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344 鼓舞と調査と判明と

 どこがどう違うなどとは彼もはっきりと言えない。

 その顔立ちも、受け答えも、以前の彼女とまったく一緒なのだ――しかしそれでも。


 マイスから見て今のルリアは別の少女であるとしか思えなかった。


「仕事中に会うときは必ず他の皆もいるから、いつもみたいに話せはしないけど……でもわかるんだ、俺には。最近のルリアは変なんだよ。どこかがおかしい」


「何がおかしい? 見かけも態度もいつも通りなんだろう? 無論、お前と二人きりの時とは見せる顔も変えるだろうが」


「俺が言ってるのはそういうことじゃないんだ。具体的には説明できないんだけど、なんていうか……ルリアの俺を見る目とか、笑い方とか……そういうのが、いつもとちょっとだけ違うように感じるんだよ」


 温度が無いように見える。否、もっと正確に言うなら温かみを「偽っている」ように見えるのだと、マイスは拙い説明ながらにそのようなことを述べた。


「……よくわからんな。俺もすぐ傍でお前たちを見ていたが、いつもとまったく変わりないようにしか思えなかった」


「だからそれはリーグさんがあいつのことをよく知らないからで――」


「仮にお前の言うように、向こうの会長がいつもと違ったところでだ。それは単に交流儀を目前にして気を張りつめているせいかもしれないし、あるいはお前が愛想を尽かされただけかもしれない」


「うぇっ――き、緊張してるかもってのはともかく、ルリアが俺のこと嫌いになんてなるわけない! そりゃ喧嘩だって何回かはしたことあるけど、すぐに仲直りしてきたし……それに今回は喧嘩の原因になるようなことも思い当たらないんだ!」


「まあ待て、そう発憤するな。仮の話をしてるんであって何も俺の推論が正しかろうと言ってるんじゃないんだ。こっちの言いたいことはつまり、ルリアが変だのなんだのと相談されたところで俺にはどうしようもないってことだ。俺は常の彼女をまるで知らんし、仮に知っていたところでやはり何ができるわけでもない。だいたいルリアの変調に気付いているのがお前だけなら、それこそお前にしか解決はできないんじゃないのか」


「それは……」


 リーグの言はもっともであるとマイスも納得したのだろう。興奮を収めた彼は、一転して眉尻を下げた情けない顔になる。


「でも、どうすればいい? 俺にだってやらなきゃならないことがある。ルリアにもだ。昔みたいに簡単には会えないし今は交流儀のことで俺だけじゃなく、どこも手一杯だ。ルリアのために何もできないのは、俺だってリーグさんと一緒だよ」


「マイス。そうじゃないだろう――交流儀を控えているからこそチャンスなんじゃないか」


「え?」


 きょとんとする彼の肩に手を置き、リーグは諭すように言った。



「一世一代の告白の場がお前を待っているじゃないか。もしもルリアが無理をして苦しんでいるところなら、それはきっと交流儀開催のために彼女の両肩へ圧し掛かる負担がそうさせているんだろう。ただでさえ仕事が多いのにあちらの会長は個人でも出し物を予定しているんだから余計だな――そんな時にお前のほうが男気を見せないでどうする。お前の情熱で、彼女の固まった心を解きほぐしてやれ。そうすればきっと全てがうまくいくはずだ。……だから頑張れマイス」



「リーグさん……」


 思わぬ老狼からの熱の籠ったエールに、マイスは胸がカッと熱くなった。

 若き犬人を焚きつけるに十分だったリーグの言葉は狙い通り、革命会会長に奮起を促すことに成功した。


「ありがとうリーグさん! そうだよな、へこたれてちゃ俺らしくないよな――俺、やるよ! 最高に熱い告白をする! 長年秘めたこの想いをルリアに伝えて……そして結婚するんだ!」

「ああ、そうするがいい」


 まったくもって秘められてもいなければ既に結婚までする気でいるのは、少々どころかかなり気が早いんじゃないか……と思ったリーグだが無粋になりそうなのでその感想は口に出さなかった。両想いであることは見て取れるのだから、これくらいの意気込みのほうが丁度いいのだろう。お互いの熱量はきっと釣り合っているはずだ……たぶん。


 会長としての仕事へ大いにやる気を出し、意気軒昂に去っていくマイスの背を見送る。「やれやれ」と半分以上惚気話に付き合わされたに等しいリーグは苦笑を浮かべ、そして踵を返して歩き出した。


「若さってのは老骨にしみる……ま、あいつはあれでいい。分担ってやつだな」


 若さでしか成し遂げられないことがあるように――経験でしかできないことだってある。


 大人には大人の仕事があるのだ。



◇◇◇



「よお、ワーバック。急に呼び出してどうしたんだ」


 マイスと別れた足で向かったのは予算部の一室だった。交流儀を前に現在通常業務が停止中の革命会館はいつもよりも遥かに人気が少なく、特に算盤を弾くのが仕事であるようなここらの部屋はひどく静まり返っている。常からして活気があるとは言い難い場所なだけに、灯りの乏しさや耳に痛い静けさも合わさってまるでここが冷暗所か何かであるかのように錯覚させられまでする。


