387 『夜を追う者』と怪物少女②
隙のない連携。どの基本戦術においても重要な核となるメインアタッカーであるジュリーを欠いている現在のナイトストーカーは、その事実だけを見れば果てしなく不利な状況に陥っていると評すことができる。劣等と称されるような木っ端吸血鬼が相手ならばともかく、此度の敵は武闘王ナイン。その強大さは八代目武闘王の称号を持つとある老婆に師事していたディッセンこそがよく知ってもいる。
いくらナイトストーカーが人ならざる者を狩る専門部隊と言えども、武闘王とは人の身でありながら人外の魑魅魍魎すらも凌駕してみせる正真正銘の『王』たちだ。たとえ部隊が一丸となって挑み、普段は実績を上げている『正攻法』の狩り方で臨んだとて成功率は常ほど高くはならないだろう――ということを想定に入れていたからこそ、この場面でも彼らに迷いや二の足といった類いのものは一切生じなかった。
残念ながらと言うべきか案の定と言うべきか、定石である対化け物用の戦術が崩され、攻めの主軸のジュリーまでも封じられ、ではここからどうするか。
そこでディッセンはベルとオウガストに全力攻勢を指示し――自身は禁じ手を切ることを僅かの思考時間もなしで決定したのだ。
もしも彼が戦闘前、ナインという少女の実力を僅かにでも侮るようなことがあればここで逡巡し次の策へ移るまでの間に無駄な時間を挟み、結果としてジュリーの後を追って瞬く間にナインの手で全滅していたことだろう。
それは十分にあり得た可能性ではあるがしかし、現実はそうならなかった。それを防いだ、ナインに追い込まれるよりも先に総力惜しまずの攻めを選択したディッセンの決断は、まさに英断であったと讃えられて然るべきである。
ただし。
覇術『転禍為福』。力を意のままに操るこの術を自身にかけることによって威力、速度、正確性――戦闘技術諸々を意思と魔力で跳ね上げるという他では類を見ない強化の仕方を実現させる『転禍為福・烙印』。ディッセンが師匠より禁じ手として使用を止められているこの『烙印』は絶大な効力を発揮し、ベルとオウガスト両名からの援護もあってナインを一方的に攻め立て、彼女に「何もさせない」という理想的な状況を作り上げることができた……が、それはディッセンの背負った術の効果と見合わせても過大と言わざるを得ない相当の危険を度外視した場合の評価でしかない。
禁じ手とされるからには無論、それなりの理由がある。
そうでなければナイン相手にも通用する『烙印』という切り札を初手から切らないはずがないのだ。
彼女の強度を低く見ていたならばともかく、ディッセンにそんな油断や楽観などは皆無であったのだから、余計に手を隠す意味も労を惜しむ意義もない。
ならば『烙印』には決して軽視できないデメリットが明確に存在しているに違いない――と。
ナインは『烙印』を発動させたディッセンとそんな彼を射程のある攻撃でひたすら支援に徹する少年少女とに翻弄されつつも、しかとその事実を見抜いていた。
何故初めからこうやって攻めなかったのか? その疑問は現在息の合った猛攻に晒されているところのナインだからこそ気になって気になって仕方がないものである。ジュリーという爆破剣を縦横無尽に振るう攻撃手として文句なしの大看板を失った後から慌てて攻めかかろう、などという戦い方は戦術の素人であるナインからしても眉を顰め「それでは遅すぎるだろう」と指をさして指摘してやれる程度には拙いものだ。仮にこの攻勢にジュリーも残っていたらナインの被弾回数は今の比ではなかったはずである。それを自分でも自覚している少女は、奇妙な強さを見せるディッセンの変化に戸惑いつつもそれが決して彼にとって利だけとなるものではないと「なんとなく」気付いた。
ディッセンの背負うリスク……それは生命力の永久的減衰。
つまり彼は『烙印』の発動中、猛スピードで『己が寿命』を削り続けているということになる。
「……っ、」
ディッセンが見せる、時折歪む表情。動きの節々にある妙な強張り。明らかに肉体と釣り合っていない大出力。――無茶などというものではない。彼は自ら死に向かって疾走しているも同然だ。その犠牲によってこの力を成り立たせている……それと対することで看破したナインに、ディッセンもまた気付く。
