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4 夜に泣く

今話が作中一のシリアスかもしれません

 マルサの説明では、オーガがやってきたのは半年以上前とのことだった。

 村に乗り込んできた奴は手始めとばかりにひとつの家を襲い、そこに暮らす一家を全滅させた。

 逃げようとする者は真っ先に殺して食う。その宣言に恐れ慄いた村人たちはただの一人も逃げ出すことすらできずに今に至ると言う。


「誰も? たったの一人も村から出て行っていないのか?」


「そうよ。逃げようとなんてしたら狙われる。もし無事に逃げ出せても残される側がどんな目に遭わせられるかと思えば、誰も村を捨てることなんてできないわ」


 そうだろうか、とナインは懐疑的に思う。逃亡者の出現でオーガが怒り、残った村人がより酷い目に遭う。それはその通りだろうが、だからと言って誰一人として逃げようとしないというのが少女にはいまいち信じられなかった。


 仲間を思いやる気持ち。なるほど美談ではあるが、人間とは基本我が身可愛さの生き物である。自分の命を最優先させることは当たり前の行為でしかない。


 そんな本能とも呼べる生存への道をかなぐり捨ててまでオーガの支配する村に残るというのは、もはや狂人としか思えない。問題を解決できる可能性があるのならともかく、彼ら彼女らは改善の兆しもないまま一年以上もオーガの言いなりになっているという。


 あるいは――

 この世界における村人の結束というのは、ナインの想像を超えるものがあるのかもしれない。生けるときも死せるときも皆同じ。あたかも村全体で個の生物であるかのように。


(この村が特別『変』なのかもしれないけど)


 ナインは悪気無くそう考えた。現代日本人として、良くも悪くも異世界に考え方を染められていないが故の結論でもある。まるで画面を隔てて見るゲーム世界のような感覚が少女の内部には残っているのだ。


「半月につき一人、食べるって?」

「ええ。贄を出すの。それが奴の言う、村を滅ぼさない条件。選ぶのは奴なんだけどね」


 憎悪の混じる声に対しナインが思うところはない。それは持って当然の感情であるし、むしろ冷静に説明ができているマルサは若い女性ながらに大したものだとすら感じる。ただしナインが注目するのはそこではなく、あくまでオーガと村の関係についてである。


「一年は十二カ月で間違いないんだよな?」

「? ええ、もちろん」


 なぜそんな常識を訊ねられるのか分からない、といった表情で頷くマルサ。不思議そうな目で見られるがナインはそれを意に介さない。月日や年月の数え方が自分にとって馴染み深いものであることに、安心と違和感を同時に覚えた。


(まさかここは地球なのか……? 太陽らしきものも月らしきものも俺は確かに見ている。とはいえ確定じゃないか。同じような星ってだけとも考えられるわけだしな)


 異なる世界の地球。たとえそれが真実だとしても異世界は異世界だ。地球だからとて少女の持つ常識が通用するということでもない。少なくとも、モンスターなどというこの世界における現実的な存在に対しては、少女の知識などひとつも当てにならないことは自明の理だ。


「にしても。半月に一人ってのが多いのか少ないのか」


 この場合の多寡とはオーガの食すペースの話だ。あの体格で二週間ごとに人間一人で腹が満たされるというのなら何とも燃費がいいが。


「オーガはなんでも食べるけど、好みがあるらしいの。あいつは人間がお気に入りなのよ。だからこの村はあいつにとって特別な食糧場みたいなもので、食べつくさないようにしているんだわ」


 普段の食事は森で獣でも狩っているのだろう。人間はあくまで、楽に手に入るデザート感覚でしかない。


「そうなのか……意外と考えてるんだな、アレは」


 妙に遅い反応や間延びした返答から知能はそう高くないように感じたが、そんなはずもない。言葉を解す時点でアレは昼間に見た獣などとは別格の知性を有しているのである。


「多いか少ないか、なんて言ったけどさ。村にとっちゃ月二で人が減るのは痛手なんてものじゃないんじゃ?」


 今月を生き延びても来月には自分が、自分の愛する者がオーガに食われるかもしれない。人手の欠落も問題だが、村を維持する士気にも差し支えが出ようというものだ。決して繁華しているとはいえないこの村においてよくもまあ今まで持ったものだが――。


 その指摘にマルサは暗い笑みで答えた。


「そう、手痛いじゃすまないわ。元から人数は決して多くない村だもの。――だから今、村では、産めや増やせやよ」


「…………」


「私もとっくに適齢期だから、もうすぐ「作業」に呼ばれるわ。でもいくら子供を増やしたところで大人が減り続けたらすぐに村は立ちいかなくなる。だから、頃合いを見計らってあいつに進言しなくちゃいけない。『量は少ないですがどうか今回はこの赤子でご容赦を――』ってね」


