384 勘と観と感
ナイトストーカーを率いる隊長ディッセンの魔の手からナインを守るべくフェゴールが取った手段は、『門』による空間転移であった。敵が術を仕掛けるタイミングでナインを転移させる。門を潜らせての移動先はそう離れていない場所――どころかごくごく近い位置。即ちジュリーの正面から背後への僅かな距離だけを転移させたのだ。
(ばっちり! これでひとまず一人はヤれるね!)
この転移は敵の思惑を外させるだけでなくそのまま奇襲にもつながるものだ。ここぞという時まで転移を使おうとしなかったのは勿論、ナイトストーカーがナインの短距離転移に対して手を打たないはずがないと読んでいたからこそである。しかし彼らはナインが、自力で発動する『瞬間跳躍』以外にも転移の手段を有していることを知らない。そのもうひとつの転移こそがフェゴールが生み出す黒靄のような転移門。普通であればなかなか隠し通すことできない転移の予兆もナイン本人にその前兆が一切見られないのであれば敵の不意を突くことだってできる。
フェゴールの企みは見事に功を奏し、何がなんだかわからずとも言われた通りにナインが月光剣の刀身でジュリーを打ち据え――ようとしたがなんとそれは失敗に終わる。
完璧な不意打ちであったはずのその攻撃を、ジュリーが当たる寸前で避けてみせたのだ。
(なっ……これを躱すだって? あり得ない、これ以上ないってくらいにデキた転移のさせ方だったのに! タイムロスなしで真後ろからの攻撃に反応するなんて、それはもう勘がいいってレベルじゃあないぞ!?)
影の中であんぐりと口を開けるフェゴールは知らないのだ。ジュリーが持つ巫女の血筋が今この時、どれだけ冴え渡っているのかを。ナインと交わす一合ごとに高まる導きの力が、フェゴールの企てた転移攻撃によってとうとう完成と呼べる域にまで至ったということを、それを助けた子悪魔自身が知ることはついぞない。
神おろしや神がかり。一部のシャーマンが可能とするそういった絶技の領域にまでは至らずとも、先見が開き切った今のジュリーは思考に頼らずとも動ける戦士として一流の頂きにまで届こうとしている。それが悪魔たるフェゴールをして「完璧な不意打ち」と断言するまでのナインの一撃を回避できた事の真相。ジュリーは先も今もまったく気付いていない。ナインがどうやって気配もなく転移門を発動させたのか、あるいは背後からどんな攻撃を仕掛けてきたのかさえも彼女にとってはまったく判然としていない――だがそれでも巫女の血の導くままに動き、躱し、そして反撃に打って出た。
ジュリーの剣には迷いも惑いも一切ない。
「はあぁぁ――っ!!」
振るわれる爆破剣。それをナインは月光剣で迎え撃つ。今度は守るのではなく迫る刃に自身もまた刃をぶつけた。勢いがあったのは断然、万全の挙動で斬りかかったジュリーのほうであったが腕力の差によってより大きく弾かれたのもまたジュリーのほうだった。まるで整合性の取れない結果に、されどジュリーは意にも介さずぐっと体を沈める。その頭上をナインの剣撃が暴力的に横切っていく。地を舐めるような姿勢からジュリーが斬り上げれば、ナインは理合いもへったくれもない動きで剣を戻し、またぶつけ合う。またしても爆破剣は大きく弾かれ、そこを狙ってナインが続けざまに剣を振るう――が、ジュリーはそれすらも躱してみせる。
ナインがどうやって攻めてくるのかが、実際に攻められるよりも早くにジュリーには見えていた。動作の起こりから予測するなどという遅すぎる方法ではなく、ナインが自分でもそう動こうと決める『以前』からジュリーはそれに対応して動き出しているのだ。圧倒的な速度の差を初速の差で埋める。そうやってナインという怪物のチャンバラごっこに食らいつくジュリーはもはや何度目かも分からぬ爆破剣での剣撃を放ち――。
「!!」
それに合わせてナインが月光剣を振り出した瞬間に、即爆破。
風を切る――風を斬る。
空気すらもその刃で斬る対象として、たとえ斬撃が避けられて空振りに終わろうとも有無を言わさず爆撃を送りつける爆破剣だ。やろうと思えばその逆、対象が回避や防御を行なうよりも前――つまりは攻撃の初動で爆破を引き起こすことも可能なのだ。
目晦まし、兼、加速。
