385 非才の隊長と怪物少女
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「彼女、単独ではありませんでしたか……。しかしおかしいですね。『ナインズ』のお仲間とは別行動を取っていることは確かのはず。だというのにナインを手助けしているのは――いったい何者なのか?」
ベルの杭を引っこ抜いた子供のような腕。
覇術を転移によって邪魔してみせたのもおそらく腕の主と同一人物と見て間違いはないだろう。
「二度も防がれたとなれば偶然ではないでしょう。正体不明の何某は明らかに私が術を使うのを見計らって転移を実行している……」
一度だけならばあちらがジュリーに対し攻勢に出るべく転移を用いたタイミングとこちらが仕掛けるタイミングが偶々被ってしまったということも考えられた――が、二度目も同じく覇術発動と時を同じくしてその何者かは転移を使った。こうなればもう確定的だ。
「覇術とは発動や行使が阻害されにくい術です。相手に察知されにくく、されたとしても防ぐ手段が限られる。ところがナインを助けている何某は『覇術を察知してのけた』うえで不完全とはいえ『対策まで心得ている』……ナインの仲間なだけあってこちらも生半な相手ではない。それは二人にもわかりますね?」
ディッセンの問いにベルとオウガストは素直な様子でこくりと頷く。部隊の戦力にとって虎の子でもある覇術。隊長でありながら最優秀のサポーターでもあるディッセンが後方から覇術で支援し残りのメンバーで標的を仕留める……それが『ナイトストーカー』の黄金パターンなのだ。
奥義にして常套句、実績確かないつものやり口が通じていない。
となればベルやオウガストの表情にもいつも以上に真剣味が増すのは当然だった。
どうするのか、と無言のままに彼等の目が問いかける。
それに対してディッセンはごくシンプルに言った。
「なんの、簡単には諦めず同じことをもう一度やってみましょう。今度こそ察知されずに術をかけますので――ベルとオウガストも私に合わせてくださいね」
ナインとジュリーが睨み合っているのをつぶさに眺めながらディッセンはその時を待つ。ナインの警告によって獣人でごった返していたこの通りも、彼女たちの周辺だけはぽっかりと穴が開いたように人波が消え去っている。遠巻きに様子を見ている群衆に紛れ込んでいるディッセンの現在位置は補助役としては少々距離が開きすぎているが、しかしそのおかげで状況がよく見えはする。
オウガストが煙人形を先行させながら『影縫い』の術の用意を並行する。
彼女とリンクを形成しつつ影縫い用の特別な杭を生み出すベル。
こちらの準備が万端になったのと機を合わせるようにジュリーも動き出した。
気迫を全身に漲らせながら迫る彼女へナインも大剣を構える。今だ。仕掛けるべきは今しかない。そう確信したディッセンが覇術を発動させるのと同時に煙人形が少女の背中から組み付き、ベルの杭がその影を縫い付け、そして今度こそ転移で防がれることなく覇術も成功した。
部隊の全力とも言える三重拘束。これに捕らわれてしまえばどれだけ怪物的な少女であろうとも、もはやどうすることもできない――。
そう信じたディッセンの見つめる先で、件の怪物は。
「なっ――馬鹿な?!」
拘束が決まった瞬間、ナインの片足が消えた。
それは少女が超高速で足を上げて、降ろし、地面を踏み抜いたことで起きたブレ。
路面があっさりと粉砕される。それによって刺さっていた杭が抜け、衝撃波で煙人形は吹き飛んで形を崩し、ジュリーすらも後退を余儀なくされている。
拘束が解かれた――。
それも第三者の手によってではなく、ナイン自身の足によってだ。
「そんなことが……できるはずが!」
こればかりはディッセンの平常も崩れる。煙人形はまだわかる。初めから『煙』に包まれても不足なく動けていたナインなのだから、煙人形による効果と物理両面からの拘束にも対応できることにはまだ、理解が追いつく。
だが『影縫い』はどうだ? ベルとオウガストの合わせ技であるこの術は先ほど確かにナインの動作一切を停止させることができていたはず。影に杭が刺されば効果が発揮されるのだから、今のやり方では動けるはずが――いや。
正確に言えばタイムラグはある。杭で影を縫うことで本体の動きを止めるこの術はまず影の停止というプロセスを踏んでから本体にその効力を及ぼす。この一連の過程がとても素早く行われるためにディッセンたちからすれば『術の始動』と『効果の発動』の間にプロセスなどないように感じるのだ。ところがその間が怪物少女からすると『自由に動けて対処を施せるだけの時間』となってしまう。
その事実に思い至った時、ディッセンが常に浮かべている余裕ある笑みがどこか引きつったものに変わった。
『影縫い』を攻略されたことそのものよりもよほどマズいのが、覇術越しにそんな動きをされてしまったこと。一度対象を捕らえたディッセンの覇術『転禍為福』には組み込むべきプロセスなどない。術は間違いなくナインを操っていた――その効き目に関してはナインを地に埋めたあの場面で証明済み。転移での阻害もなかったのだからナインは確実に術中であった、はずなのに。
それを振りほどくように少女は己が体を己が意思の通りに動かしてみせた。
