360 昔話の悪魔と吸血鬼
「くすっ。いやー、あの不遜な吸血鬼様も変われば変わるものだねえ。元から人間への警戒心も他よりは強いほうだったけど、今はあの頃以上っていうか、もはや臆病のレベルじゃない? それに加えて子供のお守りまで引き受けてるときた。それにマビノ? マビノだって――くふふ! なんだよそれ、自分で考えたの? えらく可愛らしい名前を名乗っちゃってさ。まあ、今の君の恰好にはすごく似合ってるけどね! ふふふ!」
「ちっ……珍しく物静かだからお前も少しは成長したのかと思えば。口を開けば相も変わらず昔のままだな。しかしそういうお前だって見かけは相当に様変わりしているじゃないか。そんなに手足を短くさせて、どうした。悪魔祓いにでも斬り飛ばされたか? それにフェゴールだと? ナインのお仲間のフェゴール! はっはっは、自ら笑い種になろうとはお前も殊勝になったものだな!」
「は――お、おい。ちょっと待てよ」
今の今まで、何故か影から姿を現しつつも黙りこくっていたフェゴールが突然口を開いてマビノへ軽口を利いたかと思えば、それを受けてマビノのほうも揶揄混じりに言葉を返した。その内容だけを見るとややもすれば険悪な雰囲気に思えなくもないが、しかし二人の調子はごく軽いものだ。その顔には笑みすら浮かんでいる。ならば即ちこのやり取りから察せられることは、フェゴールとマビノが遠慮なく物を言い合える関係性にあるということであり、この事実は翻って両者がそれだけの仲を過去に構築した知人同士であるということも示していた。
当然これに驚いたのはナインだ。
まさか接点があるとは思いもしていなかったこの二人が当たり前のように会話を始めたことにたいそう目を見開き、横の子悪魔と正面の吸血鬼とを交互に指差しながら素っ頓狂な声音で訊ねた。
「なんだよお前たち、まさか前からの知り合い……いや友達だったのか?」
「友達ぃ? いやー、それはどうだろうね。ボクとしてはそこの根暗を友達扱いしてあげてもいいんだけど、何せ根暗なもんだからね。優しく受け入れてあげたってきっと素直に感謝なんてしないで、ひねくれたことを言うに違いないよ」
「どの口がほざくか。ひねくれているのはお前のほうだろう、コンプレックスの塊が。私のほうこそ昔のよしみで友人として数えてやってもいいんだぞ? 哀れなほど友人の少ないお前にとってはさぞかし嬉しいことだろう」
「だからちょっと待てっつってんだろ。なんなのお前ら、煽らないと会話できないわけ?」
「「こいつが悪い」」
どっちも悪いよ、とナインは呆れる。しかしそこは言及せず、とにもかくにも煽り合いを固く禁じて話を聞きだすことに専念する――二人はいったいいつからの、どんな知り合いであるのか?
「いつからって、いつかなぁ? 最後に会ったのだって三百年ぐらい前だろうし、その時のこともよく覚えちゃいないんだよ。ましてや最初に会った日なんてもうとっくに忘れちゃったよ」
「そいつに同じだ。とはいえ、私は最後に顔を合わせた際のことはよく覚えているがな。あれは私が眠りにつく直前だった」
「あー! はいはい、そうだったそうだった。マビノは大戦のあとに自分から眠ったんだっけね。顔を見ながら『おやすみ』を言ったことをすっかり失念してたよ」
「まあ、それも致し方ない部分がある。長年眠りこけていた私と違ってお前には現世の時が流れ続けていたのだからな」
そう納得するマビノに対し、フェゴールはどこか申し訳なさげに頭を掻いた。
「いやーそれがねえ。あのあとしばらくして、ボクのほうも人間に封印を食らっちゃってさ。たぶん二百年ちょっとは閉じ込められてたんだよね。おかげで時間の概念があやふやだよ」
封印だと? と古き知人たる悪魔からの思わぬ告白に吸血鬼はジト目でその顔を見た。
「……なにをしているんだお前は。では記憶が不確かなのは単にお前がいい加減な性格をしているせいだとでも――いやなるほど、そちらのほうが遥かに納得いくな。いかにもお前はそういう奴だ」
「えへへ、勘弁してよ。よりにもよって『聖杯』なんかに封印されてたものだから長いことじわじわ体を削られてさー、けっこうな地獄だったんだぜ? 抜け出せたのは最近も最近、つい数ヵ月前なんだ」
「ならば活動を始めた時期としては私とそう変わらんな。私が眠りから覚めたのもごく最近のことだ」
「へー、そりゃまた奇遇だね! ボクたちはやっぱり似た者同士ってことなのかなあ?」
「似た者同士……?」
発言主のほうへ首を動かしながら二人の会話を黙って聞いていたナインが、思わずその動きを止めて首を傾げる。
子供の姿ながらに非常に落ち着いた印象を受けるマビノと、そこらの子供以上に子供らしいお喋りなフェゴールとではちっとも似ているなどとは思えない。
その疑問を読み取ったらしいフェゴールはナインへ顔を向けて「いや、内面のことじゃなくってね」と手をパタパタと振った。
