383 敗けの決まった勝負
威圧的なまでの暴風を纏った剣が鼻先を掠めていく。だがジュリーに特段の恐怖はなかった。当然だ、如何に暴威が振り撒かれようともこれは彼女が誘った通りの剣筋なのだから。
剣士として得物と腕の長さからリーチくらい正確に読める。目算通りの射程範囲を薙ぎ払った月光剣がジュリーの持つ眼力の確かさを証明している……偽りの一歩。重心移動に技巧を凝らした騙し技――それによってジュリーは当たるはずもない無駄な一撃をナインから巧みに誘い出したのだ。
この技術で二日前にはオウガストがクータの蹴りへ対処していた。それとよく似た構図になったが、ジュリーはオウガストへ近接戦のいろはを叩き込んだ当人であるからして、必然その練度はオウガスト以上に高くある。現に絶対に当たると思い込んでいた一撃がどうしてか空振ったことにナインはただでさえ大きな瞳を更に大きくさせて真ん丸に見開いている。
そこへジュリーは今度こそ偽りでない真の一歩を踏み出し、爆破剣で斬り込んだ。
抜群のタイミングである。
今度はジュリーのほうが『当たる』ことを確信するが、それにはどこか懐疑の念も付きまとう。
果たして彼女の疑心が正しいと示すかのように、通常考えられないような速度でナインが流れた己の腕を引き戻した。瞬く間に位置を変えた月光剣が爆破剣の進行を阻む。当然のように爆破は不発であった。もはやそのこと自体にはなんとも思わないジュリーであるが、しかしナインの見せる滅茶苦茶な剣術には一言物申したい気分になる。今の防御も防いだというよりもただそこに剣を置いただけといった感じでしかなかった。剣の扱いをまるで知らぬままに腕の力だけで隙を埋めるその眉を顰めたくなる手口。真面目に修練を積んできたジュリーからすれば些か我慢ならないものがある――どうしても『宝の持ち腐れ』のように思えてならないのだ。
これほどの肉体を持つナインが、月光剣という見るからに優れた魔武具を所持しているのだ。
もしもまともに剣の振り方を覚えたならば、ひょっとすればこの世の誰も太刀打ちできないほどの優れた剣士になるのではないか、いや確実になれるはずだ……とそこまで考えてジュリーは内心で苦笑する。
もしもそれが実現していた場合、自分はとっくに斬り捨てられていただろうと気付いたのだ。
未熟ながらに怪物的なこの剣士は、敵である。
ならばその未熟さにジュリーは苛立ちではなく感謝こそを向けるべきなのだろう。
「はっ、だったらば――いっちょ根競べと行こうかね!」
ビクともしない月光剣の刃先から滑らせて爆破剣を戻し、即座に突く。それを刀身を盾としてナインが受け止めたところで足を入れ替える。戻しと攻め込むのを同時に行いながら短剣を扱うようにして長剣を振る。スピードの乗る切っ先ではなく柄に近い部分での攻撃。刃の一部さえ接触すれば爆発を引き起こせる爆破剣なので、ナインはそれも月光剣で受け止めるしかない。流れるようなジュリーの動作に慌てて剣の向きを変えてまた防ぐ。理合いのりの字も知らないナインがそれでも対抗できているのは偏に腕の速さでジュリーを遥かに凌いでいるからだ。仮に技量が互角であったとすれば速度で勝るナインが完封勝利を収めていたはずだが、しかし実際は速度と技量が互角に鍔迫り合っているのが現状だった。
ジュリーは流れを止めずにもう一撃放つ。ナインもまた押っ取り刀で月光剣を駆け付けさせる。防ぐ。そしてジュリーが次の攻めに入る。
こうも一方的にジュリーが攻め続けている……攻め続けていられるのには訳がある。それは戦闘スタイルの変更を行なったからだ。今の彼女はナインの速さに合わせるように速度を優先させた手数重視の攻め方をしている。それは全ての攻撃を「必殺」のつもりで怒涛に攻め立てる彼女元来のスタイルとは大きく異なっている。ただしだからといってジュリーが剣を軽く速く振るうことを苦手としているかというと、必ずしもそうではなく。