ディッセンの動揺はさもありなん、万能にして絶対の力だと疑ってこなかった覇術に初めて陰りが見えたことで、彼の根幹は大きく揺らいでいる。
覇術――それは干渉の力。
自然や生き物に備わっている魔力・生命力といったあらゆる『力』を意のままに操る究極の戦闘術。
使用者が限られる時間系の魔法・異能や高等治癒術すらも上回る適性の厳しさはそれだけ覇術の強力さを物語ってもいる。
実際、ディッセンにしても覇術を使いこなせているというわけではないのだ。彼には適性はあっても才能はなかった。師になってくれと拝み倒した八代目武闘王からどうにか学べたのが、『転禍為福』これひとつ。彼に使えるのは対象とした人物の力を任意に操るこの術のみである。これ以外はまず習得に挑戦することもできなかった。
覇術とは万物を己が意思の下に置く無比の絶技である。その万物には当然自分自身も含まれる。覇術の最も基礎的な術の『自然から借り受けた魔力で自分を強化する』という術式がどうしてもディッセンには再現できなかった――やろうとすると体がもたないのだ。強力故に負荷も凄まじい覇術は、並外れた才能と並外れた肉体強度の両方を要求する。ディッセンにはそのどちらもがまるで足りていなかった。
出来の悪い弟子で申し訳ないと、彼は思う。もう一人いた弟子は師匠すらも超えかねない脅威のスピードで成長を遂げていたことを思えば自分のなんと不甲斐ないことか。しかしそれでも師匠は付き合ってくれた。粘り強く教えを授けてくれた。長年かけてようやく得たたったひとつの術はディッセンにとって戦いの手段でありそれ以上に宝物でもあった。
繰り返すが彼は覇術を使いこなせていない。覇術使いではあっても到底覇術師を名乗れるような力量ではない。ひとつの術しか覚えていない彼を誰が覇術師などと称せられるだろうか――しかし。その術だけで彼は対吸血鬼部隊の隊長にまでなった。存在してはいけない化け物を狩る専門家として日夜奮闘しているディッセンは、この術に並々ならぬ誇りを抱いてもいた。
――だから。
自分の術すらも物ともせずに拘束を抜け出したナインが虹色に光る幕のようなものでジュリーを閉じ込めたのを確認したところで、彼は意を決した表情で言った。
「『転禍為福』もまた自分自身にかけることのできる術。師匠からは禁止されている使い方ですが……ああも人の理を超えた強者が相手となれば、こちらも相応の無茶をする必要がある。是が非でも取り戻させてもらいますよ――我が隊のエースであるジュリーをね」
――ナインの後には本命の吸血鬼二人組との戦闘が控えている。それも証言によれば吸血鬼はどちらもレッサーではなく純正の吸血鬼と目される。ハンターにとって獲物ではあっても強敵であることに変わりはない。決して油断してはならない相手だ。故に、ここでジュリーを失うわけにはいかなかった。
ディッセンは指を組み再度覇術を発動させた……これまでとは少々異なった術式で。
◇◇◇
「『守護幕』……考えてみればこれまでにも俺は似たようなことをしてきてたな」
例えばスフォニウスでは大会の決勝戦で。例えばアムアシナムでは礼拝堂の決戦で。そのどちらも戦闘の余波による周辺被害を抑え込もうという意図で敵と自分を閉じ込めるデスマッチを実演したわけだが、しかしそこに必ずしも自分が入る必要などないのだ。
「外から内を守ることもできれば内から外を守ることもできる。その状態で相手だけを閉じ込めちまえば……俺なりの拘束術の完成ってわけだ。ただし神経使うから長時間の拘束は無理だけど」
だが敵の身動きさえ封じてしまえばこちらのものだ。ジュリーは球体状の狭苦しいヴェールの中で――無論小さめに設定したのはわざとだ――爆破剣を振るっているが、しかしいくら剣を叩き付けても彼女を遮る幕はビクともしない。ナインはもはや直感による回避すらも叶わない状況にいるジュリーをそのまま閉じ込め続け、できることなら残る部隊員たちも同じ目に遭わせるべく画策しているところだった。
「いやぁ、君はつくづく驚かせてくれますね。ジュリーが爆破剣を振るえば魔法使いの障壁だって容易く突破する。それが高等な防御術である二重障壁だったとしても同じ結果になるでしょう。それからすると、いくら閉所故に剣が振るいづらいと言えどあなたの障壁は少々堅牢が過ぎますよ」
七色の輝きは美しいですがね、と。
まるで世間話のためだけに出てきたようなフランクな口調でディッセンがそんなことを言った。ナインは半目になって、いつの間にか傍に近づいてきていた彼を見る。
「相変わらずぬるっと現れやがるな……しかしあんた、ちょっと変わったか? さっきまでとはなんか違う感じがするけど」
「ほう、それはどのように?」
「どうと言われても……まあ、強いて言えば。まるで今から死地に挑もうとしている戦士みたいに見えるな。少なくともそれは狩人らしい表情じゃあ、ない気がするぜ」
「ふ……末恐ろしいですね、『武闘王』。さすがは十代目、最新にして最年少でその位を手に入れた『怪物少女』――と言ったところですか? しかし。人ならざる怪物を狩ることもまた、私たちの得意とするところでしてね……!」
ここまで物静かな気配しかなかった男から初めて溢れんばかりの闘気が放出される。それに合わせてベル、オウガストも人波から飛び出してくる。
一気呵成の彼らを見て……ナインはふっと口元に薄く笑みを浮かべた。




