345 臥するべし、消灯すべし
「しかしどういうことなんだ? 革命会とファランクスの同盟は会長交代を機に完全に破棄されている。資金の流入なんてどちら向きであっても起こっていないのは確かなことのはずだろう……?」
「ああ。どんな新ルートを開拓しようと金の行き着く先がファランクスなら見破れないはずがない。つまり、リック・ジェネスが金を流していたのはファランクスじゃない。まったく別の組織……あるいは未知の個人を相手にしてるってことになる」
「…………、」
不可解な事実にリーグは口を閉ざし考え込む。
自らの懐を温めるでもなく、密かに過激派との繋がりを密にするでもなく、自分たちにはまったく不明の何処かへと年間費用の数パーセントを流し続けているというリック・ジェネス。その目的がまるで見えてこない。いったいどこへ、なんのために。一見して胡散臭く、しかして優秀、ながらにやはり裏のあったあの男がこうも周到にチョロまかした資金でどんなことをしていたというのか……。
「ん……?」
そこでふと、リーグは違和感を覚えた。
それはリックの金の使い道に関することではなく、自分たちが置かれている今この状況に際しての違和感だった。
「おいワーバック……どうしてお前はこのことに気付けた?」
「何を言ってるんだ? リーグ、それはお前のほうが俺に調べろと頼んできたからだろうが」
「ああそうだ、その通りだ。俺が調査を頼んだ、それは間違いない……だが聞いてるのはそういうことじゃない」
突然の問いかけに怪訝な面持ちとなって答えた会計長ワーバックへ、リーグは重々しく首を振った。
「俺が言いたいことはだ、ワーバック。ここまで周到に事を運んでいたリックがよりにもよってこのタイミングでそれを露呈させたのは、どうにも奇妙じゃないかってことだ」
「おいまさか……これがわざとだとでも? 俺が尻尾を掴んだんじゃなく、野郎が尻尾をこれ見よがしに振りでもしたっていうのか!?」
疑っていることが知られないように丁寧に調べてきたつもりだった。半信半疑ながらもリーグの嗅覚を信用しているワーバックはただそれのみを根拠に何年も実りのない調べ物を続けてきたのだ。念願かなってリックの仄暗い秘密を暴けたことで、ワーバックは積年の苦労が報われた気持ちだった。同時に自身の調査の腕前と、友人の持つ人を嗅ぎ分ける能力の裏打ちともなった。誇らしい気分だった――それが今、他ならぬその友からの言及によって台無しにされようとしている。
ワーバックの語気が強まったのは「そんなはずがない」という友人の推測に対する反発と、それと同じく「そうなのかもしれない」というあの男ならばあり得るなどと思えてしまった自身に対する、どうしようもない苛立ちからくるものだった。
「根拠を言ってみろリーグ! 俺を間抜け扱いするその根拠をな!」
「落ち着けワーバック! 俺は何もお前を――」
貶めたいわけじゃない、と続けようとしたリーグの言葉を遮って。
「僕がその根拠になるでしょう。今ここに、僕がいるということが、会計長。あなたが間抜けだという何よりの根拠になる」
「「――!」」
振り向けば奴がいた。
ドアに背を預けるようにして立つそいつ――只人リック・ジェネスはいつもの爽やかな笑みを顔に貼り付けて二人の獣人を眺めていた。
「貴様っ……!」
「待てワーバック」
即座に立ち上がる二人。しかし気色ばむワーバックとは対照的に、リーグはそんな彼を片手で制しながら努めて冷静にリックへと向き直った。
「リック・ジェネス……お前、どうやって部屋に入った? 施錠はたしかに済ませたはずだが」
「おや、そうでしたか? そうかもしれませんね。けれど僕は入室した。鍵がかかっていようといなかろうと、その事実の前に大した意味は持たない。そうじゃありませんか?」
「……相も変わらず、人を食ったような物言いをしやがる」
リーグは歯を剥く。常から気に食わない只人であったが、裏の顔を知った今となっては余計に我慢がならない。しかし堪える。この男には聞きたいことが山ほどあるのだから。
「ジェネス。お前がこの場に現れたということはやはりわざとなんだな。これまで巧妙に隠してきた不正の手口を、お前はわざと俺たちに明かした。それは理解できた――だが、何故そんな真似をしたのかが理解できん。こうなればもはやお前に革命会での居場所はないぞ」
