367 運命の式まであと少し
誤字なんて嫌いよ!
報告謝々ですー
「こちらの準備は既に整っておりますが、市政会のほうはどういった具合かお聞かせいただいてもよろしいか?」
傍らに立つ女性の手をぐいぐいと引いては目につく場所を指差しながらとても楽しそうに話し込んでいたイクアだったが、協力している会の長職――総務長の役職につく壮年の獣人からそう訊ねられたことでピタリとはしゃぐのを取り止めて、彼のほうへと向き直った。手を上げてまるで宣誓するように少女は答える。
「はーい。こっちも準備は万端ですよー、総務長さん!」
「ならば双方ともに用意は良し、ということですな」
「うんそうなるね。万事ぬかりなくってね!」
「では、すぐにも始めさせていただいても?」
「こっちはいいけどさ……でも、革命会のほうは本当に大丈夫なの? 昨日にあんなことがあったばかりなんだから、無理して予定通りに始めなくたっていいんだよ? 別にもうちょっと待たせたって構いやしないだろーし」
あんなこと。それが意味するところは即ち、昨日の日暮れ時に起こった『武闘王襲撃』の件だ。所管やその被害も含めて極めて内々のことだとはいえ、当然革命会は治安維持局だけでなく現在協力を密にして交流儀を成功させようとしている、言うなれば相方とでも表現すべき相手であるところの市政会に対しても包み隠さず此度の事件を知らせていた。
そうでなくともそれぞれの会長であるマイスとルリアの関係性を思えば自然と話は伝わっていただろうし、それ以前に革命会館への襲撃と前後して発覚した過激派組織『ファランクス』壊滅の騒動もあったことからその流れで革命会の被った損害についても遠からず報告は行っていただろう――が、そのような形で事が露呈するのは革命会員にとってイマイチよろしくない。
体裁という意味でも、そして一応の信頼があることを示す意味でも、どんな知られ方にせよ向こうが先に調べてしまうよりも早くに自分たちから事情を明かした。恥を曝け出すようだし、見方によっては市政会の助けを期待する乞食のような真似にも映ってしまうかもしれないが、それでもそうしなかった場合に市政会側が抱くであろう思惑や疑念を考慮すれば、総務長がいち早く市政会へ通話をかけたことは間違いなく正しい行動だったと言えるだろう。
そしてだからこそ総務長は、ここで市政会からのありがたい言葉に甘えてしまうわけにはいかなかった。
「いけませんな。獣人という種族は決して気が長いほうではない。あまり長く待たせると文句が出るでしょう。それだけならまだしも、興味をなくして帰ってしまう者も出かねない。無理を押す立場でこんなことを言うのもお恥ずかしい話ですが、私としては定刻通りに開催すべきだと愚考しております」
「んー……そっかぁ」
明確な役職こそ持っていないものの、目の前にいる只人の少女――イクア・マイネスは間違いなく現市政会の参謀的な役割を果たす重要人物だ。会を率いているのは新会長のルリアだし、それを支えているのは革命会の構造と同じく長職につく会長直下の幹部たちであるが、組織の頭脳のポジションにいるのは間違いなくイクアだ。それをここ半年ほどの会同士での付き合いを通じて知っている総務長は自分より遥かに年下の、それも只人の子供を相手にも丁寧な態度を崩さない。
無論それは敬意あってのものだが、その中には比率で言えば決して少量とは言えない警戒心も確かに混ざっている。現行、両会は限りなく友好的な関係を築けてはいるが、しかしそれはあくまでも交流儀の成功を第一とした限定的な不可侵条約にも等しいものだ。言うまでもなく交流儀開催の名目や主題を真に受けるなら今日という日を境に革命会と市政会の対立構造には決定的な変化が生じ、それが改革派と保守派の終わりなき争いへの雪解け、その呼び水にもなることは会の全員が満場一致で期待するところである――が、誰もがそれを望んでいたとしても不思議と望み通りにいかないのが集団や組織というものの妙である。
