382 技量差≠力の差
剣の理合い――「斬る」という行為は至極単純な動作に思えてその実、まったく単純ではない。
食材ひとつ取っても切り方には相応の技術が求められるものだ。ただ刃を押し付ければそれでいいというものではなく包丁には包丁の、その形に適した扱い方が求められる……そして料理においてすらそうなのだから、これが刀剣類を操る剣術であればどうか。
力任せに振るうだけではまるで意味がない。然るべき握り、然るべき姿勢、然るべき挙動、然るべき振り――然るべき斬り方というものが術理として明確に存在する。その理合いをシビアにとことんまで追求するのが「刀」という武器だが、幅広で叩き切ることを目的とした「剣」であっても闇雲に敵へぶつけたところでその真価は発揮されない。
とかく「斬る」という行為を知り「斬る」という行為に慣れ「斬る」という行為が体に馴染んだ時――ようやく人は『剣士』となる。
爆破剣という魔武具、単なる剣とは一線を画す特殊な武器を常用するジュリーもまた、このことは定石として存じている。彼女は爆破剣が起こす爆撃の威力に甘えるようなことは決してこれまでしてこなかった。むしろ斬撃の鋭さ・力強さによって爆撃の威力の増減が左右される爆破剣を十全に活かすためにも彼女は日々剣士としての鍛錬を怠らず、他の剣士たちと同様かそれ以上に熱心な心積もりで剣の理合いというものをストイックに突き詰めているとすら言えるだろう。
そんな彼女でも、否、だからこそ驚嘆せしめられることが起きた。
(剣を撥ね上げられるだぁなんて――いつぶりのことだい!? 何よりも見えなかった! ナインがいつ武器を取り出したのか私にはまったくわからなかった……おかしな話だよ、こうも目立つ大剣だっていうのに!?)
ナインの手にある青白く透き通るような――まるで宝石か水晶で作られた刀身かと思えるような不思議な輝きを持つ大きな剣。
少女の手には余るようなサイズだがナインはそれを軽々と振るってみせた。
ついさっきまで……いや今の今まで間違いなくこんなもの持っていなかったはずだが、それはまあいいとして。
空間魔法で物品を密かに持ち運ぶ技術は珍しいながらに存在するし、あるいは遠方から手元に取り寄せる術だってある。ナインは短距離転移を行なえることから空間魔法への適性があるというのも確認済み。いきなり大剣を出現させたこと自体は、驚かされこそしてもそう奇妙というほどでもない。事前情報になかった『武闘王が武器を用いる』という点についても意外と言えば意外ではあるが、しかしジュリーを本当の意味で驚嘆させたのはナインが剣を握っていること、などではなくて。
その剣によって自身の剣が封じられたこと。
それも振り下ろしの一撃を大きく撥ね上げられるという、剣士同士であればその次に決着と相成ってもおかしくないような大失態を演じさせられたこと――その事実こそが何よりジュリーの心を揺さぶったのだ。
この動揺を突かれれば切り返しの一振りによって敗色濃厚。防御が間に合ったとしても今し方感じたナインの途轍もない腕力によって押し切られてしまう可能性が高い。普段は防御を固めた相手に対して爆破剣で一方的に攻め立てている彼女だからこそ今後の展開が鮮明に目に浮かぶようだった……ところが。
剣士であれば今こそが攻め時、ここで攻めなければいつ攻めるのか……というようなタイミングでナインはあろうことか、追撃ではなく構え直すことを選んだではないか。
見様見真似といった感じでそれっぽく正眼を披露する少女の姿は、本物の剣士であるジュリーからすると目もあてられないような酷い有り様であった。お粗末の一言だ。このことからも明らかな通り、やはり武闘王とは戦士であっても剣士ではない。
「…………っ」
拙い構えを前にジュリーも急ぎ体勢を整える。選ばれたのは同じく正眼。中段に構えを取る両者は素人が見れば立派な剣士たちに思えるだろうが、理合いを心得る武芸者が見れば堂に入ったジュリーに対しあまりに不出来なナインの剣の持ち方や姿勢に目を剥くはずだ。
しかしながらその不出来を晒している少女はそんな自覚もなくむしろ満足気に、にっこりと機嫌のいい笑顔を見せている。
