356 人的被害の32・3・1:狼狽編
「なあ、こんなのってあるかよ――いったいどうなってんだよ!? 何がどうなれば『こんなこと』になるんだ……?!」
マイスの叫びはその場にいる全員の思いを代表するものだった。
さすが会長ともなれば会員たちの意を汲むことくらいはお茶の子さいさい……などと彼を褒めそやす者も今ばかりは誰一人とていなかった。
革命会は現在、謎の襲撃者によってもたらされた被害の確認と報告に追われていてそれどころではないのだ。
「襲撃者の正体は『武闘王』であるとほぼ確定しておりますが」
「だから、どうして武闘王が俺たちを襲うんだ!?」
「動機をお聞きであるならば、まったくもってわかりませんな。突発的な行動などとは思えませんが計画性があるかについても疑問が。とかく侵入後の武闘王ナインの足取りには目的というものが感じられませんので。推測される移動の仕方を思うに、強いて言えば『何かを探し回っていた』ようにも見受けられますが……」
「でも探すと言ったって……、」
被害の報せを受けて交流儀前夜での市民懇談会の場から急ぎ舞い戻ったマイスは、自分が不在にしていた革命会館で何が起きたのかを調べている最中だ。どうしてこんなことになったのかまるでわけがわからない、と頭を抱えるマイスへ冷静に所見を述べたのは総務長だ。その傍らには総務補佐と会計補佐も控えている。マイスを含めたここにいる四名が革命会に残された長職とそれに連なる者の総員である――あと一人、書記補佐を除いて。補佐は厳密には長を助ける随員のような立場だが、今は彼らの権限を一時的にでもそばだてる必要に駆られていた。
「会長の戸惑いももっともです。まさか武闘王ともあろうものが、金品目当てでの押し込み強盗など考えにくいでしょう。会にあるもので最も価値の高い物となれば『聖杖』を置いて他にはありませんが、それが収められている保管庫に対してナインは見向きもしていませんから」
「保管庫は魔鋼を素材にして作られ、魔力コーティングと『アラート』の魔法が施されている。只人とドワーフの共同制作で生み出された一品物の大金庫ですから、その堅牢さは見る者が見れば一目でわかるはず。さしもの武闘王も歯が立たないと判断して手出しを諦めた……ということなのでは?」
総務補佐と会計補佐がそれぞれの考えを述べるが、結局のところナインの真意は判然としない。
それだけ今回の事件には謎が多い……というより、妙な部分が多いのだ。
マイスは考え込む三名から視線を移し、崩れた壁面へと目をやった。
ぽっかりと空いた大穴――この穴からナインは侵入したと見られている。
まるで砲撃でも受けたかのような跡だが、信じ難いことにこれこそが武闘王なる者の侵入経路なのだろう。ここを起点としてナインは会館内を自由に動き回り、接敵した会員たちを軒並みバッタバッタと薙ぎ倒していった。その状況がしばらく続き、会館の外部にまでこの一件が広まり出した頃――つまりはマイスが懇談会を抜け出して戻ろうとしていた頃にはナインはどこへともなく消え去った。目撃者が減らされたことでその足取りも途中でぷっつりと途切れてしまっている。来た時と同じように外へ飛び出して逃げていったのだろうとは目されているが……万が一にもまだこの建物内部に潜んでいることを否定できないからには、総員の警戒態勢を解くべきではないだろう。
マイスは目を細める――大穴から覗く外の景色はもはや完全なる夜景となっている。獣人には夜目の利く者も多いが、だからと言って今から追いかけたところで夜闇に消えたナインを見つけられるはずもない。交流儀を明日に控える都合上、捜索に時間や人員を割く余裕もない――まさかそれも見越したうえでのこのタイミングでの来襲だったのだろうか?
