391 人災少女と怪物少女
別に宿敵でもなんでもない二人
ナイトストーカー部隊を置き去りにして台方広場を目指しているナイン……のはずだったが、少女は足をピタリと止めて通りのど真ん中に突っ立っている。
その正面にはナインと相対するようにもう一人の少女がいた。
薄紫色の髪と、同じ色をした瞳。綺麗とも可愛いとも称せるような細身の少女だった。しかし飛び抜けた美貌を持つというわけでもなく、他にこれといった特徴もなく、一見するだけでは街のどこにでもいそうな、道を歩けばすぐにも同じような印象を受ける少女と二、三人くらいはすれ違えるだろうと思えるような……そういう『普通』の少女だった。
ただし見た目だけから受ける印象と比べて明らかに異質なのが、少女の笑顔だ。
明るく、浮ついていて、何も物を知らなそうな――それでいて粘りつくような、へばりつくような、その笑顔が。
気味が悪い。
単純にそうとしか言えない、それ以外の言葉が見つからない、そんな得体の知れない不気味さを醸し出している。
「お疲れ様っ! 思ったより苦戦してるみたいだったから心配しちゃったよ。でもよかった、ちゃんと勝ってくれたね」
「……」
「まー負けるはずないって思ってたけどね! でも流石だなー。あたしより断然早く遊び始めちゃうんだもん。出会いは偶然だったんだろうけど、でも感心した! やっぱり楽しませてくれるよねぇ」
「…………」
「怪我は……あは、ないみたいだね。でも服はボロボロだあ。あ、よかったら着替える? それくらいならあたしもぜんぜん待てるから、気にせずそこらから盗ったらいいよ! なんならあたしが選んでもいいし!」
「………………」
機嫌よく話すその少女とはまるで対照的に、黙ったままでいるナインの顔はどんどん険しさを増していく。先を急いでいたはずの彼女がこうして立ち止まっているのには無論、相応の訳がある。
それは通りを行きながらも一目見ただけの少女の不穏さを敏感に感じ取ったから――などという感覚的で曖昧な理由ではなく、もう少しはっきりと分かりすいものだった。
少女の手の中には、もっと小さな少女が収まっているのだ。
首を絞めつけるように拘束され、声も出せず、呼吸すらままならず、恐怖と酸欠で顔色を悪くさせている犬人の少女が……瞳だけで懸命に助けを求めている。
右手で首を握り、左手には注射器を持って幼い犬人の子に宛がう。そんな見るからに物騒な出で立ちでいる謎の少女から呼び止められたことで、ナインは否が応でも足を止めざるを得なくなったのだ。
「返事してくれないのは悲しくなっちゃうなー。一応聞くけど、君はナインちゃんだよね?」
「そういうお前はイクア・マイネス……で、合ってるか?」
「あはっ! 正解正解大正解! 嬉しいなー、ナインちゃんに名前が知られてるなんて! 舞い上がっちゃう! 天にも昇れるような気持ちってこういうことを言うんだね……うふ」
二人の表情は変わらない。イクアばかりが上機嫌となり、ナインはそれと反比例するように険相を作り声を低くしていった。
「その子は、ついさっき見かけた子だ」
「ん、そうなの? それがなに?」
「さっき見たときはたぶん、母親と一緒だったんだ。お互いにしっかりと手を握っていたよ。……その子の母親はどうした?」
「あぁ……えーっとね。どうしたもこうしたも、そこらへんに転がしてあるから今どうなってるかなんて、あたしにもわかんないんだよね。人に踏まれて今頃はお陀仏かもしんないね。ああでも、獣人は頑丈だからそれくらいじゃ死にはしないかな。どうだろ?」
「……てめえは」
「えっ、怖い。睨まないでよー、これってそんなに怒ること? ただ邪魔だったから気絶させただけだよ、他には何もしてないし、もちろん他意だってないよ? この子を選んだのだって目についた中で一番持ち運びしやすそうに見えたってだけで、他に理由なんてないしさ。ただそれだけのことだよ」
人質。【崩山】こと巨体の竜人ガスパウロ・ドウロレンを手中に収めたやり口に味を占めたイクアは、安易にそれと同じことをまたナイン相手にもやろうとした。これはナイトストーカー部隊からの連絡を受けたことで、急遽イクアが広場を離れて交戦現場へ向かうその途中で閃いた単なる思い付きだった。
上手くいってもいかなくてもいい。その程度の気持ちでやったことだが、きっと効果はあるだろうと思っていたし、実際は想像以上に効いた。
ナインの剣呑な瞳から放たれる、格別に心地良き視線を浴びてイクアはとても喜んで――、
「あぐっ……?!」
そして気が付けば地面を転がっていた。
