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389 『夜を追う者』と怪物少女④

 一歩、踏み出す。

 たったそれだけの動作を見てベルは悟った。


 自身が必殺の気勢で放った杭群になんの意味もないことを。


 思った通りにナインはその歩みを止めようとはせず杭を拳で迎撃し、難なく距離を詰めてきた。自分もまた砕かれた杭の後を辿るのだと予感する。


 ベルは人間にして『武器』だ。彼と同じく吸血鬼狩りヴァンパイアハンターを生業としていた実の父親の手によってそういう体質にさせられた。持ち主・・・を指定することでリンクを形成し通常では困難な連携や合体技をも可能とし、その応用で一度獲物へ杭を接触させれば『共振』によって常に位置を把握することだってできる。


 人間投杭機とでも言うべきベルは一から十まで吸血鬼を狩るための存在であるが、そのことに誇りを持っている彼だ。特異な体質であることに度々の苦労はあってもそれを悲観したり卑下するようなことはしてこなかった――ただし、そんなベルでも唯一困り事として認識している己の特性が「一人では真価を発揮できない」という点。


 彼は生きた武器であるからして、持ち主がいないことには実力を出し切れないのだ。


 武器にして年頃の少年でもある彼はできることなら単独でバッタバッタと敵を薙ぎ倒せるような強さを欲してもいる。が、彼がこの先得られる強さとはそういった類いのものではない。一人で戦う分には単に杭を撃ち放つ以外にやれることはないのだ、と自分自身よく知っているからこそ、遥か先の未来にだって思い描くような成長の見込みなんてないことにもまた自覚的であった。


 それならそれでもいい。

 そう思えるようになったのは間違いなく、この部隊に所属してからだった。ただ一人の家族であり頼れる存在であった父親が亡くなって以降、荒れた心そのままの態度で無鉄砲な生き方をしていた矢先、ディッセンに拾われ、あれよあれよという間に準公務員の正式な吸血鬼狩りの一員となった。


 そこで出会った姉貴分のジュリー、ライバル兼親友のオウガスト、そしてタイプこそまるで違えどどこか亡き父親のことを思い起こさせる隊長のディッセン。ベルはあっという間に彼らのことが大好きになったし、一緒に戦えることを喜ぶようになった。だからこそ「他人がいなければ実力を出せない」という欠点を「仲間がいれば実力以上を出せる」という持ち味として受け入れられるようになったのだ。


 普段は強気な口調で話すベルだがその実、その性根は甘えん坊のそれだ。上手く仲間に使われてこそ全力になれる彼はそれだけ仲間の喪失を何よりも恐れている。父親がそうだったように彼らもいつか、自分の前からいなくなってしまうのではないか――呆気なく死んでしまうのではないか。


 また一人ぼっちになってしまうのではないか。


 極めて危険な存在である吸血鬼。それを狩る対象と定めている以上ナイトストーカーにとっては戦いこそが日常であり、そんな生き方をしているからには彼の抱くそういった種類の不安はなんら妄執の内に入らず、極めて現実的な懸念であると言えるだろう。


 誰だって死の不安と覚悟を胸に戦っている。


 それは同部隊の仲間たちとてそうだ。


 そうとわかっていてもベルは殊更に怖くなる――仲間の死がどうしようもなく怖くて怖くて仕方がなくなる。


 自分の大きすぎる恐怖が現実となってしまわぬようにといつも張り切っているし、いつだって果敢に挑んでいる。



 それはつまり恐怖の裏返しに他ならず、そうやってある種の逃避によって自身を鼓舞しているが故に……この時彼はひどく動揺してしまったのだ。



 持ち主として指定していたオウガストがナインに捕まり、障壁の檻へ投げ入れられると同時にリンクが断ち切れた。物理的な干渉だけでなく自身の持つ特性すらも機能しなくなったことにベルは大いに内心を揺さぶられた。どのみち『守護幕ナインヴェール』から出られないのならオウガストとリンクを保つ意味は薄く、その場合は自分から一旦指定を解いていただろうに、しかしそれが自分の意思ではなくナインの術によって強制されたことでベルはハンターらしくもなくあからさまに動揺を見せた。


 ナインにじろりと睨まれ、咄嗟にやったことがなんの捻りもない杭の射出という下策になってしまったのはそれが理由だ。


 ディッセンを主軸にオウガストと互いの隙を打ち消し合う前提があってこそ多少の成果を上げていたこの攻撃に、単身でナインに通用するような強みがないことはこれまでの戦闘でよく理解していたはずだというのに、ベルの体は自分でも直後に悔やむほど「馬鹿な真似」を選んだ。


 するとどうなるか、そんなことは考えるまでもない――考える暇すらもないほどに目の前の光景がすぐそれを教えてくれる。無造作に杭を打ち落とし進撃してくる怪物少女。もはや抵抗のすべを持ちえないベル……を救えた・・・のはやはり。



 直属の上司にして現在の父ディッセンであった。



 自分を守るべくナインへ攻めかかる彼を見て、ベルは思わず様々な感情を乗せて叫んだ。


「た、隊長ぉっ……!」



◇◇◇



「そうくると思ったぜ」


 隙を突くつもりであったディッセンは、しかしナインが余裕を持ってこちらへ振り向くのを確かめ、自身がまんまと誘い込まれたことを知った。どう見ても直前までの彼女はベルを仕留めることにばかり集中している様子だったことが解せないが、とにかく不意打ちが叶わなかったのは事実だ。だが構わない。もうこちらは攻撃態勢に入っている――察知されていようといなかろうとここからやることは変わらない。このまま『烙印』をぶつけるのみだ。


