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352 竜傅き風躍る

「このナイフ、キャンディナお姉ちゃん使う? 頑丈で切れ味がいいってだけの名前もない物だけど。その代わり魔力要らずで大抵の物は切れるよ!」

「貰っておきましょう。特別な力がなくともそれだけで十分に破格です」

「じゃあはい。あとはー……もう特にめぼしい物もないか」

「そうですね。いや、待ってください。もしかすると彼の使っている腕時計は高級ブランドの品ではありませんか?」

「いやいやキャンディナお姉ちゃん? あたしたちは強盗じゃないんだから。男物の時計なんていーらない。あぁでも、ドックが欲しがったりするかな……?」

「あの人は欲しいものがあれば自分で作り出す人でしょう」

「確かにそうだ!」


「それより、この死体はどうしましょうか。これも使いますか?」

「うーん、人って死ぬと腐っちゃうからなぁ。人形にするには向かないんだよね。だから簡単には殺せないんだけど……あーあ。ドックがすっごい防腐剤でも発明してくれたら、ここをまるっとドールハウスにできちゃうのに」

「ドックの場合、何を作成するかはすべてインスピレーションに左右されますからね」

「そーなんだよね、こっちが欲しがってるものを作ってくれるかどうかは完璧に運次第ってやつなんだよね。まったくもう、人間ビックリ箱だよドック博士は!」

博士ドックドクターはかせで意味が重複していますし『人間ビックリ箱』の表現が誰より適切なのはイクアを置いて他にはいないと思いますが……仮に要望通りの防腐剤が頂けたとしても、結局は今のままだと思いますよ。大勢を殺し過ぎると『リッちゃん』への負担が著しいものになりますから」

「そういやそうだった! それじゃあどっちみち丸ごと傀儡化作戦は無理ってことかぁ。ま、いいや。とにかくこれは普通に廃棄処分ってことで」


 リック・ジェネスの死体の傍で二人は会話をしていた――とても血流おびただしい凄惨な現場にいるとは思えない日常的な所作で、しかし会話の中身は立派に血生臭い言葉を交わしながら普段通りの笑顔を作る。


 どうでもいい人間・・・・・・・・の生き死に程度で動かされる心は持ち合わせていない。

 そう言わんばかりの態度でイクアはお願いをした。


「それじゃリッちゃん、これの片づけしといてくれるかな。あー死体だけじゃなくて汚れもまとめてさ。あたしはちょっと用があるから」

「畏マリ マシタ。 イクア様ハ ドチラヘ?」

「おおう、相変わらずのカタコトっぷり。あたしはね、とーっても大きな人と会うんだ」


 にっこりと笑った少女は、それだけを言って部屋を出ていった。その後ろにキャンディナも従者のように――実際彼女は従者の立ち位置にいると言って差し支えないのだが――しずしずとついていく。後には早くも渇き始めているイクアが流した大量の血液と、その横に力なく倒れ伏す一個の死体だけがそこに残された。


 物言わぬ死体の表面に何かが浮き出始めたのはいったいどのような現象が起きているのか――もしこの現場を目撃する者がいたとしても、到底理解はできなかったであろう。やがて粒子状となってハエのように死体にたかり、覆いつくしたそれは黙々と処理を始めた。所持者からの命令に従って部屋の片づけを行うのだ。これから十分もしないうちにイクアの執務室は元通りとなり、一人の人間が命を落とした事実など綺麗さっぱり消え去ってしまうことだろう……。



◇◇◇



 市政会館の応接室はレイシャルフリーの観念からとても広く、大きい。只人サイズに家具などが置き替えられたイクアの執務室とは違って、その部屋は置かれている机や椅子からしてかなり巨大だった。おかげでそれに座るイクアは本人の子供らしい小柄な体躯と相まってまるで小人のようだったが、その正面。イクアと対面して腰かける彼にとってはそんな椅子でも小さすぎるようだった。大柄な者がほとんどである獣人に合わせて作られたこの室内そのものが、それでも手狭に感じられるほど。つまりはそれだけ彼という人物の体格が並外れているということになる。



「よく来てくれたねドウロレンさん! でもドウロレンはちょっと言いにくいから名前のほうで呼んでもいいかな? ガスパウロさんって。あ、それともぉ――あたしも街の人たちみたいに【崩山】さんって呼んだほうがいいのかな?」



「…………」


 ガスパウロ・ドウロレン。クトコステンの誇る強者『神逸六境』がうちの一境、【崩山】であるところの彼はしかしこの場においては【崩山】のつもりではいなかった。


 ――周囲の者から尊敬を込められて二つ名で呼ばれるような強者として、今ここにいる訳ではなかった。


「……呼び名など好きにするがいい」


 すげなく答えた彼だが、その直前まで真一文字に結ばれていた口から出た言葉には確かな「怒気」が含まれていた――それと同じく「恐怖」もだ。


 ここ数日、彼はとあることをきっかけとしてホテルから一歩も外に出ない日々を送っていた。何を隠そう、そうすることがイクアという少女からの要求であったから。それを破ればどうなるか……彼はそこから先を想像することすらできない。