(『烙印』の欠点がナインにもバレてしまいましたか……マズいですね。これで彼女は私たちとまともに戦り合おうとはしなくなるでしょう。そうなるとこちらには打てる手がなくなってしまう)
急速に命をすり減らしながら戦うディッセンに対し、ナインが取るべき対応は実に簡単だ――時間を稼げばいい。
『烙印』によって強化された彼を相手取りながらそんな真似ができる者など本来ならいないはずが、しかしナインであればそれができてしまう。彼女の持つ反応速度や耐久力は尋常ではなく、反撃こそ叶わずともただ「耐えるだけ」なら如何様にも実現できてしまうだろう。
そしてそうされてしまうともはやディッセンたちに打つべき手はない。
何せこの時点で彼らは限界一杯だ。可能な限り強く速く途切れなく――持ちうる全てをこの集団戦、この三人での連携に費やしていると言ってもいい。それでようやくナインの封殺をギリギリのところで成立させている状況で、ここから更にナインが亀のように防御を固めそれだけに専念する腹積もりになってしまえば、現状これよりも上が存在しないナイトストーカーにその防策を打ち破る手段など皆無なのである。
だからこそディッセンの顔には苦慮の気が走った。
それは『烙印』の副作用による全身を絶え間なく責め立てる激痛とは関係しないもの。
武闘王ナインが当然に選ぶであろう時間稼ぎの策に向けた、光明なき手立てへ頭を悩ませるが故のもの……だがやはりそれに対する解は見つからない。
数時間どころか数分耐えるだけでいいナイン。時間を味方につけた少女と比べ、時間すらも敵に回してしまった彼にはやはり、これ以上できることなど何もなかった。それはどう控え目に表現しても絶体絶命という四文字が相応しい敗北の決定づけられた勝負。死に至る闘争。甲斐もなく命を散らすだけに終わりかねないという恐るべき未来が現実のものとなろうとしている、そのことにさしものディッセンも焦る。死を恐れているのではない。自分が死んだあとに取り残される仲間たちの心配をしているのだ。
――ここで本当に命を散らしてしまうわけにはいかない。
つまり寿命が尽きないうちにナインを倒してしまわねばならない――しかしどうやって?
それができないからこそこうして苦心しているというのに。
しかもそれがナイン本人に知られてしまったからには、これで私たちは真の「詰み」に陥ったことになる――。
「――え?」
必死に思考を巡らせながらも連携を途切れさせることなく戦っていたディッセンがその最中に、気付けば間の抜けた声を我知らず零していた。それはナインのおかしな行動を見てのものだった。
――戦意を漲らせている。
力強く輝く白いオーラと共に、濁流が如き圧倒的な闘気が彼女の体から放出されているのだ。
それはどう見ても。
誰がどこから見たって。
真正面からナイトストーカーを――否。
ディッセンを打ち倒そうという意思を明確に示す行為。
時間稼ぎの、まるで逆。
ナインはむしろ決着を急ごうとしている。
そのことを正しく読み取ったディッセンはそれが故に困惑したのだ。まったくもって正着ではない、正常とも言えない。ナインからすればたかだか数分の我慢で訪れる終着をここで急ぐ必要などないはず。『暇がない』などと口にしていた彼女だが先の様子からすればその程度の余裕ぐらいはあったに違いない。
なのに、彼女は。
思いがけぬナインの選定、溢れんばかりの闘志を前に戸惑ったディッセンはその謎を解くべく瞬時に推察を重ね――けれどそのどれにも納得がいくだけの説得力を持たせられず、そこでようやくたったひとつだけ「ひょっとすれば」という考えが浮かび。
『まさか』という思いで今一度少女を見つめた彼の目にはこの世の全てを照らさんばかりに輝く美しい深紅が映って。
その瞳のあまりの真っ直ぐさに、その『まさか』こそが間違いなく真相であると知ったディッセンは……戦闘中だというのに思わずふっと口元を笑みの形に曲げてしまう。
それは敵を威嚇するために彼がよくやる「無の笑み」などではなく、間違いなくディッセン本来の笑顔だった。




