338 状況終了
「シィスィー!」
「オウガストぉ!」
拳と剣の応酬を中断し、墜落しようとしている少女たちを見上げる。センテとジュリーは一瞬だけ互いを見やって、それから同時に地を蹴った。向かう先は敵ではなく仲間の下。戦闘よりも救助を優先した彼女らは建物の壁面を伝って屋根より高くまで上り、落下してきたそれぞれの仲間を受け止める。センテの腕の中にはシィスィーが、ジュリーの腕の中にはオウガストがそれぞれしっかりと収まった。
「シィスィー、損傷は!?」
「ぐ、これくらいなんてことねえ。――だが、俺が何を食らったかってのは大問題だぞ……!」
背中の羽が消えたことで飛行が続けられなくなり落ちただけのオウガストとは違い、シィスィーは明確にダメージを食らっての落下である。心配げなセンテからの質問に応じながら、しかしシィスィーは傷の具合よりも自分の身に何が起きたかについて頭を巡らせていた。
(今のはまるで俺の攻撃そのものが、敵じゃなく俺自身にぶち当たったみてーな感触だった……! 自分でも何を言ってるのかよくわかんねーがこの感覚は確かなものだ! 間違いなく俺は『電流星槍』の勢いを真っ向からこの身に浴びせられた――)
「ああ、驚かせてしまって申し訳ない。しかしそれが私の術なものですから」
「「!」」
聞こえてきた声にシィスィーを抱えたままでセンテは飛び退いた。
声のしたほうを見れば、そこにはジュリーと自分たちの間に挟まるように一人の男が立っている。屋根際に直立する彼は両腕を腰の後ろへ回し、ごく落ち着いた様子で笑みまで見せていた。
やけにぼさぼさとした無頓着な髪形以外は全体的に清潔感のある、まるで修道士のような出で立ちをしているその男にジュリーは「隊長!」と驚きを声音に表しながら呼びかけた。
「なぜあんたまでここに? 執行官の相手はどうしたんだい」
「彼ならそこにいますよ」
「なんだって?」
隊長と呼ばれた男がすっと指差す。そちらには確かにもう一人、別の人物が姿を現わすところだった。
犬人と思わしき特徴を持つその青年獣人は屋根に降り立つと、若い外見に見合わぬ低く渋い声で「状況を確認した」と一同へ告げるように言った。
「死人なし。アドヴァンス損傷軽微。そちらのベル隊員には浄化を施した。『ナインズ』の損傷についても既に適切な治癒が行われており、間を置かず回復することだろう。――つまり戦闘は行われなかったにも等しい。そうだろう、ディッセン」
被害ゼロ。幸運にも通行人らにも巻き込まれた怪我人などが存在していないことから完璧に獣人へ変装中のコアラン・ディーモは此度のナインズ+アドヴァンスvsナイトストーカーの戦闘行為を「なかったもの」として扱おうとしている。その言外の提案をあらかじめ承知していたのか、隊長ディッセンは鹿爪らしい動作で頷いた。
「まったくもってその通りですね。ここでは何も起きなかった。そういうことでしょう」
「待ちなさい、あなたは何を言って――」
「センテ」
ディッセンの言葉に噛み付こうとしたセンテを、コアランが制す。彼は静かな口調で荒ぶる少女へと語りかけた。
「ここは大人しく従ってもらおう。これ以上の戦闘は無意味だ」
「無意味――ええ、そうでしょうとも。そもそも『ナイトストーカー』の独断さえなければこんなことにはなっていなかったんですから」
「それは悲しい誤解ですね。あなた方の『協力者』であるナインズの捕縛を試みたことは、確かにそちらからすれば横暴のようにも感じられることでしょう。しかし一刻も争うのが吸血鬼の発見というもの。その手掛かりとなり得る唯一と言ってもいい彼女たちの身柄をそちらが一方的に預かり、あまつさえ私たちとの『面談』すらも許可しないというのは……それこそこちらからすれば横暴が過ぎますよ。ですから私たちもこういった手法に踏み切らざるを得なかった」
「馬鹿言うな……!」
反論したのは、センテの腕から降りたシィスィーだった。傷はあってもコアランの見立てや本人の申告通りに深刻なものではないようだ。持ち前のナノマシンがもたらす自己治癒によって回復した少女はすぐにも両の足でしっかりと立ち、ディッセンを貫くような目付きで睨みつけながら歯を剥いた。
「知ってんだぜ、てめーらの面談はただの面談じゃあ終わらねえってことをよ。場合によっちゃ吸血鬼狩りは証言者を廃人にしてでも欲しい情報を得ようとする……そうだろうが?」