交流儀が無事に終わったとて、そしていかに会長同士が仲睦まじいとて、表立っての対立こそなくなれど水面下での敵対関係が続かないという保証など今はまだどこにもないのだから、総務長は気が抜けない。
たとえほんの僅かなことでも貸しや借りといったものを作るわけにはいかないのだ。
こちらが貸してやる分にはともかく、今後を思うと不利な立場になることは避けたい――そう考えているのは市政会も同様だろう。
故に、「トラブルのあった革命会と足並みを揃えるために市政会が迷惑を被った」「それも都市住民たちを巻き添えにして」という悪評にもなり得る事態を回避するために彼は時間通りの開催を推したのだ。
実を言うと昨夜からの作業は突貫もいいところだった。会員たちの動揺を鎮めて、治安維持局に協力し、市政会との本番前の打ち合わせを交わし、パレードを行う派閥内の業者たちとも直前の顔合わせとして最終チェックを行い、『孤混の儀』で市政会が見せるという会長ルリアの演武よりも前にマイスによる『公開告白』をぶつけることを相談して決め、そして今。残された無事な会員たちは全員が悲鳴を上げているし、総務長たる彼とて全身にずっしりと疲労感が圧し掛かってきている。肉体的なものもあるがそれ以上に精神的な疲れが主な理由だろう。三十分程度でもいいから仮眠を取りたいというのが彼の本音だが、まさか心配されているからといってイクア・マイネスへそんな本音を素直に打ち明けることなどできない。
うっかりすればため息を漏らしてしまいそうなほどの身体の重みを隠し、背筋をぴんと伸ばしながら平生の顔付きを崩さずにいる総務長。彼がそんな様子で半ば強引さも垣間見えるような語り口でスケジュール通りの進行を勧めるものだから、少しだけ考える素振りを見せつつも、やがてイクアは「うん、そうだね!」と同意を返した。
「そりゃあ確かに『平気だろう』で待たされちゃ、待たされてるほうはたまんないよね。それじゃ決めた時間通りにやっていくってことでー……、ってことはあと二十分もすれば始まっちゃうことになるけど、それでいいのかな? うちの会長はいつでも出てこれるよ」
「こちらも同じく、何も問題はないですな。予定された通りに『孤混の儀』を執り行えますとも」
「そうなんだ、よかったー。武闘王に襲撃されたって聞いてあたし、すっごく大変そうだなって思ってたんだよ。ほら、あたしもこの前、武闘王と関係があるらしい変な吸血鬼に襲われたじゃない? それで革命会の辛さとか怖さをさ、少しはわかってあげられているつもりだったんだ」
「だから開催時間を遅らせる提案を? マイネスさんは随分とお優しくあられるようだ」
「でも余計なお世話だったみたいだね。大変だったろうにちゃんとお仕事をしてる。すごいんだねぇ、革命会の人たちは」
「ええ、自慢の会員たちですとも。――それでは、私はこれで。うちの会長とも少し話しておきたいことがありますもので」
「はーい。またあとでねー」
総務補佐と一緒に壇上から降り、記念館の中へ戻っていく総務長。その背中に手を振っていたイクアは彼の姿が建物内へと消えると、改めて開催を今か今かと待ちわびている様子の獣人たちの大群へと目を向けた。
「うーん、壮観壮観。これが今から火種になるのかと思うと、わくわくっていうか――ぞくぞくしちゃうね」
「イクア、不用意な言葉は慎んだほうがいいと思いますよ。獣人には耳のいい者も多い。ここはとても騒がしくはありますが、かと言って私たちの会話を彼らが拾えないとも限りませんから」
「おっとそうだね、ここは用心してもうちょっと声を小さくしようか。直前になって不審がられても面白くないし……うーふふっ。今はなんにも知らずに祭りを楽しみにしてる獣人たちのお間抜けさんな顔を、たっぷり拝んでおきたいもんねー」
子供らしいあどけない笑みで少女はくすくすと笑いつつも、言葉には悪辣な趣味嗜好を隠しもせずに広場を見据えていた――その瞳に浮かぶのは、酷薄な喜悦ばかりのようだった。




