339 どこかでだれかがくしゃみをする話
だれかってだれやろなー(すっとぼけ)
誤字報告に毎度感謝しております、ありがとうございます
「捕縛を取り止める、だと……?」
シィスィーの刺すような視線と声音に対し、ディッセンは柔らかな笑みでもって応じた。
「ええ。これ以上の戦闘に意味はないとコアランさんが仰ったように、私たちはもう『ナインズ』に手を出すことをしない。しかしそれはそれとして、既にちょっとしたやり合いをしてしまっているようですから、その点に関しては部隊全員で頭を下げて謝罪することもやぶさかではありませんよ。勿論、そちらがそうするように望むのであればですが」
「いるか、んな価値のねえ謝罪なんざよ。それよりもどういうこった? 吸血鬼を見つけ出すためなら一般人相手にも一切追及の手を緩めねえ野蛮な吸血鬼狩り様がその前言を撤回するたあ、珍しいこともあるじゃねえか。今からここに雪でも降らそうってんじゃあるまいに、今度はいったい何を企んでやがる?」
「おやおや。企むなどとは心外ですね――」
「待てディッセン。ここからは俺が説明しよう」
明らかにタイミングを見計らって口を挟んできたコアランのほうをちらりと見るディッセン。それから彼はシィスィーを確かめるようにもう一度見てから「そうですね」と静かに頷いた。
「お任せした方がよさそうだ」
「なら引き継ごう」
「では私はベルの回収を」
下の路地で麻痺毒が抜けきるのを待っているナイトストーカーの一員である少年ベルを連れてくるべく背を向けたディッセン。ジュリーの傍を通りがかった際に、まだその腕の中にいるオウガストと「助けてくれてありがと」「いえいえ」と言葉を交わし、彼は屋根から降りた。
「センテ」
「ええ。私もあの子たちの様子を見てくるわ」
ベルのすぐ近くにはクータ、ジャラザ、クレイドールもいる。ここでまさかディッセンが凶行に走るとは流石に考えづらいが、しかしそのまさかということもあるかもしれない。彼女らはナイトストーカー部隊のことをある程度知ってはいても直接顔を合わせのはこれが初であり、彼らの人間性まではまだ推し量れていない。故に念のための警戒の意味も込めてディッセンの後を追うようにセンテも路地へと降りていく。
それはクレイドールらの傷の具合を確かめるという言葉通りのことをするためでもあり、もしもの事が起きた場合の保険でもあった。
「んで? すっかり敵の大将と打ち解けたらしいおっさんが、俺に何を説明するって?」
「ふたつ訂正が必要だな。まず『夜を追う者』は俺たちの敵ではない。味方とも言えないが少なくとも敵対戦力に数えるのは間違いだ……。それからもうひとつは、俺は彼と打ち解けたわけではないことだ」
「あぁ? ついさっき顔を合わせたばかりだっていうのに、随分と息が合ってるように見えたがな」
「それは俺たちが互いに、相手に合わせるということの重要性を知っているからだ。我武者羅にぶつかり合って理解するなんていうのは子供だけに許された特権だ」
「俺たちが子供だって言いてーのか?」
「事実そうだろう。実年齢は知らないが、精神は肉体に引っ張られる。経験上、人というのはどれだけ歳を食おうと見た目が幼ければそれ相応の言動になりがちだ……それはお前たちも例外じゃない」
「ちっ……、」
舌を打つシィスィー。自分でも思い当たる節があるのだろう。
とうに肉体の成長は止まり、外見年齢が増すことがないシィスィーは決して見かけ通りの年齢をしていない。だというのに中身の成熟すら感じられず、どころか肉体に合わせて精神性も成長を止めてしまったかのようにまで思えるくらいだ。自分でもそう思うのだから、他人から見れば余計にシィスィーという存在は単なる見かけ相応の子供であるようにしか映らないことだろう。
ただしそれを他人から指摘されるのは面白くない。
自分でも心の内で認めていることではあるもののシィスィーは「だからどうしたよ」と半分噛み付くような剣呑さで――それが尚のこと子供っぽい行為だとも理解しながらも止めることはできず――コアランへ本題へ入ることを促した。
「つまり俺たちは話し合うことで、拳ではなく言葉を交えることで落としどころを見つけたということだ」
忘れてはならないのが監査官としてクトコステンを訪れた彼らも、そして吸血鬼狩りのプロとして要請されここにいるディッセンたちも、互いがその標的ではないということだ。コアランたちが目指すは『七聖具』の奪取であり、『ナインズ』はその協力者。そしてディッセンたちが追うのは吸血鬼であり、『ナインズ』はあくまでそのための足掛かりでしかない。言うなれば今はどちらも目標に迫るための前段階なのだ。だというのに、こうして同じく万理平定省に連なる者同士で潰し合いを行なうというのは非効率の極みである。
互いにとって不利益になる……どころの話ではなく、正気の沙汰ではないとすら言えるだろう。
我を通そうとすれば互いに無事では済まない。
そうなれば本来の目標を前にしてその目的を果たせないおそれが出てくる。
そう理解した二人は手早く話をまとめ、戦闘行為を止めさせるべく彼女たちの間に割って入ったのだ。
「基本は『相互不干渉』だ。ただしこちらには例外がある」
「んだよ、その例外ってのは」
存外にわかりやすく、そして丁寧に説明してくれるコアランへだからこそ不満げにしながら眉を顰めたシィスィーが問いかければ、彼はあっさりとそれを口にした。
「決まっているだろう――ナインだ」
「……!」
