341 割に合わない仕事がしたい
非常に責任重大である熊人は心底疲れたような顔をしながら、局員からの視線を一身に浴びつつ腕を組んで考え込み……やがてぼそぼそと思考をそのまま口から漏らすようにして喋り始めた。
「被害者がいる以上、市政会の要求を無視することはできないからね。『ナイトストーカー』が吸血鬼の存在を保証までしたからには尚更だ。とはいえ何から何まで従っていたんじゃこちらとしてもマズい……面子どうこうじゃなく、そのせいで『何か良くない事』が起こってしまいそうな予感がする。だから局としては、ナインの捜索は続けても監査官が傍にいるなら『ナインズ』に手出しはしない、と約束をしたんだけど……それもどうにも裏目な感じだなぁ」
一時職員扱いである監査官が局の『目』が如くに監視役を担うことで、実質的に『ナインズ』を軟禁状態とする強引な解釈。それによって市政会からの引き渡し要求に抗ってきたエディスは、そのために監査官への干渉が余計にし辛くなったことと、保守派の多くからの不満を買ってしまったことに頭を悩ませていた。そのどちらもが想定内、つまり彼も覚悟していたことではあるのだが、生じたデメリットに見合うだけの結果が得られているかというと……実に微妙なところであった。
そのことへ表情を歪めるエディス。
そんな彼の独り言のような言葉に、気遣うようにしてメドヴィグから意見が挙げられた。
「そう落ち込むことじゃないぜ、おやっさん。まだ成果は出ていないが裏目ってほどでもないだろう。中立を貫いたおかげで俺たちは堂々と動ける。市政会やタワーズと必要以上にお近づきになっちまうと改革派との軋轢だけじゃなく、取り締まりの沈滞化まで懸念としてあがる。トロイの木馬を気取ることだって治安維持局にはできねえんだから、選択としてはこれしかなかっただろうよ」
「『局が民に協力する際はそれに専念し、その期間に処罰を目的とする捜査があってはならない』……囮捜査と同じく固く禁じられている潜入捜査。それぞれ禁止される理由は違いますが、一応はどちらも大義を第一とする考えなので理解できるものではあります……ですが、こうも行動を制限されてはやりにくいことこの上ない」
「まったくっすねぇ」
憮然と不満を漏らすジーナに同意しつつ、ハンシーは「けれどそもそもっす」と前提からして違うのだと少女へ指摘した。
「仮にそれが許されたとしても非正規にそんなことさせられないっすからね……つまりうちらの誰かが長期に渡って局を空けることになるっす。――んなの、絶対無理っすね。今でも手が足りてないのに時間のかかる捜査なんてやってられないっすよジーナちゃん」
「……言われてみればそうですね」
「でも、ちょっと面白そうだよね潜入って。できるものならやってみたいかも……」
「おいラズベル」
「ひうっ、申し訳ありませんです先輩!」
「まーまーメドヴィグ、そう目くじら立てなさんな。別にラズベルだってふざけて言ってるわけじゃないんだ。実際、俺だってそれがやれたらどんなに楽かと何度も思ったさ」
協力体制をいいことに内部を嗅ぎまわる、あるいは、別口から雇った者を潜り込ませる。そういうことが可能ならば治安維持局の職務だってもっと捗る――捗り過ぎて手も首も回らなくなってしまいそうなほどだ。そうなっては困るがしかし、長年に渡って都市情勢を不安定にさせている二大組織の市政会と革命会。このふたつへメスを入れられることを思えばそれも安いものだとすら感じる。
「省や環境局ならばともかく、治安維持局じゃあねえ……市内の治安を守ることが仕事なんだからしょうがないと言えばしょうがないんだが。まーできないことにいくらブーたれても仕方がない。常々言っているけど、俺たちはやれることを地道にやっていくしかないんだ。……だからまあ、結論としてはだねハンシーくん」
「なんすか?」
「方針はこのままでいく。今になって監査官との約束を反故にするようなことはしないでおこう」
「……それでいーんすね?」
慎重にハンシーが聞き返すのは、それだけこの判断が重要なことであるからだ。
交流儀に向けて表向きは歩み寄りの姿勢を見せながらも水面下で何かしら動いていることが窺える市政会、革命会とそれに類するところのタワーズ、ファランクス。