強烈な痛みがあった。強く弾かれたことで全身が悲鳴を上げている。何が起こったのかは、きちんと理解している。しかしだからこそナインの迷いのなさに驚いていた――、
――歓喜していた。
「あは、ははっ、ははははっ。痛い! 痛いよう、ナインちゃん! 酷いことするね……。あちこちの骨が折れちゃってるよ」
ふらつきながらも、立ち上がる。視線を上げればそこには犬人の少女を腕に抱えたナインがいる。
一瞬だった。一瞬のうちにナインは距離を詰めてイクアの手から少女を回収し、それから遠慮なく殴り飛ばしたのだ。あまりにも速い。即断即決即実行。その速度もだ。言うまでもなくイクアはナインから目を離すことはしていない。楽しみにしていた映画の上映直前のような気分で彼女をじっくりねっとりと眺めていたところなのだから当然だ。しかしそれほどまでに彼女に注目しておきながらも、彼女の動き出しに反応しきれなかった。色々な意味で『目の良さ』に自信のあるイクアでも、その動きを完璧に捉えることができなかったのだ。
彼女が戦士として修練を積んでいるならまだわからなかっただろうが、少なくとも今のイクア・マイネスでは速さでナインに追いつくことはできない――よーいドンで始める勝負では到底勝てっこない。
それがわかったことで、だからイクアは笑うのだ。
「うふふ、凄いんだなぁナインちゃんは。目の良さだけじゃなくって手の早さにも自信あったのに、そっちでもてーんで敵わないや。殴って解決なんて、やだ野蛮。でも素敵だね」
「ごちゃごちゃうるせぇな、黙ってろよ。お前からは色んなことを聞き出すつもりでいるからよ……どうせ洗いざらい喋らされるんだから、今くらいは口を閉じてたらどうだ」
「あははは! あたしの体に聞くつもりなんだぁ。いいね。ぞくぞくするよ。あたしはそれに付き合ってあげてもいいんだけど、ていうか付き合いたくて仕方ないんだけど……でも、ナインちゃんは本当にそれでいいの?」
「あ?」
「だってほら、その子。すごく苦しそうにしてる」
「それは――、」
それはお前が首を絞めていたからだろうと言い返そうとしたナインだが、すぐに異変に気が付く。苦痛からも酸素不足からも解放されたというのに確かに犬人の少女は顔色が悪いままで、極端なまでに苦しそうだ。
いや、苦しそうというよりも。
その姿はまるで未だに、目に見えない『何か』のせいで体の自由を奪われたままでいるかのような――。
「こいつは……!?」
そこで目についたのはイクアを殴った際にその手から落ちた注射器。落下して砕けた注射器自体には何もおかしな点はなかったが、問題はその中身だ。そこに得体の知れない液体でも溢れていてくれたらそれでよかったのだ――しかし転がっているのは割れた注射器のみ。
空っぽなのである。
それに気付いたナインはゾッとした。
「イクア! まさかお前――!」
「あはっ。実はこっそり注射しちゃいました! 最後の一本だから大切にしろって言われてたんだけどね。我慢できずに使っちゃった」
「このっ……下種がぁ!」
「あう……っ、」
ぐったりとした少女を路面に横たわらせたナインは、獣のようにイクアへ飛びかかった。磨り下ろすように強く地面に叩き付け、その胸ぐらを掴む。ナインの顔はまさに鬼気迫るものだったが、しかしイクアはそれを間近で見てもけらけらと笑うだけだった。怪物少女の怒気を受けても彼女はほんの少しの恐怖すらも感じていないようだ。
「うー、やっぱり乱暴だぁ……苦しいよナインちゃん。あたしを苦しめてそんなに楽しいの?」
「ぶっ殺すぞ。あの子の体に何をしやがった? どんな毒を入れたのかとっとと言え」
「毒じゃなくってお薬だよぉ。本当は筋肉を液状化させるものを作ってほしくっておねだりしてたんだけど、そっちはうまくいかなくってね。でも代わりにできたのが『弛緩爆化剤』。これも面白い薬でねー、摂取すると濃度にもよるけど大体数時間から数日のうちに人間爆弾になるんだよ。ちなみに注射したのは原液だから、その子はもう爆弾ちゃんだよ」
「は、あ……?」
自分から聞き出したことではあるものの、イクアの口から語られる言葉の意味がうまく咀嚼できなかったナイン。ひたすらに困惑している少女の顔を下から見上げてますます笑みを深めたイクアが、ついと腕を動かした。
「あは、よく呑み込めないかな? だったら――」
「っ!」
自分の顔面へ伸びてきたイクアの腕を、咄嗟に捩じり上げる。そのまま容赦なく折ってやろうかとナインが考えた、その瞬間。
「あたしが『身をもって』教えてあげるよ」
「なに――、」
カッ! と。
ナインが掴んだ腕が――勢いよく『爆ぜた』。




