37 怪物少女の橋渡し
「いや、人間は食べんな」
「……ホントに?」
「君の目から我らがどう見えているかは知らないが、リザードマンは雑食であれどなんでも食べるわけではない。人間は群れるし、警戒心や復讐心が強く狡賢い生き物だ。個々の強さも振れ幅が大きく読みづらい。狩りの獲物には到底向かず、そもそもが不味いらしいじゃないか。人間を率先して襲うのはよほど知能が低いか、もしくは人間が特に好物という悪食の種族くらいのものだろう」
「ふむふむ」
滔々と語られる人間以外の種族から見た人間への評価を、ナインは興味深く聞いた。
なるほど、そう言われてみると確かに人間というのは、餌とするにはなかなかにリスキーな生物だ。しかしそれも一定以上の知能がある――最低限こうして言葉を交わせる程度という注釈はつくが――種族限定の話だ。獣なんかは思考より先に飢えを満たそうと人間を襲うだろうし、エルサク村を餌場にしていたオーガなんかは人間が大好物であるようだった。
何事にも例外はあるということだろう。
ただリザードマンが人間を食料として見なしていないことはナインにとって僥倖だった。だがそうなると、彼らが普段何を食べているのかも気になってくる。
「我らは主に魚を食す。狩った昆虫などもよく口にするが、主食で言えば魚類ということになるだろう」
「魚? こんな森の中で?」
きょとんと聞き返すナインに、軽く呆れ混じりにリザードマンは答えた。
「川や湖を、お前は知らないのか? 海ほどではないが、森の中にだって魚は生息している」
「あー……そっかそっか」
そりゃ確かにそうだ、とナインは納得する。むしろその発想が浮かばなかった自分が恥ずかしい。
「森を彷徨ってたときには見かけなかったもんだから……」
「そうか。実際に目にしていなければ想像は難しいかもしれんな。俺も知識として海を知っていてもどうにも想像がつかん……して、この質問の意図はなんだ? リザードマンの主食を知ってどうしようと言うのだ?」
「それなんだけどさ。この森の近くに、人間の村があるのを知っているか?」
リザードマンは「人間の村……」と初めて口にする言葉のように呟きながら首を振った。
彼は森の外に出たことがない。付近と言えど外部のことはほぼ何も知らない。年配のリザードマンからの又聞きくらいでしか情報を得る機会がないからだ。
「知らないか。この方向に抜けた先に、リブレライトっていう大きな街があるのは分かるよな?」
「さすがに、それくらいはな。そこの住民とも面識はある」
「そのリブレライトから森を沿うように続く道があってだな。馬で三日くらいの距離らしいんだけど」
「馬か。人間の移動手段だとよく分からないな」
いつかの自分と同じ戸惑い方だ、とナインは少しおかしく思いながら「そうだな、ごめん」と謝った。相手に伝わらない説明の仕方はよくない。
「まーそこそこ離れているってことだな。ただ森から行くならすぐ傍だよ。村の外からなら、この森が見えているくらいだし」
「ふむ、位置関係はなんとなく掴めた。それで、その人間の集落がどうかしたか?」
「そこと交流を持ってもらいたい。それが俺の頼みだ」
「交流、だと?」
驚くリザードマン。その目が真ん丸に見開かれていることは、あまり彼の表情を読めないナインでも分かった。それだけ予想外の頼みだったということだろう。落ち着いた雰囲気のある彼が表情を崩すくらいには、意外性があったらしい。
「なぜそんなことを?」
なぜそんなことを自分たちがしなければならないのか。
あるいは、なぜそんなことがナインの口から飛び出すのか。
そういった疑問だろう。
確かにリザードマンからすれば突拍子もないことのように感じられるだろうが、ナインにとっては真剣に考えた末の結論である。
「実を言うと、エルサク村はちょっと前まで大きな問題を抱えていてさ。その問題は解決したんだけど、それでもまだ混乱は続いていると思うんだ。元凶が排除されたからって、それまでの苦しみがなかったことにはならないからな。今必死に立て直しをしているところじゃないかな。村とメンタルを再起させようとしているはず……だから、リザードマンにはその一助になってほしいんだ」
「……ふむ。それはつまり、無条件でその集落を助けろと、そういうことなのか」
「まさか」
即答の否定にリザードマンは首を傾げる。少女の物言いでは完全にそうとしか受け取れなかったのだが、彼女はそんなつもりで言ったんじゃないよと笑った。
「たとえばそう、魚とかを持っていって、村の物と交換するとかさ。そういうのでいいんだ」
「物々交換、か。しかしそこには何があるんだ」
「逆に、何が欲しい?」
訊ねられ、しばしリザードマンは視線を宙に躍らせる。貰えて嬉しい物を考えているようだ。
「そうだな。人間が相手なら、その家畜……牛や豚などに興味がある。あとは、薬草などだな」
「ああ、家畜は分かる。村にもいたよ、そう数は多くない印象だったけど……。でも、薬草だって? 傷を治したりとか、そういうやつか」
「うむ、その用途もある。我が集落のシャーマンが薬草を煎じるのでな。それ以外にも、魚への香りづけに使ったりもするぞ」
「へえ! ハーブとかスパイスみたいな感じか。香草を手摘みしてるとなるとすごくグルメに聞こえるな」
「森で採れる物なら我らだけでも収集はできるが、ここで採れない種類の薬草があるのなら是非とも譲ってもらいたいところだ」
なるほどぉ、と頷きながらナインは考える。
家畜はエルサク村にもいるので数を増やせばいいとして――それも楽なことではないだろうが――薬草に関してはナインでは判断がつかない。