身を翻す。爆発の勢いを利用して体勢を入れ替え、元の狙いとは逆側から胴を薙ぐ軌道で剣を差し込む。打つべき手を誤ったナインにこれを防ぐすべはなし……となるべきところを少女はそれでも防いでしまう。無意味に流れた月光剣を瞬時に逆手に持って地面に突き刺して壁とする。即席の防壁によって行き場をなくした爆破剣がその名折れのように爆撃を生むことなく甲高い衝突音だけを残して沈黙すると同時、ナインが軽やかに跳び上がる。月光剣の柄を握ったまま、まるでポールダンスでもするかのように器用に回り柔らかく蹴りを放つ。こんな攻撃法はまともに剣術を収めたまともな剣士であればあるほどに予見できるものではないがしかし、そのまともな剣士であるはずのジュリーはこんな奇襲にも正しく反応してみせる。ナインが変わった攻め方を試行するよりも、どうにか隙を見つけてやろうと思考するよりも早くにそれら一切を詳細に予告してくれた巫女の血に従って、少女の浅ましくすらある軽業を回避する。
切り合いからいきなり足技を出してみてはどうかと自分なりに工夫した攻め方があっさりとスカされ、悔しさや恥ずかしさよりも先にジュリーへの称賛を胸に抱いたナインは次に地面に突き刺した月光剣を引き抜き――すぐに黒靄に包まれる。
ナインの視界が晴れた時、今度はジュリーを正面にしたままで距離だけが開いていることがわかった。
再度フェゴールの門による転移が行われ、強制的な仕切り直しをさせられたのだと知ったナインは「いったいなんなのだ」と少し不満気に影へ問いかける。
『あいつだよ――ディッセン! 君を地に埋めて壁に叩きつけたあの男が、さっきからまたそれと同じことをしようとしているんだ。気を付けなよナイン、今はボクが横から転移を挟んで阻害しているけれどいつまでもこんなやり方で逃げられるはずがない。君がなんだかんだ勝負を楽しむ奴だってことはわかっているし、その女にさっきから感心しっぱなしでいるのもわかっている――でもハッキリ言ってそんな場合じゃないよ。だって向こうは部隊の総力を挙げて捕らえにかかっているんだからね。きっと今にも全員合わせて仕留めようとしてくるだろうさ!』
「なるほどな。連中、捕らえたいのか仕留めたいのかどっちだよ? いやまあ、お前の言ってることは正しいと俺にもわかる。だったらとっとと一人くらい早くやっつけろって言いたいんだろうけど……でもそれが難しいから困っちまってんだよなぁ」
思えばジュリーは戦闘の初めから驚くほどに勘がよかった。今となってはもはや勘の一言では片づけられない高みにまで昇り、ナインのある程度本気の攻撃にも恐るべき先読み能力によって対応できるようになっている。ジュリーの先読みを超えて攻撃を当てるにはナインもまた「ある程度」を超えた一撃を繰り出す必要がある……が、そうしてしまうと必ずやジュリーの命に関わるだろうという危惧がどうしても少女にこれ以上の力を出すことを躊躇させる。
悪党相手ならともかくジュリーは吸血鬼狩りとしての職務を全うしようとしているだけなのだ。
そんな人物だから重傷どころか手傷を負わせることすら躊躇われるというのに、ましてや生命の危機に瀕させるような攻撃はなるべくなら当ててやりたくないというのが本音であった。
(さて、どうしたもんかな。手加減には自信があるけどここまで攻撃を読んでくる奴に無理矢理当てようとしたら、絶対に『殺っちまう』拳になるよな。俺にジュリーの先読みを潰したり対応できるような技術があれば話は別なんだが……あいにくそんなもんは習わず覚えずでやってきたからなぁ)
まだしも技巧的と言える技術は先日習得した「いなし」だけ。それ以外は身体機能のゴリ押しでしか事を成し遂げてこなかったこれまでの無鉄砲さが足を引っ張っている……修練の結実によってナインに追い縋るジュリーとはまさに正反対と言えるだろう。
だがこれまでの経験を振り返ったことで、ナインは己の記憶に少しだけ気にかかるものを見つけることができた。
(……あれ? 待てよ。何も俺だって倒すことだけに拘る必要はないんじゃないか――そう、例えば。ナイトストーカーが俺に対してそうしようとしているように、叩き伏せるよりもまず先に『拘束』しちまうんでも別にいいじゃないか? そして俺にはそれにうってつけの手段がある――)
ナインが見つけ出した光明。
そのプランが具体的な策になる前にジュリーが攻めっ気を見せた。
爆破剣を両手で握りながら駆け寄ってくるジュリーへナインもまた構えを取った――ところで。
「ちっ――またかよ!」
ナインの影に突き刺さる杭。
背後からしなだれかかる煙人形。
そしてナインの襲うそれらとは別の違和感――おそらくこれがディッセンの扱う不可思議な術。
三重の拘束を同時に受けたナインが身動きを取れずにいることも構わず、否、むしろだからこそ。
「爆剣!!」
仲間の支援を受けて一層力を漲らせたジュリーによる、全身全霊の爆斬撃が振るわれた。