明日の祭りを目前に保守派も改革派ものべつ幕なしに浮足立つ獣人たちとそれを冷めた目で見る他種族。
そこに謎の吸血鬼や、それを追う損害管理局からの使者である『ナイトストーカー』、そんな彼らと対立している監査官三名に、それら全てと関連があると思しき闘錬演武大会優勝チームの『ナインズ』に加えて独自に動く『神逸六境』のメドヴィグを除く五人も数に入れれば、交流儀を舞台として演じられる演目は非常に先が読めない、局からしてみれば頭痛の種としか言い表せられないような地獄の期間が待ち受けていることが確実となる。
ここで市政会との全面協力に踏み出せば、少なくとも保守派の大半とタワーズに属している二境を敵に回さずに済む。
その代わり普段は中立を謳っておきながら片方の勢力に肩入れすることで下がってしまうであろう局の評判や、革命会からの確定的かつ徹底的な敵視、そして監査官に三行半を突きつけるにも等しい行為をなすリスクを思えばこちらはこちらで相当なデメリットがある――結局のところどちらを選んだところで針の筵であることに変わりはない。
運が悪いというより、治安維持局という組織は得てしてこういうものなのだ。
ジーナが言ったように、割りを食う仕事。
いつでも貧乏くじを引かされ続けるような精神的にも肉体的にも負荷のかかる重労働。
クトコステンではそれが特に顕著であるために誰もやりたがらないのも納得だ――しかして、ここに揃った五名はそれでもこんな仕事を職務とすることを自ら選び、そしてそのことを誇りに思っている奇矯な者たちであるからして。
「いいともさ。何を曲げても自分たちの主義だけは最後まで貫こうじゃないか――治安維持局はいつだって中立で立ち、大局を見守って個人のことも守る。楽をしようとしたんじゃそういうことは叶わない。そうだろう、みんな?」
局長がそう問えば、その場の全員が迷いなく頷いた。
やはりそうなのだ――ここにいる者たちは既に、ここにいる時点でその心を決めている。
「交流儀は混乱が予想される。それにかこつけて動こうとする者も少なからず街にはいるはずだ。そもそも両会がどれだけ連携が取れているかも俺たちにはわからないんだから、想定は常に最悪の、そのまた一個下を思い浮かべておこう」
「最悪よりも下って、どんなことでしょうか?」
首を傾げるラズベルへ、「そうだな例えば――」とエディスは思い付いたことを口にした。
「交流儀の最中に事件が起きて、大勢が命を落とすこと。それが最悪なんだとすれば……それより下は、そういった被害が同日中に重なって、しかもそれが意図的に引き起こされたもの……とかいう場合かなぁ」
「えー! そ、それは確かに、とっても大変なことでありますっ!」
「ラズベル、落ち着きなよ。局長が言ってるのはあくまで最低最悪を想定したパターンでしかないんだから」
にわかに慌てだすラズベルと、それを宥めるジーナ。そんな二人を見ながら「ははは」と朗らかにエディスは笑う――が、彼は決してジーナの言葉に同意しようとはしなかった。自分を見つめるメドヴィグとハンシー。若手二人とは年季も経験も違う両者が向けてくる真剣な眼差しへ、エディスは言葉もなく深く息を吸うことで応えた。
(……そう、それがまさしく最悪だ。何がキツイって、もしもそんなことを本気で企てている狂人が本当にいたとして……けれど俺たちにはそれを事前に食い止めるすべがないってことだね)
派遣されてくる『ナイトストーカー』の存在を事前に監査官へ報せたのは彼らだ。一応の同僚たちへ義務的に……というより事務的に報告し、それを元に監査官は『ナインズ』と一旦別れることで追及を躱そうとしたようだが、そちらは『ナイトストーカー』のほうが一枚上手だったのだろう。結局は発見され戦闘にまで発展してしまったようだが――ここで気になるのは、同じく省に連なる局同士の立場でありながら、不自然なまでに吸血鬼狩りたちが治安維持局への接触を最小限にしつつ、それでいて監査官の動きを熟知している様子を見せていることだ。
そこから推察されるのは――。
(やっぱりこれも肝になるのは『市政会』だろう。俺にはどうしてもそうとしか考えられない……)