「あー……分かった、もういい」


 自分の前にいるのがまさに子供であることも忘れて壮絶な未来絵図を語るマルサ。居たたまれなくなったナインは話を打ち切るように手拍子を打った。


「質問を変える。エルサク村は外部と関係を持っていないのか? どこか他の村とか、それこそここから近い街とかと」


「年に二度、街から商人が来るわ」

「年に二度か……で、いつ頃来るんだ?」


 聞きながらナインは「あれ」と思った。年二回。しかし待てよ、オーガはいつから村にいるんだっけか――。


「先月来て、すぐにオーガに食べられたわ」

「……そう、か」


 なんてこったとナインは手で顔を覆った。とっくに外からの人間も被害に遭っているとは。村の人間だけで対処が不可能ならどこかと共闘はできないのか、という提案はそもそもズレたものだったようだ――だが。


「けど、街から出て行った商人がいつまでも帰ってこないとなったら、誰かしらまた来るんじゃないか? 危険があるかもってことで、今度は腕利きの人間がさ」


「どうかしら……村長たちもそれを期待してたけど未だに誰も来ないのよ? それに腕利きだからってなんにもならないわ。商人のおじさんだって冒険者を護衛につけてたのに、その護衛ごとやられたのよ」


「ううむ」


 もはやナインは唸るしかない。オーガといえばゲームではそう強くもない相手だが、現実となるとそうもいかないらしい。


 商人の積み荷はちゃっかり村人たちで頂いたらしいが、そんなのは何の救いにもなりはしない。むしろ外からの助けも望み薄だと知らしめられた、絶望的事態でしかないのだ。


 とはいえ村人たちは変な方向に逞しい。何はともあれ、オーガと共生しているのは確かである。奴はものぐさだが何度か村を守ってもいるらしい。これまでは村の男衆でどうにか乗り越えてきた危機を、死傷者無しにやり過ごせるようになったのは大きい。共生における利点も一応、ありはするのだ。


 適応力。

 それは紛れもなく人間の持つ優れた能力である。なまじ適応力が高いが故に、力で敵わないながらもオーガに滅ぼされぬように彼らは生きている。媚びへつらい、急ぎ子を作り、隣人の死を静かに受け入れる。