 想像してはならないのだ。


 我慢の数日が過ぎ、ようやく第二の要求が寄越されたこの機会を、彼は決して逃すつもりなどなかった。


「そんなことよりも本題に入ってもらおうか。俺を呼びつけたわけはなんだ――貴様はいったい俺に何をさせたい」

「もう、せっかちだなガスパウロさん。っていうか必死だね! そんなにあの子・・・大事・・……?」

「っ……、」


 歯噛みするガスパウロ。思わず立ち上がりかけたがそれをどうにか堪える。彼の厳つい顔立ちは今や、見る者を心胆から震え上がらせるような恐ろしい形相となっているが、イクアはそれを見てもからからと笑うだけだった。


 悪辣である。

 あまりに趣味が悪い。


 少女は知っているのだ、ガスパウロにとって彼女・・がどれだけ大事で、大切な存在であるのかを。彼女を守るためなら自身の命を投げ出すことだって少しも厭わない彼なのだから、当然必死にもなるというもので。


 そしてガスパウロをそうまで必死にさせているのは他でもない、このイクアであるというのに――なのに彼女はまるでそれを理解しがたいものであるかのように露悪的に振る舞い、嘲笑までするのだ。


「そんなに大事なら首輪でもくくって肌身離さず持ち歩いていればいいのに。ちっちゃい女の子が一人っきりで大きなホテルの部屋でさ、さぞかし寂しかったろうにね。だから攫ってあげたんだよ――安心して。あの子は楽しく過ごしてるから」


「あの方は無事でいるのだろうな……!」


「もっちろん! だってガスパウロさんを手駒にするための大事なキーパーソンだよ? そう簡単に手は出さないって。ちゃーんと丁重に扱ってますっ!」


「……ならばすぐに要件を言え」


「お、素直に従ってくれるつもり? 従順過ぎても怪しいっていうか、ちょっとつまらないんだけど?」


「ふざけるな。俺にとってはあの方こそが全てだ。取り戻すためならどんなことだってしてみせよう――貴様にも大人しく使われよう。その代わり、誓え。あの方を絶対に傷付けないと。もしも傷ひとつでもつけようものなら……何があろうとも殺してやる。貴様も、貴様の仲間たちも、この手で一人残らず皆殺しだ」


「あっは! そりゃまた素敵なことだね――うん! おっけー誓うよ。ガスパウロさんが言うこと聞いてくれるうちは、あの子には指一本触れないって約束する。そしてあたしの頼みをちゃーんと遂行できた暁には、きちんと解放しようじゃないか。それも約束するよ。だからぁ、イクアのちょっとした頼み事をぉ、聞いてくれるぅ?」


「くどい! いいからとっとと言わんか!」

「あははは、わかったわかった。なぁに、ガスパウロさんからしたらなんてことのない、ほんのちょっとしたことなんだけどさ――」


 ぐっと椅子から身を乗り出すように語り始める少女。その頼み事の内容を黙って聞くガスパウロ。二人の対話へ口を挟むこともなく見守るキャンディナ――そんな室内の様子をこっそりと窺う第三者が、窓の外で動きを見せていた。




 突き出したテラス部分で壁に張り付くようにしている彼は、風を巧みに操ることで自身の気配を室内の誰にも悟らせず、そこでの会話をしっかりと盗み聞きしていた。


 それによって【崩山】の身に何が起こっているのかをほぼ正確に把握した彼――翼を持つバードマン。こちらもガスパウロと同じく『神逸六境』が一境、【風刎】ことゼネトン・ジンは部屋にいる者たちからは死角となる位置にて身を潜ませて、その嘴をわななかせていた。



(おいおい……偶然見かけたじっちゃんの足取りがどうも気になって後をつけてみれば、案の定市政会館こんなとこに入って密会ときた。しかも奴らとじっちゃんは対等な関係なんかじゃねえ、こいつは脅し脅されの脅迫関係! 驚きだぜ、まさかじっちゃんを相手にこんな真似をしようなんざ、あの嬢ちゃんはなかなかに頭がぶっ飛んでやがる――それで成功させてやがんだからもっとぶっ飛びだがな!)



 【崩山】に命を賭してでも守りたい何者かがいるということも、その何者かが拉致されてしまったらしいことも、ゼネトンにとっては驚愕でしかない。しかしながらそれを知ってしまったからには彼のすべきことはもう決まっていた。


(だったら、俺っちが助け出してやろうじゃんか……! 動けないじっちゃんに代わってその子を保護してやるぜ!)


 聞こえてきた内容からして件の人物は幼い少女、それもおそらくは『竜人』であろう。今のところ捜し場所にあてのないゼネトンなので、この広い街からたった一人の少女を探し出すことは困難を極めるだろう――それもイクアたちに気取られずにとなれば尚更だ。


 だが、しかし。


 ゼネトンはそれを実行すると決めたこの時、不安など一切抱かなかった――彼の胸はどんな困難だろうと「やってみせよう」という確かな自信と気高き覚悟ばかりで満たされている。


(安心しろよ【崩山】のじっちゃん。この俺っちが【風刎】としてその子を絶対に助けてみせるからよ。だから悔しいだろうが、今だけはどうにか耐えてくれよな……!)


 ゼネトン・ジンは風の申し子にして、誰より自由を愛する――正義の男であるからして。


 イクア・マイネスがいよいよ【崩山】にお願い・・・をすべく前のめりになった瞬間を見逃さず、彼は誰にも気付かれずに素早くテラスから飛び出していった。


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