当然と言えば当然だった。何故ここでコアランとディッセンが互いに不干渉を貫くという『協力関係』が築けたのか――それは吸血鬼との関連付けがあくまでナイン個人になされたものであり、襲撃共謀の容疑がかかっているのは『ナインズ』というチームにではない、という前提があるからだ。
報道がなされたその日の朝からナインが他のメンバーを置いて姿を晦ましたことはナイトストーカーも既に把握済み。彼女の行方を追うためにまず『ナインズ』に手を出そうとしたのだからそれは当然だが、しかし人並程度の思考能力をナインが有していると仮定すればこの状況でたとえ仲間とはいえ残りの三名へ自身の行き場を教える、ないしはなんらかの道具や術で通じていると考えるのは少々無理がある。『ナインズ』までもが隠れ潜み人目を忍んでいるのであればまだしも、彼女たちはよりにもよって治安維持局とも密接な関係を持つ監査官と行動を共にしているのだから。
変装も最低限、何も知らぬ都市住民の目を避けるためのものでしかなく、治安維持局の職員もナインの捜索は続けていても『ナインズ』に疑いの目を向けていないことからも、今や完全にナインと他メンバーとでは通話等のやり取りを含めても一切行動を共にしていないことは明白であった。
「理解できるな?」
「市政会から『ナインズ』を引き渡せとうるせえのも局長の熊のおっさんが抑えつけてんだろ? そもそも吸血鬼云々の話は色々とはっきりしねえ部分が多すぎるからな。だが、会員を襲った吸血鬼がいたってことをナイトストーカーが証明しちまった……」
「そう、痕跡は確かにあった。よもやそれをプロであるディッセンたちが間違うはずもない。彼らとて市政会の妙にナインにばかり拘る姿勢を見て異様で怪しいと感じてはいるだろうがしかし、それはそれとしてだ。吸血鬼が高確率で都市内に潜伏している以上それを狩ることこそが彼らの仕事だ」
「要するにそれ以外のことは二の次三の次ってわけだ。襲われたっていう会員やその付き人には『魅了』にかかった気配もなかったんだろ? だから連中は最後の手掛かりとして『ナインズ』をあたった」
「だが『ナインズ』は『ナインズ』でリーダーのナインが何処へ消えたかなど誰も聞かされていない。同じ場所で別れ、それ以来行動を共にしているお前たちが知らないのだから彼女たちとてそれを知るすべはない。そのことを俺がディッセンに保証した――だからこそ例外ありきの不干渉という妥協点で落ち着いたんだ。真の容疑者はナインただ一人。『ナインズ』は監査の協力者として手を出すような真似は控えさせるが、ナインに関しては別だ。俺たちは彼女を探すことをしない、守ることをしない。そしてこれは共同行為中の『ナインズ』にも適用される……それでいいな?」
その問いはシィスィーに対するものではなく、屋根の上にまで上がってきた少女たちへ向けたものだった。
ベルを抱えてジュリーの下へ歩くディッセンとは距離を取るようにして、眠るクータを背負うクレイドールと、疲労を覗かせるジャラザの肩を支えているセンテが共に感情を見せない顔つきでそこにいた。
「構いません」と応答すべく口を開いたのは未だ自己修復中のクレイドールだった。「別れ際に残されたマスターの命令にも一致することです。私たちはあなた方の決定に異を唱えることを致しません」
「ほう。ナインはこの展開を高い精度で予測していたということか」
「ノン、否定を。マスターの命令は非常に大雑把なものでしたので――しかし、ある程度は予感を持っていたであろうことまでは否定いたしません」
「ふむ……」
顎へ手をやりながらディッセンはジャラザのほうへも目を向けるが、クレイドールが告げた通り彼女のほうにも特段反論はないようだった。少々意外に思う。ひざを突き合わせて何度か会話をしただけあって彼女たちがどれだけナインを慕っているのかということだけは正確に理解しているつもりのコアランだ。なので半ばナインを見捨てることで自分たちの当面の安全を確立させるようなこの契約は、間違いなく彼女たちの怒りを買うだろうと予想していたのだが、それに反して存外あっさりと受け入れられてしまった。
驚かされはしたが……それで困ることはない。
むしろ自分たちにとって好都合なのだからここはさっさと話をつけてしまうべきだろう。
早くも見かけ上は常の姿へと整いつつあるクレイドールはまだいいとしても、それ以外の負傷者。クータとジャラザ、そしてベルの具合は目に見えて良好とは言い難い状態なのだ。
「と、いうわけだナイトストーカー部隊。そちらも同条件で受け入れてくれるな?」
「もちろんです。この子たちが何を言っても私が説得しますのでご安心を」
「安心、か」
どこか意味深に呟いたコアランに、ディッセンは目を細めて笑った。
「そうです。たとえ何かの拍子でまた争いが起きたとしても、先ほどと同じく私が鎮めると約束しましょう。私の術はそういったことが非常に得意なものですから」
「そうだな……もしそうなった時は任せたい。ただしできることなら、次はもっと丁寧に止めてくれると助かる」
「……ええ、心得ましたよ」
不可思議な術を扱えるらしいディッセンは、コアランの平坦ながらも厳しい追及の目から逃れるように背を向けると、仲間たちと連れ立って去っていった。軽やかに屋根の上を駆けていく彼らを見送ってからディッセンはゆっくりと振り返り、五人の少女へ疲労を滲ませる声でこう言った。
「とりあえずはしばらく休んで……それから飯にでもするか。姿を変えてるとどうにも腹が減るんだ」