むしろ爆破剣の『当たれば爆破する』という最低限以上のダメージが確約された性能を活かした「別の攻め方」として手数重視の戦法は、彼女の中で常に次善策として用意されているものでもある――故に一発の威力よりも速度を意識した攻め入り方の研究にもジュリーは余念がなく。
それが今こうして、確かな実を結んでいた。
「ほらほらぁ! どんどんやるよ、自慢の爆破剣の刃をさ!」
斬り込む。防がれる。それを想定していたジュリーが流れを止めず違う角度で斬り込む。また防がれる。それも想定していたジュリーがまた違う角度で――その繰り返し。
攻防一体。攻撃こそ最大の防御。一種の通念的理念をここに体現させているジュリーは称賛されて然るべきであろうがしかし、その実態は見かけ上の優勢ほどに余裕のあるものではなかった。
言うなればこれは、爆破剣による通常の戦法を崩されたジュリーに残された唯一の「悪あがき」に他ならない。そのことを迅速果断に攻めかかるジュリー自身知っていたし、そしてもう一人。ナインの影からこの勝負を見守る子悪魔もまた同様の考えに至っていた。
(うん、それでいい。ナインは月光剣を、剣に宿る『月光の力』を正しく運用している)
闇の魔力には引き込む力が宿り、光の魔力には弾き返す力が宿る。その両方の性質を持ち合わせる月光の魔力にはふたつの力が混ぜこぜとなった結果『中和』という新しい力が宿る。そして光属性の派生にして発展でもある聖属性。あらゆる悪しきを断つ『聖光』の力までも月光は僅かながらに含んでいる。その異常さが故にたった三人しかいない魔界の頂点、『悪魔王』の一角に収まった月光の王は人間が悪魔を恐れる以上に同胞から恐れられている悪魔である。そんな彼が自身最大の武器として扱う力と類似した力が、ナインの持つ月光剣にも眠っているのだ。
(ボクもそこまで詳しいわけじゃないけど、おそらく月光剣は中和の作用で爆破剣の効果を断っているんだろう。触れれば爆発するというシンプルながらに強力、超攻撃的な術式でも、月光の力を宿す物質には機能し得ないんだ。そして仮に月光剣を掻い潜ってようやく一撃通せたところでナインはそれくらいじゃ仕留められない。――つまりこの女に勝ち目なんてものは端からないってことだね)
技量と戦闘勘。このふたつを最大限に発揮させて今だけは一方の優位を取れているジュリーだがフェゴールの言う通り彼女の一撃は決まったとて決着は訪れず、逆にナインの一撃はまともに受けようものなら爆破剣の防御の上からでもジュリーを叩き伏せることを可能とするだけの膨大な威力を孕むものとなる。綱渡りなどという次元ではない。いずれ確実に訪れる決壊の時。それを必死に引き伸ばしているのが今のジュリーなのである。
(剣のド素人がわざわざ剣を握って戦っているとはいえ、この怪物を相手に一人でよく頑張っているとボクは思うよ。でもこんなのはどうせ決まった勝負だ。だからボクが警戒すべきはこの女なんかじゃあなくて、未だに仕掛けてこない残りの三人。特にあの隊長だっていう異様に胡散臭い感じのする男には用心しなくっちゃあね――おっと?)
そう思った途端に、その気配はやってきた。
忍び寄るような這い寄るような、とても静かで独特な嫌な気配。
(これだ! さっきはボクでも察知できなかったこの術! 改めてとんでもない静けさだ、月光のそれに負けないくらいの静寂の力。だけどボクは知っているよ、この異常を感じさせない異常さこそが……『覇術』の力だってことくらいはね!)
『門を開く! 君はとにかくそのまま攻撃して!』
「……っ?!」
今度は事前に術の発動を読み取ったことでフェゴールは後れを取らず、転移門を開くことに成功する。ナインは突然のフェゴールの声と、前触れもなく崩れようとし始めた己が重心と力の向き先に目を白黒させつつ、しかし仲間の言葉へ忠実に従うことだけはきちんと行って――それから黒い靄に包まれる。
門を潜るあの感覚。
もはや手慣れたその感覚に身を任せつつ空間を渡ることで姿勢の崩れをリセットしたナインは、その後目の前にある「ジュリーの背中」へと目掛けてすかさず月光剣を振るって――。