 臆せず踏み込む。震脚によって足から得た力が瞬時に体を伝い、拳へ。拳法家でもあった師匠から厳しく叩き込まれた身体の使い方で、打突に万全の力を込める。そこでディッセンはナインも同じような動きをしていることに気が付いた。彼から見れば些か乱暴ながらに不思議と様になっているようにも思える所作でナインが踏み込み――激震。


 震脚によって拳の威力を上げるディッセンとはまるで違い、少女はただそれだけでも大規模な攻撃法となる。揺れ動く地面、かち割られた道路の上で何度目かの驚嘆を味わうディッセンだったがモーションに淀みは生じない。『烙印』の効力もあってたとえ足場が急激に不安定なものと化そうとも、それによる影響など今の彼にとってはあってないようなものだ。どうやら少女もまた殴打で対抗しようとしているようだが、もう遅い。拳の到達は確実にこちらが先。『烙印』によって全力を超えた力を丸ごと少女の肉体へ叩き付ける――この攻撃は防御不能にして不可避の一撃でもある。



 覇術『転禍為福・烙印』の絶大なる力を余すことなくこの一打に、この小さな肉体に打ちつける。



「なん――っ!?」


 反撃は間に合わない。ディッセンの目算はこの上なく正しかった。確かにナインの拳は相手が繰り出す拳に追いつかず、先に攻撃を届かせたのは少女が振り返る前から攻めの姿勢を取っていたディッセンのほうであった。体捌きだけでなく『烙印』による単に速度を速めるだけではない特殊な加速を得ている彼は、怪物少女が得意としている後出しでなお相手より先んじるという理不尽な戦法を打ち破ってみせた。そのことは素直に快挙と言って差し支えないだろう――だが、しかし。


 に拳を到達させたとて。


 そのがどうなるかについては、予測がまだまだ甘かったと言うしかない。


 そのことをディッセンは否応なしに実感させられた……拳の直撃を受けながらもその場から動かず、しかも止まろうともしないナインを前にしては!


「おっらぁ!」


「ぐぅ……!」


 力場を生む『烙印』の力ごと何もかもを振り払うようを殴打。その衝撃によってディッセンのほうは軽々と弾かれた。足場の影響などないにも関わらずごく簡単に動かされてしまった――それは地面に根でも生えているかのようにビクともしなかったナインとは正反対。肉体強度の差がそのまま残酷なまでの戦闘力の差となっている。覇術を用いても埋めきれない隔絶的な差異にディッセンは戦慄する。そしてナインが二撃目へ移行しようとしていることに気付き歯噛みしつつも、もうこうなってはどうしようもないと理解して――その視界の端にベルが映り込んだ。



「隊長――ッ! うぉおおこの野郎ぉおおおおおお!!」



 ベルの必殺、『連装多杭撃ち』。射出可能な分だけ惜しみなく杭を一箇所へ向けて撃ち放つという彼一番の火力を誇る大技を、今度は自分が隊長の窮地を救うべく披露する。口から出る怒声はベルなりの気合の表れかもしくは注意をこちらに逸らさせようというなけなしの工夫なのか。どちらにせよ隊長を怪物少女からの魔の手から守るという目論見は一旦成功を果たす。



「――超拳破ノック



 たとえ渾身の大技がたったの一撃、それも拳圧だけでまとめておしゃか・・・・にされたとしても――そしてその衝撃が杭だけに留まらずベルの体をも叩き、そのせいで身動きが取れなくなったとしても。


 気が付けば眼前にまで少女が迫ってきていたとしても――それはベルが狙った通り、願った通りのことなのだ。


「三人目」


 まるで手ごろなサイズのボールでも扱うような軽いモーションで人一人を投げ、用意したヴェールの中に封じ込める。これでナインは自身の捕縛を目論むナイトストーカーの三名を逆に捕縛してやったことになる。残るは隊長ディッセンただ一人だ。こうなればもう、如何に覇術が強力であろうと彼には僅かな勝機すらもないはず。それをナインは正しく読めているし、ディッセンとて承知しているだろう……それでも。


 ベルを放り投げたその瞬間を最後のチャンスと捉え、忍び寄っていたディッセンが今度こそ限界の先、全開にした『烙印』での生涯最高と断じることのできる一撃を放とうとしている――その意気込みを酌むことで、ナインもまた全開となる。


 打ち貫くこと。


 そうしようと決めた通りに、正面から拳を拳へぶつける。


 超常の力の中でも最高位のひとつと数えられる覇術にも負けないだけの……否。



 それすらも上回る『単純なる力』によって――思い切り殴り抜く。



 ディッセンは自分の腕がへし折れる音を聞いた。それと一緒に『烙印』が解ける。果たして自分で解いたのかそれとも解かされたのか? それすらも判然としないままに彼が敗北を理解した、その次の瞬間には自分もベルのように放り投げられていた。


 仲間たちの待つ、不思議と優しげな檻の中へと。



「「「隊長!」」」


「ふう……まったく、敵いませんね」



 部下三人に揃って抱き留められ、脱力とともにディッセンは笑った。


 プロのハンターとしてあるまじき醜態を演じたとは思いつつも……何故だかその顔は安らかだった。


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