「立場と言うかなんというか……在り方かな? 種族こそ違えどそれぞれ人間と関わらずにいられないってこともそうだし。あとは、そうだね。今でこそこんなちみっこいナリをしているボクたちだけど、これでも昔は多くの者たちから『王』と呼ばれて崇められてたんぜ? くふ。まあその呼び方には畏れだけじゃなく、多分に恐れもあったんだろーけど!」
「…………、」
フェゴールの口から飛び出た思わぬ単語にナインはしばし呆然とする。
やがて返事をした彼女の声は心なし、先ほどよりもかすれているようだった。
「『王』……お前たちが? 昔そう呼ばれていたって?」
「そうともさ! ナインは子供だから聞いたことない感じかな? 大戦時代にボクたちは色々と暴れてやったもんでね、その過程でまあまあ大量の数の人間を救ってやったりもしたんだよ? 他にもあの時代にいた強者たちで、結果として人間の利になる行いをしていた多くが『王』と呼称されていた――とはいえ、そんな『王』たちでも大戦中に死んだ奴もいればひっそりと姿を消した奴もいる。マビノだってその中の一人だったわけだけど、こうしてボクと同時期に目覚めたってわけだ。いやぁ、今回は思わぬ同窓会になったねマビノ。偶然ってのは面白いね!」
「ああ、そうだな。出来過ぎた偶然だ……本当に面白い」
屈託のない笑顔を寄越すフェゴールへマビノも微笑みながら頷きを返す――しかして二人の目は笑っていなかった。
果たしてこれは真実、偶然なのか?
フェゴールが封印から解かれたのはとある少女が自らの破滅を願ったが故のもの。そしてマビノが眠りから覚めたのはとある仇敵の復活を予感したからだ。このふたつの間にはどう考えたところで因果関係はなく、かつて『王』と称された強者二人が時期を同じくして地上へ解き放たれたのはそれこそ単なる偶然であるとしか言いようがないだろう……が、しかし。
直接の因果はなくとも、間接的ならばどうか。
つまりはこうして二人が覚醒し、出会いを果たしていることこそが何かしらの大いなる契機を暗示しているのではないか――フェゴールとマビノは互いにそれを懸念としているのだ。
「なるほどなぁ、お前たちが噂の『王』だったのか……」
と、そんな子悪魔と吸血鬼の密やかな深慮になど思いもよらず、ナインはかつてスフォニウスで聞かされ知ったあれこれを思い出し、なんだか感慨深い気持ちでいた。ジャラザが百頭ヒュドラより引き継いだ記憶から大戦時代についてもある程度は知識として仕入れていたナインだが、それも結局は遠い昔の話として半ば御伽噺を聞かされたような感覚でしかなかった。ところがこうして目の前に生き証人――それも件の『王』であったという二人が実際にいることから、ようやく話に現実味というか、そういうこともあったのだなと本当の意味で理解することができた。
そしてそれは同時に、ますますもってあの怪しき魔法使い――ネームレスの言葉に信憑性が増したということでもある。
(揺り戻し、だったか。あいつは新時代の『王』を探しているとか言っていたな。世界の危機に対処するには圧倒的な強者が必要だ……みたいな言い分だったよな? 大戦時代っていう大陸中でとんでもない数の死人が出ていた時代に、フェゴールもマビノも多くの命を助けていたことは事実らしい……そしてその役割を新たに担うことを、俺や他の『王』候補に期待しているのがネームレスたちってことか。ってことはやっぱり、国内でも国同士でも争いまくっていた悲劇の時代にも匹敵するような、とんでもない何かがこの先に待っているのか……? まさかもう一度大戦が起きるってんじゃないだろうな)
そんなの冗談じゃないぞ、とナインは首を振った。
想像でもそんなことは考えたくなかった――この世界は確かに弱肉強食、以前の世界よりも遥かに一人一人の命が軽い殺伐とした場所だ。しかしそれは戦いの場に赴くだけの理由がある者に限られ、一般人の多くは守られているし、そうでなくとも自衛を心掛けつつも平穏に暮らしている――その点で言えば元の世界とも在り様としてはさほど変わりない。
だからこそ戦争というものの恐ろしさもまた、変わりがない。
もしもまたあちらでもそちらでもたくさんが死んでいくのが当たり前の時代になってしまったら……果たして自分は耐えられるのだろうか?
戦禍というものを知らないナインには、まったくもってその自信がなかった。
「さて、本題に入ってもいいかナイン」
「――ん、本題……?」
考え込んでいた少女を現実に引き戻したのはマビノの声だった。言われてみれば話が横道に逸れていたと気付き、ではマビノが隠れ場に自分を誘った目的、本題とやらはなんなのかと改めて聞く態勢に入れば――。
「単刀直入に言うぞ。私にお前の血を吸わせてくれ」
「……えぇ?」
マビノからの思わぬ要求に、ナインはまたしても頓狂な声で返事をしてしまった。