「…………」
「何を黙りこくっている。なんとか言ったらどうなんだ。得意の減らず口で釈明でもしてみるがいい。ついでに金の行方についても……なんだ?」
「く、……ふ。ふふ」
「おい、リーグ。こいつ笑って――」
「くは、ははは、ははははははっ!」
おかしくておかしくて仕方がない。いかにもそういった様子で手を叩きながら声をあげて笑い出したリックへ、獣人たちは目を見開いた。意味が解らず黙り込む彼らを見て、リックは笑い過ぎたことで目尻に浮かんだ涙を拭いながらこう言った。
「馬鹿なんですか?」
「っ……!」
「だってそうでしょう、居場所? 革命会に僕の居場所がない? なんてズレた脅し文句だ、酷いにも程がある。あえて尻尾を握らせてやったということに気付いていながらどうしてそんな発想になるのか、こちらこそとても理解に苦しみますね」
とんとん、と指先で頭を叩きながらリックは続ける。その笑みはますます深まっていく。
「やはりお二人とも歳ですかね。会計長のほうは所詮、獣モドキの中ではまだ数字に強いというだけで取り立てて見どころもなし。ストンレン副会長も鼻は利いてもおつむが足りていない。あなたたちが新進気鋭の若手として革命会を盛り上げていた頃ならばもう少しマシだったんでしょうけど……残念です。ええ、本当に」
「この野郎!」
「落ち着けワーバック、挑発に乗るな! こいつの思うツボだぞ!」
今にもリックに噛み付かんばかりに逸る友人の肩を掴み、力づくで抑え込むリーグだったが、彼とて怒りを覚えていないわけではない。ギロリと射殺しそうな目付きでリックを睨む。
「てめえ、命が惜しくないってのか? 獣人を相手に侮辱の言葉を吐くなんざ……命までは取られないだろうと高を括っているんならそいつは大間違いだぜ。俺たちゃ殺るときは躊躇なく殺る。それが獣人ってもんだ」
あるいは相手から先に手を出させて傷を負うこと自体がこいつの狙いなのか。
そうやって少しでもこちらを悪者へと仕立て上げようと画策しているのではないかと勘繰ったリーグだが、呆れたような態度で肩を竦めたリックにますます眦を吊り上げることになる。
「なんだ、その余裕綽々の様は……。俺たちの殺意がお前にはわからんのか?」
「いえ、これでもかというくらいに感じていますよ。鬱陶しいあなた方からの殺気についてはね。僕が呆れているのはそっちじゃない。実に短絡的だとは思いますけど、そっちはどうだっていい。まずですよ。そもそもの前段階からして……僕がここにいるという時点でお二人はもっと危機感を抱くべきだと、そう指摘しているつもりなんですがね」
「なんだと……?」
二対一。
それもこちらは肉体的強度で遥か有利な獣人である。
現役の戦士でもない只人たるリックにとっては絶望的な戦力差だ――だというのに、彼は自分たちに危機感を持てと言う。リーグは混乱した。
「正気か? まさかお前、自分に勝ち目があるとでも? いくら老いたとはいえこのストンレン、只人の若造なんぞに後れは取らんぞ!」
「ですからその認識が間違いなんですって。切った張っただけが戦いですか? ありがちな言葉で言わせてもらえば……『勝負は戦う前に決している』というやつです」
「なにを――ぐぅっ?」
いきなり、なんの前兆もなしに体に力が入らなくなったリーグ。床に膝をついた彼が隣を見てみれば、ワーバックにも同じ現象が起こっているらしく机に突っ伏して身動きが取れなくなっている。自分同様に力が入らず、上体すら起こせないでいるのだろう――。
(い、いや……これは体に力が入らないんじゃない。体の全体がまるでドロドロの液体にでも変わっていくような……)
「食べましたよね? 『新コック』の料理。普段は食堂を使わないあなたも、先日の懇談会でとうとう口にしましたね。喜んでください、その際には濃度も特別濃いものを発注しておきましたから。ちなみにその濃度の場合『発症』は摂取後一時間から二時間にかけてらしいですよ。つまり何日も前に潜伏期間は過ぎていることになる」
(なんだ、こいつは何を言っている……!)