ナインが一泊した当時、エルサク村はオーガに悩まされていた。一宿二飯の施しを授けてくれたマルサという村娘から村の事情は概ね聞かされたものだが、その内容も必然的にオーガを中心としたものにしかならなかった。
故に、滞在経験はあるもののエルサク村に関する知識は非常に薄いと言える。
だが、語られたことをナインはきちんと覚えている。マルサは確かに、「村には年に二度商人が来る」のだと言っていた。まったくの善意で品物を配る奇特な人物でもなければ、商人が訪れるということは即ち何かしらの取引を行うということだ。
ならば、取引が可能となるだけの「何か」がエルサク村にはあったことになる。あの村に大した貯蓄があるとも思えないので、商人との取引はおそらく物々交換、物と物のトレードによって成立していたはずなのだ。ということは、商人のお眼鏡にかなうだけのブツがあの村に存在していることは間違いがない。
それが果たしてリザードマンたちのお眼鏡にもかなう物かどうかが問題だが、しかし金銭によるやり取りと比べれば可能性があるだけマシだろう。
何しろリザードマンが相手なのだ、人間社会の通貨など機能するはずもない。
その点物品の交換はシンプルだ。相手の食指が動く品さえ用意できれば、それで成り立つのだから。
「何をやり取りするかは村の人たちと相談して決めてくれ。それこそ新しい薬草が手に入るかもしれないしな」
「……それが頼みとあらば、穢れを祓ってもらった礼として、従おう。しかし」
自身に言い含めているような声の出し方にナインは眉を寄せる。なんとなく続きは聞かずとも予想できる気がしたので、遮るように言った。
「分かってるとも。相手次第だってことだろ?」
「その通りだ。取引に関してもだが、その前段階。接触時点で人間たちが取る態度如何によっては、交渉の場すら設けることはできないだろう」
いきなり森からやってきた異種族を人間が諸手を広げて受け入れることは決してないだろう。人の疑り深さや性悪とも言える排他性を種族的特徴として学んでいるリザードマンはそう思っている。
彼の深刻な口調に、ようやくナインも異種間のコミュニケーションの難度の高さに気付いた。
自分が雑多というか大雑把な精神性をしているせいで今までその点を見落としていたが、本来なら他種族というのは警戒して然るべき相手なのだ。ましてやエルサク村はオーガへの恐怖も記憶に新しい。村へ足を向けるリザードマンたちを新たな侵略者と勘違うのは半ば必定というもの。
つまり彼の懸念は的を射ていることになる――だが、ナインは今回に限って言えばそう大したことではないと笑みを浮かべて言った。
「そうだな。そっちの心配もあったか。でも、たぶん大丈夫だよ。俺の名前を出してくれたら通じると思う。村人の中にマルサって女の子がいるから、その子に話してみてくれ」
「ふむ……」
ナインの言いぶりに、リザードマンはおおよそのことを推察できた。
つまりエルサク村と彼女の関係は、自分たちと彼女の関係に近しいということを。
リザードマンたちが忌避していた穢れをナインが浄化したのと同じく、エルサク村での問題というのが潰えたのも彼女の力があってのことなのだろう。だとすれば村の人間も自分たちと同じように、ナインに恩義を感じているに違いない。
直接の交渉はリザードマンと人間の間で行われる。いきなり顔を合わせて成功するはずもないが、橋渡し役として両方の恩人である彼女が挟まるのであれば、上手くいくかもしれない。
共通の知り合いがいるのなら――それも、この少女ほどに強烈な存在が繋ぎ役をするのなら。
「俺の名はカイニスだ」
「え?」
突然の名乗り。そういえば目の前のリザードマンの名前すら知らなかったのだと今更になって思い出す。
カイニス。
武骨だが凛とした印象の彼には、その名がよく似合っているようにナインには感じられた。
「なんで急に?」
「君の名を出せと言われたが、まだ聞かされていないものでな。名を訊ねる前に名乗るのは当然の礼儀だろう」
「ああ……そうだった、俺も名乗ってなかったっけな、こりゃ失敬。俺はナインだ。ナインからの紹介で来たって言えば、村の人たちもそう警戒しないと思う」
「そうか。了解した、ナイン」
「頼んだぜ、カイニス」
ナインは祈る。願わくば彼らと村人が友好な関係を築けますように。良い付き合いができて、いざとなれば手と手を取り合って協力できるような、そんな繋がりができてくれたなら。
マルサへの恩返しも、少しはできたことになるだろうから。
思いを込めてナインは手を差し出す。握手の意はカイニスにも伝わったようで、互いに右手を出してぐっと握る。
「――!」
息を呑むカイニス。同じ相手と百の言葉を交わしても分かり合えないこともあれば、その逆にただ一度触れ合っただけで通じるものもある。ナインの手から感じられるものは、想像を絶するほどの巨大さだった。
大きい。とにかく大きい。それこそまるでこの森林にも似たような、大自然が一個の生物、幼い少女の形に凝縮されたような――強大な存在の懐に抱かれるような、壮絶なまでの安心感。カイニスは手の平を通してそんな感慨を味わった。
――やはり、この少女は。
「じゃあなー、カイニス! またどこかで!」
「ああ、是非ともまた会おう、ナインよ!」
クータを背負うようにして空へ飛翔するナイン。実際はクータがナインを掴み運んでいる絵なのだが、カイニスからはそう見えた。まるで白い少女に赤い翼が宿ったような……どこか幻想的な光景に。
森から飛び上がり、木々の陰影から抜け、陽の光の下へ。輝く青空へ自由に飛び立つナインの姿は、やはり神聖さを感じさせて。
カイニスは天上の使いを見送るような気持ちで、いつまでもその場に佇んでいた。
 




