとはしなかった彼女だが、その掴んだ手の下からも細々とした黒い何かがひっきりなしに飛び出し、とうとうイクアの体を持っていかれてしまう。
腕力から解き放たれ自由を取り戻した途端、ぎゅるりと回って正面を向いたイクアの首。とうに腹の傷も塞がっている少女は体中を汚している血を無視すれば、どこにも怪我ひとつない五体満足の状態であるとしか思えない。しかし肉体は元通りになっても、彼女の記憶には自分の受けた仕打ちがきちんと刻まれている。
「あはは! はぁい、そんじゃペナルティのふたつめだ。罰としてその子をー、散らかしますっ!」
「……っ! この……!」
「あはっ! もう遅い遅いダメダメダメダメ駄目だよナインちゃん!」
もう一度イクアの意識を飛ばそうと試みるナインだったが、それよりも早くに悟る。『間に合わない』。二度も先手を取っておきながらそのどちらでも無力化に失敗してしまった今、もはや三度目へ挑戦するよりもイクアが指令を出すほうが速い。
(ハッタリじゃ、ない――! こいつは確かに思うだけで、念じるだけで! 意思ひとつで人を殺せちまう!)
人を人とも思わないような人ならざる者の笑顔。狂色一杯に染まりながらもしっかりと理性を宿した瞳でナインを、そして『爆破物』たる犬人少女を眺めるイクア。そのあまりに悍ましい顔付きから彼女の宣言には僅かばかりの嘘も偽りも脅しも含まれていないのだと見て取ったナインは、心の中でどうかハッタリであってくれと願ってやまなかった『爆破条件の一』もまた決して大法螺ではなかったのだと実感し。
故に、少女はイクアへ迫ることを取り止めて――足の代わりに手を伸ばした。
イクアにでもなければ、犬人少女にでもなく……己の影へと向かって。
「づぅあぁああ!!」
斬る。
何もない空間へ刃を通過させる。
月光剣――影より抜かれた青白く光りを放つ美しい刀身が、なんの抵抗もなくそこを振り切った。
その結果。
果たして犬人少女は無事のままだった。
イクアは確かに起爆を念じた、のにもかかわらず、何故か爆発は起きなかったようだ。
「ふぅー……、間一髪だ」
確証など何もなかった。
しかしそうするべきだと怪物少女の直感が囁いたのだ。
断ち切れ、と。
犬人少女が今まさにその命を文字通り散らそうとしている瀬戸際において、根拠なき勘に迷いなく従ったナインは魔武具である大剣を抜き放ち――イクアと犬人少女の間、斬るべき対象など何ひとつ見当たらない単なる中間の場所へ刃を走らせたのである。
その瞬間こそが、ナインが初めて『月光剣を使った』事例と言えるだろう。
己が持ち手たる少女より発せられた尋常でなく切羽の詰まった、それでいて有無を言わさぬ力強い命令に応じた月光剣はその神秘を、特一級魔武具としての真価を惜しみなくここに実演してみせた――それによって。
イクアが念じた爆破指令は犬人少女へ届くことなく中途で『断ち切られた』のである。
どうにかなった、と安堵して息を吐くナイン。
しかしてこの結果に誰よりも大きく反応を見せるのは助けたナインでも助かった犬人少女でもなく、殺そうとしたイクアのほうであった。
続けざまに爆破を念じてみてもウンともスンとも言わない犬人少女へ目を向けて、それからナインと手元の剣を確かめて。
にんまり、と。
イクアは三日月を思わせる笑みを口元に浮かべた。
「いーいねぇ! 何をしたのナインちゃん!? コールセクトと同じで爆発は脳波を送れば即実行されるはずなんだけど……送るためのリンクが切られちゃった――斬られちゃった! その剣で!? 物理的にできっこないことを、術も使わずになんともまあ簡単にやってくれちゃったねぇ! 凄い凄い! それはその剣の力? ナインちゃんの力? それともその両方が合わさってのことなのかな――いずれにしても! ナインちゃんはやっぱり、こうもここまでもこんなにも! とっても面白いよ、ナインちゃん!」
「いくらでも笑ってろよ、異常者。すぐに笑えなくしてやる……」
「え!? ナインちゃん忘れちゃったの? その子は死ななかったけど、でも薬の効力自体がなくなったわけじゃないよ? しかも人間爆弾はその子一人じゃないんだよ――一万っていう数字を超えてこの中央帯に集っているんだよ!? ひどいよナインちゃん、その人たちを見捨てちゃうつもりなの!?」
「っ……!!」
思わず黙るナイン。反論ができずにいる少女へ、イクアは慈母のような優しい口調で言う。
「でも、今のはあたしも楽しめたからご褒美ね。ペナルティをひとつ打ち消すことにしよう! だから、もう一度だけチャンスをあげるよナインちゃん。優しいあたしに感謝してよねー」
「チャンス、だと?」
「そうだよ。人助けの鬼のナインちゃんだからね。気持ちいい満足感をプレゼントするためにも、ファンとしてはその背中を押してあげたく思いまーす! 助けたいならどうぞ、好きなだけ助けるといい。ただしナインちゃんにはきっちり選んでもらうよ」
「……?」
選ぶ――いったい、何と何を?
訝しげに片眉を上げた少女へ、イクアはあっけらかんと告げる。
「この街に住む見ず知らず、不特定多数の『大勢』かそれとも。一緒に旅をして絆を育んできた仲間たち、たったの『三人』なのか。ナインちゃんがより大切に思うほうを、心から助けたいと願うほうを選んで、選別して、選り好みして……それから助けるといいよ」




