358 逃げて隠れて吸血鬼
「――と、いうわけなんだ。わかってくれたか?」
「わかったかと言われても……まあ経緯は概ね理解できた気がするけど」
革命会の若き会長である犬人少年マイスが仲間たちとともに決意を新たにしている頃、その真下にある地下空間では少女たちが秘密の会合をしているところであった。
そこにいるのは総勢三人。
まずマイスたちを混乱の只元へと叩き込んだ原因たるナイン。
その横に彼女と行動をともにする子悪魔フェゴール。
そして二人と相対するように、小さな木箱の上に座っているのが吸血鬼を名乗る少女マビノであった。
半ば有無を言わさないような「ついてこい」の一言でナインを革命会館から連れ出したマビノ……だったがしかし、彼女は建物からそう離れようとはせずすぐに地下へと潜った。
即ち街の下水道たる『地下水路』へ。
マビノがこんな場所を拠点としているのには当然彼女なりの思惑あってのものだ。第一に地下水路はどうしても不潔なスポットになるという前提がある。それは街中から流れてくる汚水や体内でどんな菌を繁殖させているか知れたものではない鼠等小動物や昆虫の繁殖といった目に見える不潔さもあれば、そういった不浄のひとつひとつが積み重なって出来上がる空気、目に映らぬ「淀み」もまた有害空間を作り上げる一助となる。
故に、ここに立ち入る者はごく限られる。
定期的な環境調査や掃除人以外で地下水路へ降りてくる都市住民などまずいない。
どの街でもそうだが、特にここはクトコステン――亜人特区とまで称されるほどに只人以外の人種で構成された特異都市。多くの亜人は大抵只人よりも優れた感覚器官を持ち、その典型例でもある獣人は大体が五感に優れていることも実に有名な話だ。
彼ら獣人はその殆どがとても鼻が利く……ということは即ち、不浄の空気すらも自慢の嗅覚によって鋭敏に感じ取ってしまうということでもある。
水路の掃除を担当する業者たちは区画ごとに業務を分けているが結局のところその全員が獣人である。
しかし日頃から水路へ馴染みのある彼らでさえも仕事中は特別仕様の防護マスクですっぽりと頭部を覆い、全身もそれに合わせた防護服で完全防備を固めるのだからどれだけ獣人たちが水路の汚染された空気を恐れているかがわかるだろう。
ただ臭い匂いを嗅ぐことを嫌っているというだけでなく、不浄の気配が何より彼らを忌避させるのだ。技能や能力と言えるレベルにまで高まった嗅覚はだからとて持ち主にメリットばかりをもたらすとも限らない。
かつてリブレライト近郊の巨大な森林――いわゆる『流れ着きの森』にてそこを定住地としているリザードマン一派もまた、自分たちの住居地近隣にて切り開かれた麻薬畑に対し強烈な嫌悪感を抱きつつもその悪臭から近寄ることすらできず、臭いの原因がなんであるかすらも突き止められずにいた。それを思えば獣人たちに発見されることを恐れるマビノが地下水路を潜伏場所に選んだのは、なるほど妥当な判断だと言うことができるだろう。
しかしながらマビノがナインを呼び込んだのは正確には水路の一角というわけではなく、何も埋められていない余剰空間に当たりをつけたマビノが手ずから壁を掘り抜き即席で作った横穴である。瓦礫を張り直すことで外からでは水路の薄暗さも助けとなって一目見ただけではなんの異変も見つけられないようになっている――が、問題はその位置。革命会館のすぐ横手からマンホールの蓋を開けて水路へ入ったことからもわかる通り、ここは建物のすぐ下なのだ。いや、より正しくいうなら直下というわけではなく、革命会館の地下部分を避けるようにして入り組み全体の形からすれば微妙にずれた水路部分であるのだが、位置関係上は少なくとも建物のすぐ下と称してなんら語弊はないだろう。
水路の中でもなぜ革命会の近くを隠れ場所に選んだのか?