「…………」
ディッセンは口を噤んだ――それはシィスィーの言っていることが真実である証明だった。
彼ら『夜を追う者』は対吸血鬼のプロフェッショナルだ。
それは各々が吸血鬼への特効とも言えるような特殊な攻撃法を身につけているだけでなく、吸血鬼の技から身を守るすべをも心得ているということでもある。
吸血鬼を相手取るにあたって最も警戒しなければならないのは『魅了』による洗脳術だ。優れた身体能力や、血魔法による苛烈な攻撃より何より、断然恐ろしいのが人間を意のままに操ることができてしまうその異能である。吸血鬼の知恵の回り方次第では簡単に社会を、都市を、国すらも崩せてしまう脅威の能力。故に吸血鬼狩りはその対策を第一に考え『魅了』にかけられた人を強引に解放する術や自身らが『魅了』に屈さないよう抵抗する手法をいくつか覚えている。
そしてその逆もまた然り。
医者が人体を治す方法を学ぶうちに人体の効率的な壊し方を自然と学ぶように、洗脳への対抗手段を編み出そうと努力した彼らが自分たちなりの洗脳術めいた技法を生み出すことも同じく自然なことであったのだろう。
研究の副産物として誕生したそれを、当然彼らは吸血鬼撲滅のために利用する。やることと言えば先ほどシィスィーが言った通りのことだ。即ち、吸血鬼との接触が疑われた者への自白強要。黙して語りたがらない者や記憶を欠落させてそもそも語れない者。往々にして見られる証言者のそういった症状に対し、吸血鬼狩りは一律「洗脳による弊害」として処理する。自分たちの逆洗脳によって吸血鬼の支配下にある者・あった者にも強引に口を開かせ、大本の居場所を引き出す。その結果として心あるいは脳の一部が壊されてしまって廃人化した例も少なからずある。
これは何も吸血鬼狩りに限定された話ではなく、標的こそ違えど似たような存在として語られる一種族限定の専門家である悪魔祓いや幽霊退治者も同様に、人を操る技能を持つ悪魔や幽霊に対抗すべく似たような処置を行っている――そしてそれを「必要な犠牲だ」と割り切っている。
都市で確認された吸血鬼や悪魔、幽霊というものは迅速に駆逐されなければならない。
それが間に合わねば比喩でなく街が血に沈む。万が一にも高度な洗脳にかかってそれが洗脳状態だと見分けがつかないようなままで一般市民が別都市へ避難してしまえばそこからまた惨禍が広がる。そんな事態を未然に防ぐためには、多少の犠牲が出る程度は致し方ないものだと納得しないことにはやっていられないのだ。
より多くを救うために。
そういう意味では彼らのやっていることは間違いなく正義であるだろう――執行官のコアラン・ディーモはその立場上、吸血鬼狩りの思想に共感を覚える。手放しで「それでいい」と肯定することができる。しかし、強化人間たるシィスィーやセンテはそうではなかった。親に捨てられ、拾われてからまた手放され、そして今は作られた戦士として生きている彼女たちには、多くを救うために切り捨てられた少数の側の気持ちが痛いほどよくわかる。
救う側よりも救われた側よりも、彼女たちが共感を覚えるのは――『見捨てられた側』なのだ。
「ろくでもねえ真似をしようったってそうはいかねえんだよ! 俺の目が黒いうちはクレイドールらにはぜってぇに手を出させねえぞ……!」
「たっはは。どうやら奴さん、うちらのことをよくご存知のようだねえ。これだから省関係のとこの人員とはやり辛いんだよな」
「こら、こちらの非を認めるような言い方はよしてくださいねジュリー。それでは私たちが本当に非道な行いへ嬉々として手を染めるような悪逆無道の隊だと勘違いされてしまう」
「勘違いだぁ……?」
ますます双眸を険しくさせるシィスィーへ、ディッセンは「そうですとも」と腕を広げた。
「こうやって戦闘を止めたことからもお分かりになりませんか? 私たち『ナイトストーカー』はその考えを改めまして……『ナインズ』の捕縛を取り止めましょう、と。あなた方にそうご報告申し上げようとしているのですがね」
「「……!」」
強硬かつ優秀な狩りの手腕で知られる吸血鬼狩り。
その部隊長ともあろう者がそんな知れ渡った特徴を自ら翻すようなことを言うものだから、シィスィーもそしてその横のセンテも思わず目を丸くして驚愕を露わにした。