時間以上に問題は人員だ。会員は数多くいるが会館内に常駐するような革命会運営側の会員ともなればその数は限られる。そしてそんな貴重な人員に対して今回は少なくない被害が出てしまった。
そう、マイスの思う被害とは会館に空いた穴や破損したあちこちの通路などを指しているのではない。
負傷者三十二名、行方不明者三名。
それがたった三十分そこらで被った革命会の人的被害である。
だが、それこそが最も妙な点なのだ。『聖杖』すらもあっさり見逃したらしいナインが、ではなんのために革命会にこのような、まるで「殴り込み」めいた来訪を行なったのか? 好き放題暴れ回った跡から察するに本部常駐会員の数を減らすことが目的だったのではないかとも推察されるが、それにしては被害が中途半端だ。
やはり武闘王の実力は頭抜けて高い。獣人を相手にしても歯牙にもかけない圧倒的な肉体的強度を誇っている――それは現在改革派閥重用の医院にてベッドを埋め尽くしている会員たちからしても明らかだ。だと言うならこの程度で済んでいるのはやはりどう考えてもおかしなことだろう。被害そのものが目的であるというのなら、たかだか三十余名を沈めただけで武闘王が満足してしまうのは些か奇妙に過ぎる。
死者どころか、重体者もいない。
全員殴りつけられ昏倒させられてはいるが……そしてそれ故に明日の交流儀開催までに起き上がることはできそうにもないが、逆に言えばそれくらいでしかない。
いくら彼らが獣人として体力的に優れていようと先に述べたように武闘王との実力差はあまりに明確だ。種族差など関係なし、むしろ『ナイン』という新種族なのではないかと疑わしいまでに強い彼女なのだから、その気になれば――否、その気にならずとも一撃の下に負傷者リストを戦死者リストにすることだって容易かったはず。
しかし現実はそうなっていない。彼らは目立つような傷痕もなく、あくまで『軽傷』なのだ。神逸六境すらも手玉に取るほどの常軌を逸した強者を前にしていながらそれだけで済んでいるということは……よほど手加減されていたとしか思えない。
わざわざ武闘王は、こんな襲撃をかけておきながら、死人や重傷者を一人も出さないように気遣って戦っていたことがわかる。
「――だからわかんないんだよっ」
頭を掻きむしりながらそう言ったマイスに総務長は「まったくだ」と同意した。
「人潰し。要するにそれは人的資源の枯渇を狙う有効な策だ――敵対組織に打つ一手としては常套手段でもある。いくら派閥全体の数が多かろうとそれを取りまとめる人数は限られるのだから、費用や期間の対効果を加味してもそれは常に、仕掛けることも仕掛けられることも想定しておくべきパターン」
実際、革命会も数年前までは市政会を相手にそういうしのぎの削り合いを――いやもっと直接的な潰し合いをしていたのだ。互いの会長が敵視し合っていたあの頃は両派閥の関係悪化も手伝って双方悪意に塗れた抗争を何度となく続け、いたずらにお互いの『兵力』を浪費させていた。その時期の革命会は泥沼に沈むような疲弊感を覚えていた……それはおそらく市政会側も同じであったことだろう。いくら獣人が力による対決こそを第一とする戦士らしい主義を掲げていようと、組織戦となればむしろその直情さが混迷を深める原因にもなった。
しかしそれも今は昔。
過去のことと言い切ってしまえるほど大して時間は経っていないのだが、両会ともに新政権を迎えた今となってはそんな醜い潰し合いなど完全に廃れ、もはや案としても出なくなった。そういう時代ではなくなったのだ。軋轢もいくところまでいって完全に擦り切れたのだから後は良くなる一方だ――抗争が戦争の段階にまで突入するのを防げたことからそう考え、故にいくらか気が緩んでしまっていたというのは、否めない。
市政会員を襲ったという吸血鬼、そことなんらかの関係があると目される武闘王。市政会と手を組もうとしている現状、ともすれば吸血鬼か武闘王が革命会に対しても何かしらアクションを見せることは十分に考慮すべきことだったはずだが、しかし交流儀前の忙しさも手伝って今ひとつその懸念が足りていなかったのは事実だ――とはいえ、である。
「だからと言ってナインが本気で革命会を潰そうなどと企てているとは思えない。現場の状況がそれを否定している。人的被害を狙いとするには倒された人数が少なく、傷が浅い。……なのだが、別の狙いがあったとするには逆に倒された数が多すぎる」
そのくせ、それ以外は何をするでもなくあっさりと姿を消している。
襲撃をかけておきながら彷徨い歩くような足取りといい、やはり武闘王の行動には不可解な点が多すぎた。
「残された謎はそれだけではありません」
と総務補佐が言う。
「やはり気になるのは……同刻に行方のわからなくなった三名の長たちのことです」




