36 焼き畑跡地にて
「五大都市、エルトナーゼ……」
五大都市。
国内の特に大きな主要都市五つを指して、人々がそう呼んでいることはナインも知っている。だがそれだけだ。エルサク村で村娘マルサから受け取った地図を思い起こしてみるが、あれにはこの近辺の情報がざっくりと載っているだけでエルトナーゼの所在地どころか方角すらも分からない代物である。
件の人物に会えというのなら足を運ぶのも勿論やぶさかではない。しかし、場所も知らないのにどうやって向かえばいいのか……という不安をナインの表情から読み取ったのかリュウシィは「安心しなよ」と一枚の紙を懐から取り出した。
「右も左もさっぱり分からなさそうなナインのために、地図は用意してある。きちんと道順は教えるさ。道のりはそれなりだけど、なに、ナインにはクータもいるからね。空を行けるんだから距離も地形も問題にはならない。休憩しながらでも正味二日もあれば着くんじゃないかな」
「クータにまた運ばれろって……?」
若干嫌そうな顔をするナインに、リュウシィは首を傾げる。彼女にとっては運ばれる際にナインが味わった少なくない苦痛を知る由もないので、この反応は致し方ない。
迷う素振りを見せたナインも、結局は時間を優先するべきと判断して頷いた。
「分かった、なるべく早く到着するように急ぐ。ところで、その人の名前は?」
「ああ、そいつの名前は――」
◇◇◇
「ピカレ・グッドマーか……どんな人なんだろうな」
「クー?」
「ああいや、クータに言ったんじゃないんだ。ただの独り言だよ」
クータに肩を掴まれた状態で空を駆けるナイン。彼女がリュウシィとのやり取りを思い起こしてこれから訪ねる人物の名前を呟いたのを、クータは自分に話しかけられたと勘違いしたようだ。
「……ていうかクータ、あの部屋で話すとき必ず寝るのやめろよ。ピカレさんの名前に聞き覚えがないってことは、あのとき完全に眠りこけてただろ」
「……ク、クー♪」
「甘えて誤魔化そうとしてるな? そうはいかんぞ」
「クー……」
「はは。まあ、次から気を付ければいいさ」
割と理解力はあるのに難しい話を聞きたがらないのは困りものだ。彼女もマーシュトロン邸での警護任務ではもっとしっかり話を聞いていたのだが……この違いは命が関わる場面かどうかであろうか。
だとするなら、直接戦闘に繫がらないことでも生命や進退に関係する重要な話し合いはいくらでもあることを、ナインはクータに教えてやらねばならない。
彼女がどうして人型になれるようになったのか、自分に追従してくる訳も含めてまるで分からないというのが正直なところだが、クータがただの野生動物でなくなったことだけは確かな事実として認識できる。
ならば自由気ままに飛び回らせるだけでなく、人としての生き方も教示していく。それが彼女の飼い主たる自分の責任だとナインは思っている。
追々やっていこう、と方針を決めたところで彼女は眼下にそれを見つけた。
「あったあった、あそこだ。クータ頼む」
「クー!」
ナインたちが移動しているのはリブレライトの傍にあった大森林。ナインとクータが出会った場所でもある。エルトナーゼへ向かう方向にちょうどこの森があったので、ナインは様子見をするために少しばかり進路を曲げたのだった。
様子見――即ち、自分が深く考えずに焼き払ってしまった麻薬畑の跡地がどうなっているかが気になってのこと。
「確かにここ、だよな……。すげえ」
彼女が降り立ったのは木々が所狭しと生い茂る森林には相応しくない開けた野原。そう、野原である。新緑の生い茂ったその場所は、たった五十日ほど前に焼き払われた畑跡とは思えない光景が広がっていた。
土地の生命力に感嘆するナイン。
二カ月足らずの期間しか経過していないというのに……自然というものはこれほどまでにエネルギーが満ち溢れたものなのか、はたまたこの森が特別なのか……?