市政会員を襲ったことで存在が発覚し、追われる立場となったマビノなのだから、現在市政会と表立ったまま密な関係性を構築している革命会に近づくことは悪手でしかない……とは誰もが思うことだろうが、残念ながら彼女は現クトコステンの情勢についてさほど明るくなかった。
マビノが知識として仕入れているのは都市の表層的な部分のそれに過ぎず、即ち少し前までのナインと似たような情報しか持っていなかったのだ。都市は保守派と改革派に分断されており、それぞれの旗頭として自治会たる市政会と革命会が存在している……とそれだけを聞けば両派の対立は明らかであり、そしてそれらを従える両会が敵対関係にも似た睨み合いの構造にいることは都市に詳しくない者でもすぐに推測できることだ――現にマビノはそう考えていた。
つまるところ彼女がしたことと言えば、消去法に頼った安全地帯の選定であった。
市政会とそれを取り巻く保守派の獣人たちから追われるマビノ。お尋ね者である以上は派閥などのべつ幕なしに都市中が彼女を追いかけるが、それでも目の色を変えて追走してくるのは保守派層であることは確か。では隠れるにはどこが一番マシなのか、どこが追跡の手を逃れやすいか……そう考えてみたとき、自然と候補は限られてくる。その内でも特に妙案として浮かんだのはたったひとつだった。市政会に追われるのならばその対立組織たる革命会、その陣内こそが自分にとって最も安全な場所に違いなかろう、と。
そう確信したマビノは今の彼女からすれば魔力消費のバカにならない影魔法を駆使して革命会に潜り込んだ。力の節約と貯蓄を信条としている現在のマビノにとっては「手痛い」という月並みな表現では到底済まされない高い高い出費であったが、いかに市政会にとっての敵対組織たる革命会であったもおいそれと見つかる訳にはいかないのだからどれだけ魔力消費が高くつこうともこれは必要経費であった――そして彼女の念の入った用心は功を奏したと言えるだろう。獣人の知覚をも掻い潜れる高等術を使用してクトコステンへ街入りを果たした際と同様に革命会の中枢へと侵入を敢行したマビノは、影からその内部を観るうちにやがて自身のとんでもない思い違いを悟ることになった。
――市政会と革命会は通じている……!
それは今更になって『交流儀』という二十年ぶりに執り行われようとしている祭典の存在を知ったことで、両会の数年前からすると考えられないほどの手を取り合って協力しているという表の事情をようやく呑み込めたからでもあるし、同時にそちらを表とすれば『裏の事情』――革命会員の一人リック・ジェネスが不穏な動きを見せているところを偶然にも(言葉通りに)影から目撃してしまったからでもある。
見聞きはできれどそれ以上動けないマビノではリックが何を為そうとしているのか、その詳細までは掴めなかった。
だがそれでも彼が会を通さない個人的なパイプで市政会とやり取りをし、ファランクスという過激派組織と頻繁に連絡を取り合っていることは理解できた……そして他でもない、都市を挙げての祭典である交流儀の当日に大きな事を起こそうとしているらしいということも。
連れ立っている相方の現状と、ますます行動に制限のかかっている自分。それを踏まえると最悪、革命会内の話の通じそうな者に接触し取引を行いどうにか保護を求めるというのも案にはあったが……とてもじゃないがそれは実行できそうになかった。誰に縋ったところで現在の革命会では表に引きずり出されてしまうことは想像に難くなく、唯一そういった真似をしなさそうな人物たるリック・ジェネスは余計にまずい――何故なら彼こそが相方の怨敵であるイクア・マイネスと個人的なパイプで繋がっていることは確定しているのだ。どう利用されるかわかったものではない。ともすればリックやイクアの計画次第では都市中を相手取って戦うよりも一層マズい目に遭うことも考えられる。
――さて私はここからどうしたものか……。
もはやちらりとも身動きの取れない状態。交流儀が始まるのを自分たちも大人しく待ち、そこで起こる『何か』へ便乗して脱クトコステンを図る以外に手はないか……そう思いひとまず潜伏を続けていた矢先、とうとう件の祭典が開催される前の日となって。
マビノの頭上で轟音が響いた。
それは革命会館にて怪物少女が所せましと暴れる音であった。