名状しがたき感覚に襲われゾッとするリーグ。それでもまだしも動かせる顔を上げて、これをなした元凶と思われる只人へと怒鳴りつける。
「俺たちに何をした! いや、なんでもいい。とにかくこれを解け! さもないと――」
「さもないと、なんです?」
こつり、こつりと足音を立ててリックが近づいてくる。すぐ目の前に立った彼を射殺さんばかりの視線で見るリーグだが、それ以上のことはできそうにもなかった。
「僕を殺しますか? いいや、あなたにそれはできない。たとえ万全に体が動いたとしてもね」
そこでリーグは、初めて彼の手にナイフが握られていることに気が付いた。ドアの前に立っていた時には確実に持っていなかった。この男はこんなものを、いったいいつ懐から取り出したというのか――?
「痛、なんだ……っ?」
べちゃりと頭の上から何かが落ちてくる。何事かと床に目をやれば、それは耳だった。イヌ科の動物のそれに近い、切り落とされた耳。どこから切り取られたものであるかは言うまでもない――リーグの顔に血が滴った。
「ぐ、う……」
「見えましたか? 見えてませんよね。いつ切られたかすらわかっていないでしょう。……種明かしは『クイック』の魔法です。なんてことはない小手先の魔法ですが、これくらいでも、ほら。簡単に殺せてしまう」
「……!」
「自分で覚えたものじゃありません。この魔法は父から受け継ぎました……ジェネス家は僅かながらに時間魔法への適性があるんです。そしてこちらのナイフはある人物からの餞別品です。なんでも切れるし、いくら使っても切れ味が落ちない代物なので重宝してますよ」
「ある人物、……まさか、そいつが?」
「ええ、ご名答。イクア・マイネス。まあ名前を明かしたところであなたにとっては単なる新人の市政会員でしかないでしょうけど……ともかく消えた資金の行方というからそこ以外にありません。要は僕なりの出資というわけですね――と言っても、僕らは互いに出資者なんですが。こちらからは金と場の提供を、あちらからは便利な道具の数々を。絵に描いたようなギブアンドテイクですね」
「道具、だと? それはいったいどんな……」
「言う必要、あります? 手向けとして僕の真実に辿り着かせてあげたんですから、それで満足してくださいよ。あれもこれもと知りたがるのはよくありませんよ?」
「っ……、」
「なぜ僕がここに姿を現したか、でしたっけ。そんなのあなた方の『処理』のために決まっているじゃあないですか。証拠を掴ませて誰もいない予算部へ追い立てたのはそういうことです――もう必要ないんですよ。お二人ともに革命会のため、今日まで本当によく働いてくれました……ですが明日の交流儀を以ってこの革命会も晴れてお役御免となります。なので、あなた方という会を動かす人材もいらなくなりました。あとは見てくれだけ似せた人形でも置いておけばそれで十分でしょう。いえ、それすら必要ないかもしれませんね」
「どういう、意味だ……」
「悲劇の準備は万端だと言っているんですよ。明日この街は血に染まる。街を愛してやまないあなたにはとても耐え難いことでしょう。しかしご安心ください、悲劇を前にしてあなたはそれを見ることなく、一足早く旅立つ。これは僕からの慈悲でもあります。どうぞ安らかにお眠りください副会長」
「ま、待て――」
ひゅん、と。
ナイフがごく軽く振るわれて、ひとつの命が失われた。リックは続けてもう一人の獣人の息の根も止めてやった。それは殺しというよりも単純な作業のようで、しかしだからこそその行為をリックが躊躇いなく、心から望んで行なっているのだと証明してもいた。
変わらない笑みを貼り付けたままで汚れたナイフを丁寧に拭った彼は踵を返し、退室のために扉を開け……それからふと振り返り。
「副会長に会計長、本当にお疲れ様でした。――それではおやすみなさい」
灯りが消され、扉は閉ざされ。
後には血だまりと亡骸だけが残された――。