とにかく無残だった焼け跡が思っていた以上に回復を見せていたことにナインは胸を撫で下ろす。なぜかまた燃やそうと火を吹く準備を始めたクータの嘴をがっしりと掴み閉ざしながら、もうその必要はないのだと慌てて言い聞かせていると――草影から飛び出してくる何者か。
「む!」
またこの森お得意の巨大昆虫型モンスターか、とクータを抱えたまま油断なく飛び退くナイン。
素早く臨戦態勢を取った彼女だったが「あれ? あんたは」とすぐ拍子抜けすることになる。
「久しぶりだな。怪しい少女よ」
以前より砕けた口調でどこか冗談めいた挨拶をしてくるのは、蜥蜴顔の戦士……リザードマンだ。
人間からすると顔を見分けるのは非常に難しい相手だが、その手に持っている槍と首に巻かれた赤い布に見覚えがあったおかげで、ナインには彼があのとき直接言葉を交わしたリーダー格と思しきリザードマンと同一人物であると察することができた。
なのでナインも、相手に合わせて柔らかい態度で返事をする。
「久しぶりー。どうしたんだ、こんなところで……ってそうか、もうあの変な植物がないからここにも近寄れるのか」
「その通りだ。穢れを祓ってくれた君には感謝している」
「あはは、いいっていいって。勝手にやったようなもんだし」
顔の前で手を振りながら照れたように言うナインに、「そうはいかない」とリザードマンはちゃんとした礼をしたいのだと述べてきた。
「礼だって?」
「君は穢れを祓ったのを勝手にやったことだと言うが、その原因は我々との接触にこそあったはずだ。これでは一方的な施しを受けただけに等しい。我らリザードマンは誇りを尊び、大切にしている。このまま君へ恩を返さずにいることは、我らの誇りを蔑ろにするのと同義だ。報いねばならない。仇には仇を、恩には恩を、だ」
頼むから何か申してくれ、とリザードマンは訴えてくる。困ってしまったのはナインだ。そう言われてすぐに思いつくものではない。
「う~ん」
少女は悩む。
唯一頼めそうなことと言えば……道中の護衛くらいか。
つまりは旅の仲間を募るというものだ。
いくら空を飛んで進むとは言っても、昼夜問わず飛びっぱなしなどということはない。クータが疲れてしまう前には休憩を取るし、夜には普通に休む。夜間や野宿に危険は付き物。そういう意味では戦力を一人増やす代わりに空路を諦めるという選択肢もないではない。
だがしかし。その選択に言うほどのメリットがあるのかは疑問だ。
徒歩を選べばそれだけ行進速度は落ちるし、危険に晒される時間も長くなる。そもそも戦力で言えばナインとクータほどの力量を持つ人物もそうはいるまい。
こう言ってはなんだがリザードマン側から勇士が名乗り出てくれても、その実力如何によってはかえって足手まといにもなりかねない。
それは単純に素の強さだけの話ではなく、彼らリザードマンの戦い方によるものでもある。
ナインは彼らに取り囲まれたときの統率の取れた陣形をよく覚えている。あれができるということは、集団戦ができるということであり、リザードマンは恐らくチームで狩りをするのが常なのだろう。
言うまでもなく個人と集団では戦闘における動き方が大きく異なる。そしてうまく連携を取れるなら、ただ頭数を増やしただけ、という以上に群の強さは増すもの。彼らは巧みなコンビネーションでそれを可能とするタイプに思える。
では対するナインたちはと言うと、まったくもってその正反対だ。
コンビネーションのコの字も知らない。
彼女たちは個々が好き勝手に戦い、その強さでそれぞれの敵を圧倒し蹂躙するという戦闘スタイルだ。そこに連携などというものは存在しないし、そもそもそのやり方を知らないのがこの二人だ。
そこに一人だけリザードマンを放り込んだところで、チームプレイが活きるはずもない。むしろリザードマンにとってナインとクータは邪魔にしかならない可能性すらある。
それぞれの強みを活かそうとするなら、集団でリザードマンについてきてもらい、モンスターとの遭遇時にはナイン班とリザードマン班に別れて離れた場所で戦闘を行う……といった配慮が必要になってくる。……あえて言うまでもないことだが、そこまでして旅の同行を願う理由などない。これは却下だとナインは頭を振って、再び悩み――果てにもうひとつ、思い付いたことがあった。
じっと辛抱強く待っているリザードマンへ、ナインは確認のために問う。
「あのさ……あんたたちって、人間を食べたりする?」




