368 朗報来りて口笛を吹く
「やっぱりこぞって台方広場に駆け付けるようなのは、それだけ熱心な人たちの集まりだよね。どっちの派閥でもそういう人たちがいつも先導役になるんだろうけど……あはは。今回ばかりはそのリーダーシップが裏目に出るって寸法だね」
「確かに、ざっと見渡しただけでも後援会メンバーが目につきますからね。食堂の無料開放キャンペーンに足を運んだ保守派や、派閥未加入ながらに活動をしている――いわゆる中庸層としての有識者である獣人もちらほらと」
「わ、すごいキャンディナお姉ちゃん。そこまで顔を覚えてるの? 人からすると獣人って見分けるの難しいんでしょ?」
「ええ、始めのうちは苦労させられました。イクアは最初からそんな苦労とは無縁だったようですけど……」
「まあね! あたし、人を見る目は確かだっていう自信があるからね!」
えっへんと薄い胸を張る。得意気な笑みをそのままに、しかし目付きだけを少し変えながら少女は改めて壇上から獣人たちを見下ろした。
「会員に、出入りしていた業者、後援会の人たち、熱心な派閥組、そして調べるついでに覗きに来ていたであろう中庸層、か。料理を口にした獣人はけっこうな数だよね? 市政会だけじゃなく革命会のほうでも同じようにしてたんだから」
まるで獲物を見る目――? いや、そうじゃない。
彼女が獣人たちを見つめる目の色は、既に調理された食材を眺めるそれだ。紫色の澄んだ瞳が映す人だかりは、皿の上へ山のように盛りつけられた『美味しそうな料理』でしかない。
イクア・マイネスの笑みからそんな感想を抱いたキャンディナは彼女の言葉に小さく頷いた。
「八日がかりで都市中から人寄せをしましたからね。アレを摂取してしまった獣人は決して少なくはない。勿論クトコステンの人口比で言えば少数なのでしょうが、いま中央帯にいる者たちで見るなら相当な数のはずです」
「まあ片方で最低でも五千、最大で六千ってところかな? 倍にして一万から一万二千が期待値かー……うん、それくらいいてくれたなら十分、かな。これだけ密集してるんだからいざ始まれば死人だってとんでもない数にもなるだろうし、その分混乱も助長されるしね。楽しみだなあ。その時もすごく楽しみだけど、一番はやっぱりナインちゃんだよね。この街には今ナインちゃんがいる! 色んな街で活躍して、いっぱいの悪党を倒してきたナインちゃんが、今回もきっとそうやって、あたしの邪魔をしてくれるはず! 負けずにあたしはその邪魔をするわけだけど――あはっ。いいよね、それ。すっごくいいよ! あはっ、あははははははははっ!」
「そうですか……」
笑いが止まらないイクアに対してキャンディナの表情はうんざりとしたものだ。少女に逆らおうなどとは欠片も思わないキャンディナであったが、そんな彼女であってももう一人逆らい難い少女というものがいる――それこそがナイン。以前に敵として相対した際は簡単に捻り潰されてしまった記憶がある。それしかないと言ってもいい。その時はお陰でかなりの重傷を負ってしまい、それが原因で治安維持局に逮捕された。単身で脱走を試みたものの失敗し逆に左腕を失う結果にまでなった。そしてそこまでして局から抜け出そうとしている間に、彼女の所属していた『暗黒座会』はリブレライト治安維持局の局長とナインの手によって壊滅させられたという。踏んだり蹴ったりどころの話ではなかった。
その後は顔見知りだったよしみもあって――キャンディナは本当にそれだけが理由であるのか真相は知らないし知りたいとも思わないが――イクア・マイネスという恐ろしい少女に救出され、現在は彼女のしもべとして日夜奔走する日々に至っている。
人肌から鋼鉄のそれとなった左腕を意識しながらキャンディナは鬱々たる思いを隠せない。
自らの境遇を殊更に嘆くつもりはないが、一応は順風満帆であった暗黒座会幹部としての生活に陰りが差したのは間違いなくナインと出会ってしまったのが原因だろう。
前後の展開を思えばそれよりも前から治安維持局は本格的に組織潰しに注力していたのだろうし、ナインがいなくとも遅かれ早かれ攻勢に打って出てはいたのだろうが、少なくともキャンディナの目線からすれば全てを狂わせた元凶と言えばナインという白き少女に他ならない。
あの圧倒的な実力……。あれでもきっと本気ではなかったのだろうとその後の活躍をイクアとともに追うことで思い知ったが、もはや強さ云々など関係ないくらいにキャンディナはとかくナインと関わりたくなかった――関わり合いになどなりたくなかった、けれど。
主人であるイクアが彼女とは正反対の考え方をしており、むしろ積極的にナインを自らの道に引き込もう巻き込もうとするのだからどうしようもない。そんなイクアに逆らえない以上、キャンディナもまたナインと対峙する覚悟をしなければならない……。とは言っても、あの時のように直接戦うつもりなど彼女にはない。新調された左腕を上手く使えば一撃くらいはハマるのではないかと目している彼女だが、その一撃だけで仕留めきれるとは露ほども思っていない。だから戦わない――もしもその役目が割り振られるとしたら、全力でイクアへ譲ろう。何故なら彼女は保身を想うキャンディナとは真っ向から思想をぶつかわせる純然たる狂人。つまりは自らが絶望的状況に陥ることを本気で願ってやまない、極めて危篤な精神状態をした人間だからだ。