「やったぜ。この『月光剣』……べらぼうに高い買い物をしちまったけど、間違いなくそれだけの価値はあったみたいだな。そっちの『爆破剣』にだって負けてねえ。なんとなくだが、この剣の凄さがちょいとだけ感じられたよ」
大枚はたいたことが無駄ではなかったと知ってナインはホクホク、というかニヤニヤとしたり顔だ。勝負の最中にそんな顔をされたジュリーとしては、運よく逃れることができたとはいえ敗着寸前まで追い詰められたこともあって微妙な顔にならざるを得ない。
「まったくもう……どうにもすっきりしないね。しかしどういう能力か知らないが、爆破剣の力を抑え込むとは確かにそいつはただならぬ剣のようだね。そんなもんをいったいどこで求めたんだい。闘錬演武大会では使っていなかっただろう?」
「求めたというかなんというか……まぁ縁があってのことだよ。月光剣が俺の手にあるのは単なる偶然だけど、今はそれに感謝しよう。これで武器同士打ち合う分には面倒な爆発も起こらないらしいからな」
「ふん……、」
ジュリーは確信する――ナインが月光剣を持ち始めたのはつい最近のことであり、そして少女はまず間違いなく剣士としての鍛錬を一度足りとて行っていない、と。
そしてそれこそが先の失態で抱いた衝撃のもうひとつの理由なのだ……力任せ。
本来ならそんな手法を取るようでは本物の剣士の技量の前になすすべなくやられてしまう。
理合いを知らぬ者が理合いを知る者に追いつける道理などない――だというのにナインは容易くその道理を己が力で捻じ曲げた。
あまりに速く、あまりに強く。
剣気や鋭さとは無縁ながらに単純な肉体スペックだけで剛剣を比類なきレベルまで、一流の技量にも対抗できるまでに押し上げてしまっている。
故に剣士たるジュリーであってもあえなく剣を返された……認めよう。
(月光剣、か。本当にただならい剣だ……けれどそれ以上にナインこそが只者じゃない。こんな暴力的な剣技、私は今日この時まで拝んだことがないよ)
拙い正眼からでもひしひしとプレッシャーが感じられる。それは技術の一切を含まずともナインと月光剣が持つ「性能」だけでジュリーが圧されてしまっている証左。眼前にいながら抜剣と振り上げの起こりを視認することが自分にはできなかったという、覆しようのない剣士としての失敗。本来ならあの時点で敗北していたという確かな事実が打ち立てられてしまったのだ。本物の剣士が見様見真似の剣士にあの瞬間、大きく劣っていたのだと。そのどうしようもない現実が今のジュリーに並々ならぬ重圧を感じさせている。
(なんてこったい。武闘王ってのはここまでの戦士なのかい――いや、それに関しちゃ何もおかしなことじゃないか。最高等級冒険者にも勝る力を持つのがこのナイン。爆剣を二度食らってぴんぴんしてる時点でもう狂ってるんだ。だったら今更これくらいで動揺するのも、それこそおかしな話だったね)
一対一ではあの名高き剣士ミドナ・チスキスですらナインを相手にして地に伏した過去があるのだ。
もはや剣の技量だけでナインと戦うには国最高の剣士と称される、チームではなく個人で最高等級冒険者の位を得ているあの少年ぐらいしか望みはないだろう。
つまり一流に程近くあっても剣士としては彼どころかミドナにも遠く及ばない程度のジュリーでは、逆立ちしたってナインには敵わないということでもある……そしてそのことを彼女は否定しないし、したいとも思わない。
力の差は歴然であると認める――そしてそんなことは初めから十分に受け入れているジュリー。
一対一で勝てるはずもない。当たり前だ、当たり前でいいのだ、当たり前と理解することでようやく道が開ける。
何故なら彼女は一人でナインに挑んでいるわけではないのだから。
「いいねぇ。久しぶりに、死に物狂いってのを実践する時が来たようだね……!」
気負いのない朗らかな笑みを浮かべているナインとは対照的にジュリーは極めて野性的で、気負いに気負いを重ねた凄絶な笑みを作り。
人生最高の難敵に対して臆することなく、もう一度果敢に攻めかかりに行った。