 そんな部署の一角にある執務室はとある個人に宛がわれたもの。

 部屋の主は勿論、予算関連のあれこれを一手に取り仕切る会計長のワーバックという犬人だ。

 リーグとも旧い仲である彼は、歳こそ十以上離れていても親友のような間柄にあり、数少ない飲み仲間でもあった。


 そんな同僚であり友人の彼が珍しく業務中に自分を呼んだのだ。まさか交流儀を明日にして晩酌の付き合いに誘おうというわけでもあるまいに、いったい何用かと不思議がりつつもリーグは彼にしては気安い口調で朗らかに声をかけた。


 室内のデスクに書類を広げていた様子のワーバックはいくら呼ばれた側とはいえノックもなしにずかずかと入り込んできたリーグへお小言を零すでもなく、小さく「座れ」とだけ言った。彼のそんな態度からただ事じゃないと察したリーグも顔から笑みを消し、デスクと向き合う形で置かれた簡素な椅子に腰かけた。


 リーグの重みにぎしりと椅子が鳴ったとき、ワーバックも口を開いた。


「単刀直入に言う――裏が取れたぜ。リーグ、お前の言うことは正しかった」

「なにっ! まさか、それじゃああの男は――」

「ああ。間違いない、クロ・・だ」

「……!」


 人の失せた予算部でわざわざ二人きりで話そうとすることだ、ひょっとしたらという予想がなかったわけではない。しかしリーグが彼にこの調査を頼んだのはもうずいぶんと昔のことであり、一向にそれらしい証拠も得られないままに時が過ぎてきた。なのでまさか、今日という日になって急に事態が進展するなどとは流石に驚かされた。



「『リック・ジェネス』――やはりあいつなんだな!?」



「おうとも。野郎、ずぅっと予算をちょろまかしてやがったぜ。二重帳簿や架空委託なんていう使い古された手じゃねえ、あの野郎自身は何もしちゃいなかった」


「なに? それじゃどうやって?」


「プール金だよ。正確には、プール金のプール金だ。浮金にも程があるが、あいつは前会長の時代から別のところへ資金の上澄みを密かに流入させるシステムを仕上げてやがったんだ」


 革命会は一般会員からの会費や改革派閥からの寄付で成り立っている。しかし何もその全てを溜め込んでいるわけではなく、予算部を始めとする上会員には給与が出る上に、革命会の活動でかかるあらゆる費用は当然、改革派閥の住民に支払われる。言うなれば革命会を関所として都市の半分で金がぐるぐると回っている状態だ。市政会もまた保守派閥で同じようなことをしているのだが、タワーズとの癒着を隠しもしない向こうはもう少し開けっ広げに情報公開を行なっている。ところがこちらにとってのタワーズとも言える組織であるところのファランクスが――実際はファランクスに対抗する形で成り立ったのがタワーズなのだが――積極的にテロ行為を繰り返し、暴力を以って都市に不和をもたらすことを良しとする暴虐集団になってしまった以上、さしもの革命会としてもその関係性を徐々に排さざるを得ず、方針変更に従ってイメージアップを図る昨今には資金面でも人材面でもやり取りを交わすことは完全になくなっていた。


 とはいえ、秘匿が基本となっていた予算管理において既に馴染んだシステムを一新するのはそう簡単なことではない。ファランクス経由で改革派閥へ金を落とすルートが消失したことでより支出面での細かな調整が必要になり、それに伴って資金の流動性も以前以上に増すこととなった――そこをリックは巧みに利用してみせたのだ。


「上金を撥ねようってんならどれだけ書類をいじくってもバレる――なんたって俺は全予算の総計を頭に入れて諸費用を算出しているんだからな。それをあいつもよくご存知だったんだろう、だからこんな回りくどい手を使っていたんだ。部署の予算の上澄みをまとめて別の予算にあてる。それを何度か繰り返す。その集計で起こるプール金を懐には入れず、直に流した! 脱ファランクスのために支出を別口で増やす段階で奴は事前に用意していたシステムに応じさせて、必要以上の資金をそこに押し込んだんだ。数字では処理されているのに用途不明の金。それは決算期ごとで言えば統計上、全体の一パーセントにも満たない僅かな数字ではあるが、それでも年間通して積み重なれば相当な額だ。それを十年以上も続けていたことになる! 合計の金額はとんでもないことになるぜ……!」


「くそ、あの野郎……!」

 老狼は鼻持ちならない只人の顔を脳裏に思い浮かべ、ガキリと牙を打ち鳴らした。


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