「もー暗い顔しちゃってー。そんなにナインが怖いのかい、キャンディナお姉ちゃん?」
「ええ、怖いですよ。あの見てくれだけが少女の姿をした怪物が、イクアの所業を知ればどれほどに猛り狂うのか……想像しただけで身震いしてしまいます。そんな存在と好んで対決しようなどというイクアの気が知れません」
「あはは。そーそー、キャンディナお姉ちゃんが戦う訳じゃないんだから安心してくれていいよ。それに言っとくけど、あたしだってナインちゃんとバチバチ戦うつもりはないよ? 絶対に勝てないだろうしさ。だから見たいのは、ナインちゃんが四苦八苦しながら戦う様なんだよね。うふふ、そのために今回はたっぷり手数を用意したからねぇ、存分に楽しんでもらいたいよね」
手数――その言葉の意味はキャンディナもよくわかっている。ただクトコステンを悲劇の街に変えようというだけならここまで念の入った準備はしてこなかっただろう。全てはここへナインがやってくると信じ、そして実際にその通りとなったイクアの執念の賜物だ。リック・ジェネスと共同で立てた計画を勝手に捻じ曲げて、色々と好き勝手付け足した諸々の結果が今日ついに結実する。雑多な手腕で何もかもを欲張ったイクア独自の計画はリック主導であった当初のそれと比べれば継ぎ接ぎもいいところで、ひどく不格好かつ目的も何も見えないようなものでしかなかったが――しかしそれこそがイクア・マイネスという人間の在り様を何よりも端的に表してもいた。
「顔を拝みたいというのは、ファンを自称するイクアですから一応の理解ができますけど……ですがお勧めはしませんよ。相手は武闘王の、怪物少女。物見遊山で近づくにはあまりに危険が過ぎますから」
「それはあたしもわかってる。でも我慢はできないよ……ううん、あたしは我慢なんてしないんだよ。もっと楽しくなるための我慢ならともかく、せっかくナインちゃんをこの目で見られるチャンスをふいにするわけにはいかないもん」
「……まあ、イクアが私なんかの言葉で止まるはずもないことは百も承知でしたが」
「うん! さあ、まずは『ナインズ』からだ。監査官とかいうのが市政会を探っていたのは知ってるからね! そこと一緒に行動してる『ナインズ』もきっと交流儀が始まれば仕掛けてくるだろうから――」
「そこを迎え撃つ、と」
「そう、そしてめったくそに痛めつける! あの人なら問題なくそれができるはずだから、そうやってナインちゃんを釣り出しちゃう! さすがに一人だけで動いているナインちゃんの動向を予測するのは難しいからね。こうやってこっちから呼んであげる必要があるんだよ」
「なるほど……ではイクアがナインを待つ間、私は何をすれば?」
「キャンディナお姉ちゃんは『大監獄』のほうへ行ってくれるかな」
行けと言うなら行くが、と了承しつつもキャンディナは首を傾げた。
「そちらはドックが向かっているのでは?」
「いやぁ、ドックだけじゃ不安っていうか心許ないっていうか。ここ最近は張り切っていい物をたくさん作ってくれたドックにこう言っちゃうのもなんだけどさぁ……ほら。あの人ってちょっとヤバいじゃん?」
口元を手で覆うようにしながらこそこそとそんなことを述べるイクア。「お前のほうがもっとヤバい」と指摘したくなったキャンディナだが、それをぐっと堪える。
「だからキャンディナお姉ちゃんにサポートをしてもらおうと思って。もし何かあったら、そうだね。あたしが前にやったみたいにあのナイフで鉄格子を切り裂いちゃって」
「局の独房とクトコステンの『大監獄』の牢を同一視はできないと思いますよ。それに本当に何かがあったのならそんなことをしている暇はないでしょう。まずドックを連れて逃げるのが先決です」
「あは! そりゃそーだ! まー大丈夫だとは思うけど、その時はドックを守ってあげてね」
「了解しました」
新たなる任に粛々と頭を下げたキャンディナ。それに満足するようにイクアはうんとひとつ頷き、
「――えっ?」
と言葉を漏らした。
どうかしたのかと顔を上げたキャンディナが訝しむ目で見れば、少女はくすくすと可笑しそうにしている。
「イクア?」
「いやー、びっくりだね。呼び出すまでもなかったみたいだ。でもこんなことってある? あるんだろうね、それがきっとナインちゃんなんだ!」
「ナインが、どうしたというのです?」
「みつかったよ。ナイトストーカーとばったり出くわしたみたい。祭りだってまだ始まっていないっていうのに、あっちはもうドンパチ楽しんじゃってるみたいだよ!」
「――、」
吸血鬼捜索のため連携を取り合っている、吸血鬼狩りの部隊『夜を追う者』。彼らの本分からすればナインよりも吸血鬼本体を発見するほうが遥かに目算が高いと見做していたイクアとキャンディナにとって、不意に寄越されたこの連絡は予想外もいいところだった。こんなにもタイミングよく見つけられるのなら『ナインズ』を餌にする策など元から必要なかったことになるが――。
「いや、それはそれで面白いからいいや。実行継続! でもあたしは予定変更だ、こうしちゃいられない――急いで行ってくるね! ナインちゃんに会わなくっちゃ!」
「では開催のためのスピーチは――」
「カンペ通りにお人形さんに読ませて。リッちゃんに頼んであるから進行は恙なく行えるはずだよ。……それにどーせ、始まればすぐにドッカンなんだしさ!」