 自らの死をも許容する。


 そしてそのルールは、ひとたび村に足を踏み入れた者すべてに適用されることとなる。


「明日はそいつ、ね……。つまり食事に俺をご指名ってことかよ。同席させられるんじゃなく、食卓に並べられる側だけど」


 先ほどのやり取りの意味を悟ったナイン。その言葉を聞いてマルサの口からは火が灯ったような声が漏れた。


「信じられない……! トリオルさんもミッドさんも、どうしてナインちゃんをすぐにオーガに会わせたりなんかするの!? こうなるのは目に見えてるのにっ」


「勝手な判断はできない、とか言ってたけど」


 男たちの会話内容を伝えるとマルサはぐっと口を閉ざす。その考えには一理あると認めてしまったからだ。

 新たに増えた食糧を、言いなりのはずの村人が勝手に追い返したなどと知られたら――。


「隠し事がバレでもしたら、確かにどうなるか分からないわ……でも、でも」

「……あいつはそんなに察しのいいやつなのか?」


 とてもそうは見えなかったが、と言外に込めつつ訊ねる。


「オーガは鼻がいいの。奴は特に人間の匂いに敏感みたい。だから私たちも迂闊な行動は起こせない」


 人間の匂いに敏感? その割には近付くまで俺に気付いた様子はなかったけどなと疑問に思いつつもナインは「そっか」と頷いた。


 これで村の事情は概ね理解できた。


「そりゃあ、オーガに隠せはしないよなぁ」


 やれやれと頭の後ろで手を組む少女に、マルサは申し訳なさそうに項垂れた。結果的には村の者が、ナインをオーガへと差し出すような形になってしまっているからだ。


「逃げて、ナインちゃん。ごはんを渡すからそれを持ってすぐに村から出たほうがいい」


 もはや朝を待つことも案内人を探すこともすべきではない。そんなことをしている暇があったら少しでも早く村を立ち去るべきだと彼女は勧める。


 しかし。


「いや、だから。それがバレたら大変なんだろ? 運よくバレなくても明日になれば俺がいないことに気付くわけだし、そうなったら村はどうなるんだ?」


「それ、は……だけど私は、ナインちゃんを……」


 消え入りそうな声ながらも、なおもナインを逃がそうとするマルサ。


 ふむ、と少女は後ろ手を外して真剣に考える。


 若い身空で一人暮らしの村娘。

 やけに広く感じる家屋。

 室内に流れるどこか寒々しい空気。

 彼女に何があったか、察するには余りあるというものである。


 ならばやはり、逃げるという選択肢はあり得ない。見て見ぬふりは一番楽だが、見捨てるのもまたそれなりに勇気がいる。


 俺は臆病だからな、と少女は内心で思う。

 誰も逃亡しようとしない村人たちの気持ちに少し共感できた気がした。


「ナイン、ちゃん? 何を考えているの?」

「んー……なんだろうなぁ」


 自分でもよく分かっていない少女は、愛想笑いのようなものを浮かべながら眉尻を下げる。それを見て驚かされたのはマルサだ。


 ナインは決して馬鹿ではない。敬語は苦手、というより使えないようだが、年頃の割にはしっかりとした受け答えやものの考え方ができる子だとこの短い会話の中で分かってきている。だからマルサの語った内容を――他人事ではなく我が身に降りかかっている災難だと認めているかどうかはともかく――ほぼ正確に理解してくれたはず。


 エルサク村の現状を知った。にも、かかわらず。

 少女は笑っている。

 困ったように――しかし朗らかに、日常の中にいるように。

 いま聞いたことも、自分の危機すらもなんでもないことのように。


 ナインの瞳は揺らがない。紅い宝石のようなその目は真っ直ぐにマルサを見据えながら、一切の輝きを落とすことはなかった。


 意識を、身体を、瞳の中へ取り込まれてしまいそうな錯覚。なぜ少女はこんな目ができるのか? しがない村娘には何も気付くことはできなかった。ナインの正体などには思い至れるはずもない――それはナイン本人こそが知りたいことでもあるのだから。


「明日を待とう」


 少女が静かにそう言った。


 有無を言わさぬ雰囲気に、マルサはもはや反対意見を口に出せなくなった。年下の、それもこんな小さな少女を相手に自分は何をしているのか。そう思わないでもなかったが、同時にこうも感じるのだ――従うしかない。否、従うのは(・・・・)当然である(・・・・・)と。


 オーガに命じられるがままに行動するときと似たような感覚。しかし決定的に違うのは、少女には悪意がなく、その言葉に従うことに絶大な安心感が伴うことであった。


「……わかった」


 どうしてこんな気持ちを抱くのか不明なままに、マルサは了承する。これ以上食い下がってはいけないと、心のどこか深い場所で思ってしまったから。




 それから。


 みすぼらしい毛皮の下が素肌だと気づいたマルサは、自分のお古の服をナインへと譲った。

 肉体の奇妙を知られてはならぬとこそこそ着替えるナインを、裸が恥ずかしく感じだす年頃なのだろうとマルサは微笑ましそうにしている。その視線の生暖かさにこそ気恥ずかしさを覚えながらも、ちゃんとした衣服を手に入れられた安堵感は大きかった。

 毛皮はまさにその場しのぎでしかなかったので、これで堂々と人の前にも立てるというものだ。


 その後に家事の手伝いを申し出たが拒否されてしまったナインは、結局のところその晩はタダ飯食らいとなってしまった。迷い子を一泊預かろうというときにあくせく働かせるわけにはいかないというマルサの持つ良識が結果的に少女にとって心苦しい展開を招くことになってしまったが、これはどちらが悪いということでもない。互いに完全なる善意を押し付けあっているだけなのだ。

 押し込まれたのがナインのほうだという、ただそれだけのこと。


 正直なところナインの腹は空いていなかったが、この肉体は食べようと思えばいくらでも食べられるようだった。そこで少女はほどほどにスープとパン、果実を頂いて満腹だということにした。

 さぞかし空腹であろうと張り切っていたマルサは肩透かしを食らったようだったが、さすがにそこまで無遠慮になれないナインは小食の演技をした。

 美味しかった、ごちそうさま。

 その言葉にマルサがにっこりと笑ってくれたのでほっとする。


 夜はそのまま更けていく。眠る時間になってもナインはまったく睡魔の到来を感じなかったが寝ようと努力すればどうにか寝られた。しかし眠りは極端に浅いようで、夜半の微かな物音に反応して少女の瞼が開いた。


 音を立てていたのはマルサだった。ナインに遅れることしばらく、床についた村娘は夢を見て泣きじゃくっていたのだ。自らを抱きしめるように毛布にくるまって、体を小さく縮こませながらしくしくと涙を流すその姿は、見ていて痛ましいものだった。


 静かな真夜中の住居にマルサの嗚咽だけが伝う。


 その中で立ち尽くすナインの胸の中ではひりひりとした感情が広がっていく。

 厳しい目付きをした少女は少しの間そうやって村娘の悲しみに浸るようにして、やがて自分の寝床へと戻った。


 もう眠れそうにはなかった。


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